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(ほぼ)100年前の世界旅行 スエズ運河からコロンボへ(ポートサイード〜コロンボ)1925/11/6〜21

エジプト・ポートサイードから英国船Dumana号に乗り込んだ曽祖父・金谷眞一。英国人乗客がほとんどで「唯一のアジア人乗客」と日記に書いています。今回はスエズ運河〜紅海〜インド洋〜セイロン(今のスリランカ)までの船旅の様子をご紹介します。

船のこと

この世界旅行が始まった横浜〜サンフランシスコの太平洋航路(16日間)以来、久々の2週間の長い船旅です。陽気で盛りだくさんの太平洋航路については以下の記事をご覧ください

Dumana号は1921年就航のブリティッシュ・インディア汽船会社船です。久しぶりにイギリス人たちと同行することになり、「話し相手として心良い」と喜んでいます。欧州の最後の滞在国イタリアでは、スリにあったり、エジプトでは人々のありようにあまり良い印象を持たなかった眞一にとって、久しぶりに安心して付き合える人たちだったのでしょうか。船が船長以下規律正しく運行されていることにも喜んでいます。

1868年に開通したスエズ運河からすぐに紅海へ。この運河ができる前は、エジプトからインドに行くにはぐるっとアフリカ西岸〜南端のケープタウンを回っていたわけですから大変な短縮ですね。

建築中のスエズ運河の様子。Egypt Time Travelより(https://egypttimetravel)

スエズ運河航行中は涼しく、夏の着物では寒かったようで、船室の窓を開けたまま寝てしまい翌日熱を出しました。しかし同乗の英国人婦人たちは甲板にマットレスを敷いて一晩過ごし翌日も朝から元気いっぱい。その様子を見て「窓を開けたぐらいで発熱する日本男児とは比較になりません。」と苦笑まじりに書いています。

旅行中、和服は眞一の「勝負服」ですが、和服を着ていると人々が敬意を払ってくれる気がする、おそらくそれは自分の態度が改まるからだろう、と書いています。着物を着ると背筋が伸びる、とも。100年前の人が今の私たちと同じように思っているのは面白いです。

乗船した翌日にはスエズ運河を通過し、紅海へ。ここから11月12日のアデン港〜インド洋航行〜21日コロンボ着まで、船内は毎日がレクリエーションです。

音楽は世界の社交語

横浜からの航路同様、ここでも乗客たちの演奏会が行われました。上手い下手はもちろんあったでしょうが、眞一は、楽器を一緒に演奏することで打ち解ける人々を見ながら、西洋音楽は社交語であるとの思いを強くしました。「常磐津や義太夫ではこうはいかない」というのは、自分を顧みての感想でしょうか。

航行浬数のくじ引き

英国人たちが日がな一日運動していることにも驚きました。「婦人の活発なる恐ろしく感ずる程度なり」だそうで、波飛沫の上がる甲板でひたすらテニスをしている、と呆れ気味に書いています。音楽、運動の他の楽しみは、毎日乗客から1シリングずつ徴収してくじ引きを行い、前日の航行距離に一番近い数字をひいた人を勝ちとするゲームです。1等は2ポンド、2−5等には5シリングの賞金がでます。眞一も早速参加し、インド洋航海中に1等を引き、2ポンド2シリングを獲得して喜んでいます。面白いのは、1等をとった人には次回の集金の義務があることです。眞一も当選の翌日午前中いっぱいかかって61名から1シリングずつ徴収し、船長から航行浬を聞いて次のくじ引きの差配を行いました。こうしたゲームを通じて乗客たちは親しいshipmate、船友となっていったのでしょう。船長もミサを主催したり、船長室を案内したり、一等船室乗客とは食事をする以外にも親しく関わっていた様子が伺えます。

リメンバランス・デー(11月11日)

紅海航行中のこの日は、第一次大戦でのドイツとの休戦記念日です。乗客全員が2分間黙祷を捧げました。

https://collection.nam.ac.uk/detail.php?acc=2014-07-73-1


乗客の婦人たちは売上をヘイグ財団(ソンムの戦いで英軍に多数の戦死者を出し、「肉屋 (butcher)」とまで言われたヘイグ司令官が戦後に設立)に寄付するべく、船内で赤いポピーの造花を販売しました。戦死者を象徴する赤いポピーをこの日に身につけることは、今もイギリスやカナダなどで行われていますね。

翌日11月12日にDumana号はアデン港に停泊。蒸し暑くて寝苦しかった紅海の旅も終わり、インド洋に出ます。

仮装パーティー

インド洋に出てから数日間暴風をやり過ごし、11月16日は一等船室と二等船室の乗客合同での仮装パーティーが企画されました。ちなみにこの船では二等船客も一等の読書室などの利用が許されており、クラスの差はさほど大きくなかったようです。質実剛健、規律正しい英国人乗客たちも当日は皆準備に熱中です。眞一はDumana号に多かったインド人ボーイに仮装することにしました。この旅の途中、アメリカでホテルのボーイにインド人と間違えられた(!)ことから思いついたのでしょうか。ディナーの席で船長にメニューを差し出し「ご注文を」、船長は「スープを」と言ったところで気づき、大笑いとなりました。ほかにも注文を言いつける乗客多数、大いに楽しみました。翌日にはまた熱を出し、「仮装の薄着のせいで冷えたのか腰が痛い」と書いています。どんな仮装だったのか、写真がないのが残念です。

コロンボ上陸

英国人船長以下、Dumana号は乗組員たちの規律正しい運行で、11月21日に英領セイロン・コロンボに無事到着。乗客の多くは英領インド・カルカッタまでいくらしく、下船した人は少なかったようです。「15日間同じ釜のパンを食べた60余名の船友と別れ」、英国で買った釣竿とステッキを手に、小舟に乗って上陸です。ここでもまた、たくましい日本人たちとの出会いが待っています。


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