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母と娘 #58

こんにちは ゆーずきです

お疲れ様


私の母は今年91歳
今は施設に入所している

10年ほど前の夏のある日
倒れて病院へ運ばれた

それからは長い入院と施設の生活
私のことももうわからない

母は若い頃、とても美しく私にとっても自慢だった
小学校の参観日には着物を着て参観
そんな時代
他のお母さんたちも着物やスーツ、とにかく参観日は煌びやかな日となっていた


私は母の生い立ちを詳しく知らない
母があまり自分のことを言わなかった

時折話していた事は
幼い時に実母を亡くし父親が再婚してその後、弟ができた
そして母は
その実母の姉か妹
叔母にあたる人の所に養女に行ったと聞いている

母には妹がいて、その妹は実家に残り弟たちの面倒を見て下働きのように苦労したと言っていた

母が養女に行った先は料理旅館をしており
叔母が女将であったので
母はお嬢様として育てられたと言っていた
当時の写真が残っていたが自分の母とは思えないほど綺麗な女性だった


母が生まれ育った幼少期は長崎
私は一度も訪れたこともなく
その頃の話も全然知らない


父と結婚してからは何度か叔母の妹と長崎に帰っていたこともある


母は美しかったがゆえにか
お嬢様であったかがゆえにか
苦労が多かった


父はとても優しく母をひたすら愛し大切にしていた

しかし、父の姉妹は母を虐めた
父は7人兄弟でひとりは戦死、姉兄妹弟のちょうど真ん中であった
商才があり若くして商売を立ち上げ
香川県にいる兄弟たちを大阪に呼び寄せた

それがよくなかったのだろう

とにかく母をいびっていた
妬み  だと思う

子ども心に酷い人たち(姉妹)と思ったものだった


母は自分の子ども.私と弟にとても優しく厳しかった
特に躾
どこに出しても恥ずかしくないよう育ててくれた
感謝している


母はプライドが高く気品があった
なので自分が倒れて
何もできなくなった姿を子どもにも見られたくなかったようで
お見舞いに行っても
長居を許さなかった

行ってもすぐに帰れという


そんな母もいつしか自分のことも
だんだんとわからなくなっていく
それはとても辛く悲しいことだが

歳をとっていくという事はこういうことなのかもしれない


父を亡くして
ひとりで過ごしていた頃は友人も多く
楽しそうにしていた
その思い出は母の心の中に残っているのだろうか


前にも話したように
私は長崎に行ったことがない
もう母の親戚もいないようだし、どこに住んでいたのかも知らない

でも一度は足を踏み入れてみたいと思っている
今年のやりたいことの中に
長崎に行く
そのことを決めていた

そして今月
私は長崎に行く


母が生まれ育った街
異国情緒溢れる街
その日を楽しみにしている



今日も素敵な1日を〜♬

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