旅人のヒマゴ

1925年(大正14)、私の曽祖父は単身世界旅行に出かけ、7ヶ月間の毎日を記した3冊の…

旅人のヒマゴ

1925年(大正14)、私の曽祖父は単身世界旅行に出かけ、7ヶ月間の毎日を記した3冊のノートを残しました。日光金谷ホテルの二代目社長・金谷眞一の100年前の一人旅、ご一緒に紐解いて参りましょう。 X:#100年前の世界旅行 Instagram: shinkanaya1925

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弟・正造と眞一:箱根と日光、二つのホテル

1925年7月31日、世界旅行2カ国目の英国・ロンドンに到着した曽祖父・金谷眞一は、早速街を散歩しながら「弟・正造がいたら喜んだろうに」と日記に書きました。滞在中は正造のため、共通の趣味である釣具をはじめ、お土産をせっせと買い込み、ロンドンを出発する頃には荷物の重量は200ポンド(90キロ)超えです。この2人、どんな兄弟だったのでしょうか。 眞一には3歳違いの弟、正造(1882−1944)と、9歳違いの妹たまがいました。眞一13歳、正造10歳で母ハナを亡くして程なく、2人は

    • (ほぼ)100年前の世界旅行 香港〜上海1925/12/9〜19

      曽祖父・金谷眞一の7ヶ月に及ぶ世界ひとり旅も、いよいよ最後の訪問地です。 夏はもちろん、冬も大活躍 12月8日にサイゴンを出発。船はセイロンから乗っているフランス船アンボワーズ号です。南シナ海は荒れたようですが、眞一は「船酔いしない体質」で甲板をゆっくり歩くのが良い運動だ、と書いています。しかしサイゴンで蚊が船室に紛れ込んで安眠できません。そこへ船友のフランス人ベカート氏がくれたのが、なんと日本の蚊取り線香。調べてみると蚊取り線香は1890年(明治23)に除虫菊の防虫効果

      • (ほぼ)100年前の世界旅行 シンガポール〜サイゴン1925/11/27〜12/8

        曽祖父・金谷眞一の世界旅行は日本帰国途中。セイロンを出発し、ここから約2週間、東南アジアの港に停泊しつつ進む船旅の毎日です。 インド洋へ 11月27日、トーマスクック コロンボ支店のスミス支店長に別れを告げ、一人ぼっちの出発です。まず荷物とともに小舟に乗り、フランス船アンボワーズ号に乗船しました。 この旅行中おそらく初めて乗るフランス船ですが、一等船室でも3人相部屋で、それぞれの荷物を運び入れると身動きもできず「旅行中一番の失望」、「動物園」と日記に記しました。でもこの

        • (ほぼ)100年前の世界旅行 セイロン(2) ヌーワラ・エリア〜再びコロンボ 1925/11/24〜26

          世界旅行も終盤、現在のスリランカの高原リゾート、ヌーワラ・エリアに滞在中の曽祖父・金谷眞一が出会ったのは、世界を渡り歩いた農業のプロ。驚きの旅は続きます。 こんなところに日本人 ヌーワラ・エリア滞在二日目、前日夕方からの豪雨の隙を見て、人力車で前日列車から見た茶畑の中の道を見物に出かけました。すると車夫が、ここから五里ほどの山奥に日本人の農場があるのを知っているかと話しかけます。 これ、親切そうなガイドに「こっち安全」とか言われてついていくと….というアレですよね。 眞

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        弟・正造と眞一:箱根と日光、二つのホテル

          (ほぼ)100年前の世界旅行 セイロン(1) コロンボ〜キャンディ、ヌーワラ・エリア 1925/11/21〜23

          エジプト・ポートサイードを出発し、英国船Dumana号で紅海、インド洋の2週間の航海を経て、曽祖父・金谷眞一は英領セイロンのコロンボに無事到着しました。 コロンボ上陸 11月21日、早朝から荷下ろしが始まりました。乗客の多くはマドラスやカルカッタに向かい、コロンボで降りる乗客は少なかったようです。当時のコロンボは英国植民地であるセイロンの主要港です。「15日間同じ釜のパンを食べた船友60余名に別れを告げ」、大きな荷物はトーマスクックの人足に持って行かせ、自分は英国で買った

          (ほぼ)100年前の世界旅行 セイロン(1) コロンボ〜キャンディ、ヌーワラ・エリア 1925/11/21〜23

          (ほぼ)100年前の世界旅行 スエズ運河からコロンボへ(ポートサイード〜コロンボ)1925/11/6〜21

          エジプト・ポートサイードから英国船Dumana号に乗り込んだ曽祖父・金谷眞一。英国人乗客がほとんどで「唯一のアジア人乗客」と日記に書いています。今回はスエズ運河〜紅海〜インド洋〜セイロン(今のスリランカ)までの船旅の様子をご紹介します。 船のこと この世界旅行が始まった横浜〜サンフランシスコの太平洋航路(16日間)以来、久々の2週間の長い船旅です。陽気で盛りだくさんの太平洋航路については以下の記事をご覧ください Dumana号は1921年就航のブリティッシュ・インディア

          (ほぼ)100年前の世界旅行 スエズ運河からコロンボへ(ポートサイード〜コロンボ)1925/11/6〜21

          (ほぼ)100年前の世界旅行 エジプト(再びカイロ〜ポートサイード)1925/10/30-11/6

          1925年、初めてエジプトを訪れた曽祖父・金谷眞一。カイロからナイル川沿いを汽車でルクソールへ行き、数多くの遺跡で悠久の歴史を満喫したのち、ルクソールからカイロへ戻ります。 アビドス神殿 ルクソールからカイロへ向かう途中、汽車で4時間ほどカイロ寄りのバリアナという停車場で下車。汽車は砂埃がひどく座っていられなかったようですが、車窓から見たナイル川に鶴のような水鳥が遊び、人々が漁や農作業をする様子をもの珍しく眺めました。 停車場に出迎えた二頭立ての馬車で1時間ほど行くと、

          (ほぼ)100年前の世界旅行 エジプト(再びカイロ〜ポートサイード)1925/10/30-11/6

          (ほぼ)100年前の世界旅行 エジプト(カイロ〜ルクソール)1925/10/23-30

          曽祖父・金谷眞一の世界旅行、1925年6月に横浜を出発し、アメリカ、ヨーロッパと進み、いよいよ欧州を出てアフリカ大陸へ。約2週間のエジプト編、今回は前半です。 世界一高い船の旅 南イタリアで旅の友となったマーシュ夫妻、エヴェレスト姉妹らを見送り、10月23日、1人でナポリを出発。夜の汽車でブリンディジへ向かいます。夜中に寝台車に乗り換えて、翌日午前11時にブリンディジに到着。トーマスクックの社員が出迎え、そのまま汽車から降りないように教えてくれました。汽車は桟橋に付き、そ

          (ほぼ)100年前の世界旅行 エジプト(カイロ〜ルクソール)1925/10/23-30

          師走ってほんとに早い…。1925年の曽祖父の世界旅行、いよいよヨーロッパからエジプトに行くというところで、資料を読んで整理する作業が進まず、書けておりません。ですが、エジプトでもすごい日本人との出会いがあります。どうぞお楽しみに。

          師走ってほんとに早い…。1925年の曽祖父の世界旅行、いよいよヨーロッパからエジプトに行くというところで、資料を読んで整理する作業が進まず、書けておりません。ですが、エジプトでもすごい日本人との出会いがあります。どうぞお楽しみに。

          私の、旅行記

          70歳を過ぎて家業から引退した父は、先祖の残した大正から昭和時代の記録の整理にいっとき熱中していました。ダンボール箱に詰まった数十年分の日めくりを読み返して、時にはパソコンに向かいポチポチと書き起こす。セーブし忘れて頭を抱え、こんな時には気分転換だ、といそいそと缶ビールを開けていたのも懐かしい。 その中にA4より少し小さい黒い表紙のノートが3冊ありました。父の祖父、つまり私の曽祖父の世界旅行の日記です。 大正14年、1925年に1人で半年も各国を旅したのだ、英語で日記を書

          私の、旅行記

          (ほぼ)100年前の世界旅行 ナポリ(カプリ〜アマルフィ〜ソレント〜ポンペイ)1925/10/17-22

          永遠の都・ローマに深い感銘を受けた曽祖父・金谷眞一。列車でスリにあい、一文無しで到着したローマ駅から今度はナポリへ出発です。 ちなみに現金は盗まれましたが旅券などは無事だったので、トーマスクックでトラベラーズチェックを換金し、旅は続きます。 ローマ〜ナポリ 1925年10月17日、ローマからナポリに行く列車で出発。途中から、以前フィレンツェで一緒のツアーだった英国人の老婦人や米国人の姉妹とも乗り合わせます。ローマで、この英国夫人が敗血症で足の手術を受けたと聞いていましたが

          (ほぼ)100年前の世界旅行 ナポリ(カプリ〜アマルフィ〜ソレント〜ポンペイ)1925/10/17-22

          (ほぼ)100年前の世界旅行 フィレンツェ〜ローマ 1925/10/7-16

          イタリア湖水地方の旅を満喫した曽祖父 金谷眞一。イタリアの後にはエジプトへの旅も控えていますが、その前に花の都・フィレンツェ、そして、永遠の都・ローマが待っています。そして世界旅行中、最大のピンチも。 フィレンツェ 100年前のベニスにはあまり感心しなかった眞一、主な理由は、街が衛生的によろしくなかったことだったようです。「水が臭い、夜見た方が良い街」との感想で、1日滞在しただけで旅程を変更して次の目的地フィレンツェに向かいました。丸一日汽車で移動し、夕方にはフィレンツェ

          (ほぼ)100年前の世界旅行 フィレンツェ〜ローマ 1925/10/7-16

          (ほぼ)100年前の世界旅行 ミラノ〜コモ〜ルガーノ〜ストレサ〜ベニス 1925/10/1-6

          1925年6月に横浜を出発した金谷眞一の旅、すでにアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、オランダ、ベルギーを経て、8カ国目のイタリアを旅しています。ジェノバからミラノ、そしてイタリア北部の湖水地方に向かいました。 コモへ 10月1日、早起きしてジェノバを出発し、11時にミラノに到着。ここでもトーマスクックにまずは挨拶です。ただ、観光ツアーがこの日は催行されず、一人で大聖堂や美術館を巡ります。 眞一は、美術館や教会も訪れているのですが、どうも自然に近いところを好んだ

          (ほぼ)100年前の世界旅行 ミラノ〜コモ〜ルガーノ〜ストレサ〜ベニス 1925/10/1-6

          (ほぼ)100年前の世界旅行 マルセイユ〜ニース〜ジェノバ 9/22-30

          金谷眞一、この旅行中2回目のパリ滞在の後は、南仏のリゾートを視察し、さらにイタリアへ向かいます。 マルセイユ パリから13時間の汽車の旅で、港町、マルセイユに到着。ここで驚くのは「7月のニューヨーク以来ずっと冬服だったが、ここは暑い。」と日記に書いていること。今では考えられないですね。マルセイユでは一泊し、ノートルダムラガルド教会などを見物していますが、そのほかに見るものがあまりなかったようで、急遽リビエラ見学を思い立ち、午前中にマルセイユを出発しました。 ニース 5

          (ほぼ)100年前の世界旅行 マルセイユ〜ニース〜ジェノバ 9/22-30

          (ほぼ)100年前の世界旅行 アムステルダム〜ブラッセル〜パリ(ヴェルダン) 9/12-21

          ベルリンでシーメンスの面々と旧交を温めた金谷眞一。この旅行中2度目のパリへ向かいます。 ベルリンーマインツーケルンーアムステルダムーブラッセルーパリ この道程は、一泊しながら毎日移動していますが、短い時間でも観光は欠かしません。この時眞一は46歳。長旅でも元気な様子です。 この移動中に出会った日本人のことが日記にあります。ケルンではアメリカに2年半留学し日本に帰る途中の下野一霍(しもの いっかく)砲兵大尉と出会いました。ブラッセルでも欧州の教育視察中だった児玉九十(こだ

          (ほぼ)100年前の世界旅行 アムステルダム〜ブラッセル〜パリ(ヴェルダン) 9/12-21

          日光金谷ホテル150周年記念グッズ

          この週末、ホテルのショップで見つけたグッズ。カ、カワイイ。。。 ステッカーは、150年の歴史の中で実際に使われてきたデザインの10枚セットですが、今見ても美しかったり斬新だったり、何より懐かしい!あー、これマッチの箱だ、とか、ラゲージタグだ、と思い出しますねぇ。ブラスチャームは今も現役のルームキーのデザインです。なつい、エモい、の方続出かと。 そして、トラベラーズノート。こちらは眞一の旅行記ノートもヒントになっていたら嬉しいのですが、革のカバーが美しいノートです。リフィル

          日光金谷ホテル150周年記念グッズ