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沖縄を歩く (4)


 2月上旬に沖縄を訪れた際の紀行文の続きです 嘉手納町を離れ、隣町の読谷村を訪れました
 沖縄慰霊の日に合わせ読谷編を投稿するつもりでしたが、間が空くので読谷編を先に投稿します 読谷にある戦争史跡を見て そこでの感想を綴っていきます

⚫読谷村にて

  嘉手納町を出る頃には雨が止んでいたように思う 読谷村にいる間は曇っていた 読谷は沖縄の中でも好きな場所である 山らしきものはあまり感じられず、そのせいか空が広く感じられ 丘陵地から海岸までなだらかな斜面が続き のどかな風景で訪れるたび心地よさが感じられる 今回の読谷でのテーマは何にするか迷った この近辺にかつて米軍が上陸したことは知っていたが、悲惨な沖縄戦の一つであるこの土地で、戦争に関するテーマを私の中では外せなかった


 読谷の南側に沿って西に向かい、海が見える所まで来た 車を停めて海辺に近づくと石板が見えてきた「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌碑で 艦砲射撃の喰い残し つまりは沖縄戦で生き残った人間の哀歌である
 歌詞は戦争で受けた傷あとや戦後に受ける理不尽さが生々しく綴られているが 曲調は歌詞の内容のわりには抑揚があり、歌詞の意味が解らなければ普段聞くような沖縄民謡と変わらない
 聞く方からすれば、陰陽のバランスをとっているようにも見える ただあまりにも揺れ幅が大きすぎる状況に思えて 私なら負荷の重みに耐えきれず転げ落ちてしまうだろう 
 戦争で受けた大きな心の傷や悲しみを戦後の生活の中に織り込ませているようで 厳しい状況を生き抜いたという事では、逆に人々の逞しさというか凄みを感じる 
 当時の人々の思いが直接 聞く人の心に響く名曲と思えた

歌碑の近くから見える海 


 ここにいる間、風が吹き続けていた 寒さを避け 車に乗り込み海を見た後、来た道を戻った 白いコンクリート製の住宅街を通り なだらかな坂を上っていくと主要道に出た それからしばらく走り チビチリガマの近くに車を停めた 周りはサトウキビ畑が広がりのどかな雰囲気がある 車を降りると木々に覆われた谷間のような場所があり、階段を降りていくと 目の前にチビチリガマ(ガマとは自然洞窟の事)の入口が現れた 先程ののどかな風景とは違い、異様で畏れ(おそれ)を感じるような雰囲気がある 
 チビチリガマは避難民約140名のうち83
名が集団自決した場所である 
 その事を知って訪れていたこともあり、畏れの感覚しかなく、ただ拝むしかなかった


 生きたいと渇望しながら自決した方も当然いただろう その思いを妨げたのは何だったのか
 実際直接に妨げた人物もいただろうし、以前から植え付けられた米軍への異常な恐怖心もあったと思われる

 「生きて虜囚の辱しめを受けず」は大戦中の戦陣訓とされている この精神論は日本古来からの美徳とされる「潔さ」からきているように思う 
 主に軍人に向けられたこの訓示は戦地で多くの悲劇を生んだ だがここにいるのは子供を含めた住民である それを突き付けられた住民はどう感じたであろう 自分ならここで使われる「潔さ」は凶器にしか感じない 

 米軍への異常なまでの恐怖心を植え付けたのは住民の覚悟を促す意図ではなかったか 
 さらに言えば、軍は住民が自決をした既成事実を積み重ね、彼らは崇高な精神で自決したという事にして本土に向け発信するつもりでなかったか
 
 己の最期を本心で遂げられない事ほど無念なことはない

 帰途につく際 今来た階段を登りつき、辺りを見回すと先程ののどかな風景があった
 駐車場に着くと隣に停めていた車の中で男性がシートを倒して昼寝をしている
 個人的には気分を切り替えられたが、ある意味当時ここであった事とは隔世の感がある
 過去の話になるかもしれないが、何故このような事態になったのかの検証は、あらゆる観点から行われていく必要があると感じる


 旅の最後に残波岬に来た 
 残波岬は読谷村の北西端にあり、半島状で岬は海に突き出している 岬には灯台があり海の安全を見守っている
 沖縄本島の南側からの陸地がこの辺りから北東側に向きを変えることで 本土から来る船や航空機は岬のすぐ沖で最終コーナーを回るように那覇の方向に進路を向ける

残波岬灯台 夕陽の名所でもある

 空はところどころで晴れ間は見えるが厚い雲が覆っていた 風は相変わらず強い 人影もまばらであった 
 そういえば米軍は上陸前にこの岬を目印に読谷辺りの沖合いを目指したと言われる
 米軍がここを目指したのは、おそらく地理的な要因が大きかっただろう 
 ここで未来永劫 悲劇が起きないことを願いこの地をあとにした
 
 

 お読みいただきありがとうございました 
次回は沖縄を離れた視点から話しをしたいと思います




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