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1年間カフェ経営をやってみた話

2021年6月27日から、
2022年6月26日までの1年間。

広島県福山市の駅前にあるシェアキッチン
"リトルセトウチ伏見"にて
週に1回カフェを経営させて頂いた。

今回のnoteでは、
カフェ営業の総括として、
その始まりから終わりまでを
順を追って紹介させて頂く。


転機の日とネクライトーキー

「この子、Yちゃんっていうんだけど。
 学生で、お菓子作りしたいってことで。
 中島君と相性いいと思うけど、一緒にどう?」

オーナーから、
後に共同経営者となる
女の子を紹介してもらった時、
筆者はシェアキッチンの軒下で
珈琲を淹れていた。

筆者は、機会に飢えていた。

アルバイトの掛け持ちで
生計を立てていた所に、コロナが直撃。
働いていた飲食店では
シフトに入れない状況に陥った。

生命の危機を感じた筆者。
収入の安定する異業種への職種変更を
余儀なくされる。

"飲食店"という夢とは全くかけ離れた、
倉庫の仕分け業という仕事。

今となっては良い思い出だが、
当時の筆者は、本当に苦しかった。

やりたいことができない苦しさ。

思えば25年間。やりたい様にやってきた。
小学校の時の先生に憧れて、教職を目指す。
大学まで行かせてもらって、職に就かずに進学。
そのまま院を中退。6年間で出た結論は、
「先生向いてないから飲食やるわ!」という
なんともお粗末なものだった。

その方向転換すらも、満足にできない。
待っていた現実は、
折りたたみコンテナを仕分けて250個積んで
ラップでグルグル巻く、単調肉体労働だった。

身体的にも、精神的にもキツい。
それより何よりキツかったのは、
「こんなことしてていいのか」という不安が
常に頭の中を支配している事だった。

音楽を聞くことも許されない作業時間。
ふとネクライトーキーの歌が、思い出された。

「お金もない」「努力もしない」
「二十五を過ぎたら死ぬしかない」

 ("オシャレ大作戦"より)

やばい、全部当てはまるぞ。
このまま死ぬしかないのか。

…このままではダメだ。
そう感じた筆者は、
当時1番自信があった"珈琲"を武器に、
「ウチで淹れてもいいよ」と言ってくれる
飲食店を探し回った。

そして、想いが実る。
バイト先の上司であり、
リトルセトウチ伏見で洋食屋を営んでいた夫婦が
「ウチでやりゃーえーよ」と言ってくれたのだ。
夫婦には本当に、感謝が尽きない。

この時から、
筆者の「中島珈琲」としての活動が始まった。

シェアキッチンの入り口前で、
1杯200円で珈琲を販売。1杯200円。
「とりあえずやりたい」で始めたため
値段設定がバグってる。今考えてもおかしい。

洋食屋の奥さんから
「値上げしたら?」と助言頂き、
途中で100円上げさせてもらった。
最初から上げとけばよかったと後悔しながら。

洋食屋のお客さんに、筆者の知り合い。
色んな人に来て頂いて、純粋に楽しかった。

幸せは長く続かない。

順調な様に見えた軒下出店だったが、
夫婦の多忙により、洋食屋の方が継続困難に。
多くの方に愛されながら。惜しまれながら。
閉店する運びとなった。

Yちゃんとオーナーが来店したのは、
洋食屋の営業最終日。

別れと同時に、出会いがある。
まさに、転機の日。

「二十五を過ぎても生きていたい」
心からそう思った。


バタバタのオープン準備

オーナーの提案を二つ返事で受けた筆者。
オープン日まで、1ヶ月間。
バタバタのオープン準備が始まる。

何を売るか。どう売るか。そこからのスタート。

筆者は珈琲。Yちゃんはお菓子。
両者の強みははっきりしていたので、
焼き菓子とドリンクのセット販売で行く事は
すぐに決まった。

だが、お菓子が焼けるのは昼過ぎ。
7時から16時までの利用時間で、
昼からお店を開けても、2.3時間の営業。

そしてお菓子と飲み物では、単価が安い。
タルトセットを750円としても、
2.3時間の営業では、
せいぜい一回転の10-15人程度しか見込めない。
7500円程度の売上では、
キッチンの使用料と材料費止まり。
半日働いて利益0は、さすがに厳しい。

どう営業するか。

2人だけで考えるのは難しかったので、
職場の方々やお客さん、
筆者の家庭教師先のお母さん等々、
色々な人に相談し、ご意見頂いた。

その中で見つけたのは、
8時からオープンして
モーニングとランチを出す営業案だった。

こうして、毎週日曜8時から15時半まで。
モーニング680円、ランチ990円、
タルトセット750円
(いずれもドリンク付きの金額)
というメニューで、営業することに。

お店の名前は、「週末のおうちKano」に決定。

"おうちカフェではなく、
カフェでおうちしてます" がコンセプト。

"Kano"は、Yちゃんのあだ名からつけた。

カフェで使う食器類や器具類は自分で買ったり、
お客様や家庭教師のお母さんから譲って頂いて、
なんとか取り繕った。

色々な方に応援してもらって、
支援してもらって、ついにオープン日を迎える。


激動と感動のオープン

2021年6月27日。
「週末のおうちKano」ついにオープン。

筆者の知り合いやYちゃんの友達に
来店して頂き、祝いの言葉を頂いた。

お店は本当にバタバタしていて、
2人とも激しく動き回った。

勝手が分からず不手際もあったが、
心優しく許して頂ける方々ばかりで
本当にありがたかった。

売上も2万円近くまで上り、
利益がでたことに感動した。

営業終了後、色んな方にインスタ等で
投稿して頂いているのを確認して、また感動。

調子が良いのは最初だけだと、肝に銘じながら。
自己実現出来たことで優越感に浸れた1日だった。


次々襲い掛かる難敵

2回、3回、そして1ヶ月。
売上的には、割と順調に営業出来ていたと思う。

だがその一方で、様々な問題が生じてきた。
特に難敵だった3つを紹介させて頂く。

①値段設定バグってる問題

「ランチ990円でドリンクつくの?安いねー!」
「ランチ安いけど、大丈夫なの?」

全然大丈夫じゃない。またやってしまった。

最初はそれなりに考えて、原価計算していた。
それでも珈琲を単品で売ったのと
同じ程度の利益。ただのアホである。

しかも途中から筆者が暴走し、
原価割れに近いランチを次々に作る始末。
誰かこのバカを止めてくれ…

それでも、値上げする気はなかった。
素人料理に1000円以上払うほど
世の中甘くないと思っていた。
というより、頂くのが申し訳なかったのだ。

ランチはドリンクとお菓子の
"オマケ"だと割り切り、990円で貫き通した。

②朝5時起きキツすぎる問題

8時開店の為の仕込みを6時までにスタートする。
その為に朝は5時に起きる。
これが本当にキツかった。

「自分で決めた事だろ!泣き言いうな!」
と言われても仕方ない。
でもキツかったのだ。本当に。

筆者は所謂パラレルワーカー。
家に帰ってからの風呂飯トイレ寝る以外は、
基本的に職場で時間を過ごしている。

土曜の夜はバーで働き、帰ってくるのが2時頃。
そこから5時に起床。
Kanoを終えて、家に帰ってくるのが20時頃。
その次の日も朝から仕事。夜も仕事。

1ヶ月目はなんともなかったが、
2ヶ月目からの疲労感が半端なかった。

正直モーニングのお客さんも少なかったので、
変えるなら早めに変えようと思った。

Yちゃんに事情を説明して、
9時オープンに変更。
その後結局11時オープンに変更。
「最初8時オープンだったのを、9時に変え、
 またすぐに11時に変えたんですよ。
 最終的には13時オープンにしようかなーって
 思ってます(笑)」
なんて冗談混じりにいいながら、
結局最後まで11時オープンで通した。

③お客さん待たせすぎ問題

注文を受けてから、何分待てるだろうか。
いらちな筆者はおそらく、10分程度である。

営業したての頃は、
注文が立て込んだら平気で30分以上、
お待たせしてしまった。

自分が待てない時間を、
お客様に強要していたのである。
本当に申し訳ない気持ちで一杯だった。

パスタのランチをしていた時期は最悪だった。
パスタを茹でている間も、
ドリンク、バッシング、来店対応…
麺が伸びてしまわないかヒヤヒヤしながら
営業するのは、正直ストレスだった。

Yちゃんも頑張ってくれた。が、
Yちゃんにホールをしてもらうと、
お菓子の提供時間が遅れてしまう。
その辺りが、本当に難しかった。

年明け以降、
ランチメニューを縮小して効率化することで、
早めの提供を試みた。

また、洋食屋夫婦にカレーを作って頂いて、
カレーランチを始めた。
速く出せて美味しいので、安心感があった。

注文の入り方よっては、
5分以内で提供できるようになった。
それでも注文が続くと、
15分程度待って頂いた。本当に申し訳ない。

様々な問題を抱えながら、
改善できる事は改善して、
譲れる所と譲れない所をはっきり決めて、
営業を続けて行った。


意地でも譲らなかったもの

営業を続けていく中で、
色々なものが変わっていった。
もちろん提供するものもそうだが、
自分の考え方、価値観も変わっていった。

例えば、珈琲のドリップや濃さ。
"ネルの深煎りデミタス"が
珈琲の最高到達点だと認識していた筆者は、
Kanoでもネルドリップで行こうと考えていた。
その目論見は、初日にして打ち砕かれる。
どう考えても、ランチを出しながらの
ネルドリップが間に合う訳がなかった。
渋々ペーパーに変更する。


ある日来店した若いカップルが、
ホット珈琲を頼んで
半分ほど残して帰られてしまった。
昼の14時。20代のカップル。難しい空気。
このシーンには、
濃すぎる珈琲だったかもしれないな、と
反省したのを覚えている。

その中で、意地でも変えなかったものもある。
例えば、商品の値段。絶対にあげなかった。
ホット珈琲の溜め置きもしなかった。


また、カフェ営業とは関係ないが、
Yちゃんに渡すお金は必ず工面した。
どんなに売上が悪くても、少ないながら渡した。
大方、筆者の元に残るお金は無くなった。
それでも渡し続けた。

Yちゃんの方も、売上がないのをわかってて
受け取ってくれていた。本当にありがとう。

一種の義務として。
それだけは意地でも譲らなかった。


コロナの影響力

1年間のカフェ営業の間、
福山市ではコロナの蔓延防止措置として
20時以降の営業自粛や
終日お酒の提供自粛が推奨された。

Kanoの営業時間や営業形態には支障がなかった。
むしろ夜に出れない分、
昼に外出される方が増えたのか、
蔓防中は売上が良かったのである。

ただ、蔓防明け以降、
みるみるお客様が減っていった。
街に人が居なくなってしまった。

人のライフスタイルを変えてしまう。
コロナの影響力の強さを思い知った。


そして、別れへ

2人営業を辞めよう、という言葉の中に
ネガティブな要素はなかった。

Yちゃんは大学卒業後、
シェアキッチンのオーナーの下で働く事に。
違う場所に移って、
新たなお店を開く話も出ていた。

筆者は1年間のカフェ営業を通して、
自分の営業スタンスを考える機会を得た。

自分が出来ること、出来ない事の線引き。
自分の強み、やりたい事。

特に、子ども食堂をする上で、どうするか。
どのように資金調達するか。
地域住民と親睦を深めるか。
地域に、子どもに還元するか。

自分のお店は、お酒と珈琲で勝負しよう。
そう決める、良いきっかけとなった。


収穫もあり、課題も見つかった。
このまま続ける事は何の苦もないが、
これ以上何かが生まれることもない。

そう思った。

2人とも次の道へ行く必要がある。
それはYちゃんも、同じ意見だった。



2人での最後の営業。

2022年6月26日。
「週末のおうち Kano」は、
この日を最後に、2人営業を終了した。

洋食屋夫婦から、花を頂いた。

沢山の人から頂いた、
ありがとう。お疲れ様。今後もよろしくね。

色んな人に支えられていた事を、
改めて認識できた。

わがままを聞いてくれてありがとう。
今後も頑張ります。よろしくお願いします。

結局7月からは
Yちゃんが一人でお店をする事になった。
心から応援している。

筆者はリトルセトウチ伏見の
土曜の夜を借りて、
お酒と珈琲のお店をスタートした。
そのお店と向き合っていく。


最後に

Kanoのテイクアウト商品について、
売上の一部を募金してもらっていた。

その募金は、
"子ども食堂をされている方への支援金"
として寄付する目的で集めたものである。

金額にして、1万円ちょっと。
募金について説明した際、
お客様に共感して頂き、
プラスでお金を頂いたこともあった。

このお金は、Yちゃんと一緒に寄付する。
それを、2人での最後の仕事にしたい。


最後まで、わがままだなぁと、我ながら思う。

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