蔵霧煩

言語と音楽。 死ぬまで変わらず、この2つを携えて日々を生きていきます。

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管理会計の言語空間―小林秀雄「本居宣長」の言語観で紐解く

小林秀雄「本居宣長」によれば、日本語の源流、おこりは「欲」ではなく「情」から始まっていたという。そこは言霊が幸はふ国、言詞のめでたさをめで給ふ世界だ。 遡れば、まだ身の回りにあることのほとんどが、自分でコントロールするものでなく与えられたものだった時代―語彙も少なく、言葉の持つ特性に純粋に感動できた時代―に行きつく。当時の言語に対する特別な思いとそこから生まれる言語生活のありかたを想像するとき、日本語のおこりが「意より詞を先とする」のは当然であったのかもしれない。そして最初に

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