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【雑談】物語に「説明」ってどれくらい必要?

春過ぎて汗ばむ雑談(;'∀')

アニメや漫画、小説など多様な物語に溢れる現代。各々に好きな物語があってそれぞれ楽しんでいることだろう。ラブコメ、SF、バトル、スポーツ…ジャンルも多岐に渡っている。

私はアニポケ以外は雑食なのだが、最近はファンタジー系統のアニメを観ることが多い。『葬送のフリーレン』『狼と香辛料』『ダンジョン飯』『空挺ドラゴンズ』などなど。同系統のアニメを観る機会が多いのは配信サイトのレコメンド機能による影響が大きいかもしれない。

ただ、それ以外にも同ジャンルの作品を続けて観る理由がある。それは世界観の「説明」が頭に入りやすくなるというメリットの為だ。

ある読者/視聴者が新しい物語に出会う時、彼らはその物語の世界観や登場人物について全く知識がない状態でそれに触れることになる(特別な予習などをしていない前提の話)。

特に重要なのはその物語においてのみ使われる言葉の知識だ。特にロボットアニメなどSF系のジャンルでは専門用語が多くなる傾向にある。オーディエンスは未知なる情報を咀嚼しながら物語を少しずつ味わっていく。

「交響詩篇エウレカセブン」(2005)

ただ、用語や世界観を丁寧に説明してくれる作品ばかりではない。物語が進んでいくことで世界観が開示されることもあれば、作中では語られないこともある。

現在放映されているアニポケHZシリーズは大別すれば後者にカテゴライズされるだろう。いにしえの冒険者ルシアスの素性、敵対組織エクスプローラーズの目的など、隠された「謎」は一年放送が経った今でも多くは明かされていない。

EP32:ラプラスの想い、仲間を想い

アニポケの場合マルチメディア展開されているポケモンコンテンツの一つということで、オーディエンスが最低限ポケモンの世界観を理解している前提があるので他作品とは事情が少し異なる。ただ、それでも作中の情報は小出しにしている印象だ。

情報を小出しにする理由はオーディエンスをコンテンツに引き付けておく為…と言ったら生々しいが、その方が作品の性質に合っているという制作の判断だろう。


実際、物語においてどれくらい「説明」が必要なのかは微妙な問題だ。一から十まで説明している作品が面白いとは思えないし、逆に一切の説明を放棄している作品は取っ付きづらいかもしれない。

情報の開示の仕方の問題もある。主人公の目的、世界の成り立ち、人間関係諸々のしがらみ…それぞれの情報をどの順番で開示(≒説明)するかによっても物語の性質は大きく変動する。

アニメーションの場合、言葉で説明せずともカットの演出やBGMなどで情報を伝える方法もある。アニポケでいえばSM21話などは「死」を直接的な言葉を用いずに描いたという点で高く評価されている。

一方で、サトシの目標だった<ポケモンマスター>の「定義」が最後の最後に注目を集めたという風説もある。アニポケを長年観てるファンからすればなんとなく察しがついたことだろうけれども、言葉が持つ「説明」の力強さを感じる一件でもあった。


エンターテインメントなので究極的にはオーディエンスが「面白い」と思えたらそれでいい話ではある。難しいのは何を「面白い」と思うのかがオーディエンス一人一人違うことだ。

私は頭でっかちなオーディエンスなので、物語について出来るだけちゃんと理解して臨みたいと思っている。よって世界観や用語について丁寧に説明してくれる作品に惹かれることが多い。

ただ、最近ファンタジー系統の作品を漁っていて気づいたことがある。それは「説明」がなくとも理解できる物語があるということだ。理解を納得と言い換えてもいい。

具体例として『空挺ドラゴンズ』を挙げよう。本作は2016年より『good!アフタヌーン』(講談社)で連載されている桑原太矩作の漫画で、2020年にテレビアニメが配信された。私はアニメ版のみのオーディエンスである。

『空挺ドラゴンズ』は龍とよばれる生物が存在する世界でそれを獲る「龍(おろち)捕り」を描く群像劇スタイルの作品だ。アニメ版では「タキタ」という新人の「龍捕り」視点で物語が展開する。

この作品(アニメ版)の構造は非常にシンプル。「龍捕り」であるタキタ達が龍に挑んでは狩り、解体し、それを売って、食べる…基本的にこの繰り返し。「龍捕り」達は「クィン・ザザ号」と呼ばれる飛行船に乗船しており、彼らの日常生活が間に描かれる。

龍がどんな生き物なのか、登場人物がいかにして「龍捕り」になったのか…勿論それらが語られる時もあるが、中心になることはない。彼らの生業である龍の狩り・解体・販売・食事、日々繰り返される日常がメインに描かれる。

オーディエンスの視点からすれば分からないことだらけで話は進んでいくが、不思議なことに説明不足を感じることはない。観終わった後に感じるのは納得感とそれに伴う満足感。

思うに、『空挺ドラゴンズ』は余白が気にならない物語なのだ。目の前で動いている「龍捕り」が誰か分からなくても、狩られている龍がどんな生態なのかが分からなくても問題ない。生活の為に生き物が生き物を狩っている様子を観ている。生物系のドキュメンタリーを観ている感覚に近い。

これはこめこめくらぶの感想なので、人によってはもっと詳細な説明を求めるかもしれないが悪しからず。説明がなければ「理解」できない…そういう凝り固まった思考をほぐす物語との出会いがあったという話だ。

世界には想像している以上の物語が存在している。説明がなくても理解できる物語、説明があっても理解できない物語、理解できなくても面白い物語、理解できないから面白い物語…。物語に出会う度に自分を作り変える。そんな向き合い方をしても面白いかもしれない…To Be Continued.

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