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文書化する事

 このご時世、将来という未来に向けての再構築が図られているであろう、
世代交代と、ネットという全世界と繋がった時代。
日常と非日常は、非日常を重きに置いたのか?!書くという発信のおかげで
カオス状態となったなというものの、歴史上前例がない事態だからだと思う。
 日常に関しては先輩方の伝授に違和感を覚えながらも、従ってきたことも、ネットこんなにも普及するとは思わずに、先駆者部類にあるその流れを、時に日常の多忙に離れた時期はあったが、その間にこんなにも広がるなんて、想像の範疇を超えた今なのだろうけれど、こうして文字起こしするのは、いわゆる内在的な部分であり、本音という見方もあるが、しゃべるという生きた声がなかなか苦手であったり、表現が乏しくなる語彙力の反面の場として、ある場なのだろう・・。
 お陰様で、この場はいい吐き出しとなり、日常でこの手の話を共有する人物もいないところで他人がどう思うが、自分自身との向き合い方の場として、他人と交流はできなくても誰かが見てくれているんだなという最悪、
自分で見返せばいいのかと思う面白いところ。
 
 自分の知る言葉や文脈で、ただ綴っているだけの事。
それに他人が刺さったとしても、それだけの事。と、まさに分断はここから
みたいな感覚は、少々寂しい気もするがそういうもんだなというところで、
こうして書ける(打ち込む)って、わたしにとっちゃ~心地よい場はたしか。しかし、妙なコメント来ると・・。きっと、妙であることに対しての
素直な気持ちを返すのであろうな~。

 {メモ}身体的リアルに、左耳下の腫れが気になりだしたのは、木曜日から。様子見のところ、なぜ?という原因を探るとすごい想像力発動。

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