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♪ボクラはみんな「余命」を生きている♪

 「あとどれくらい生きられるでしょうか?」
 
 この質問フレーズが、がん患者になるととても気になります。
 
 要するに「余命は何年ですか?」ということ。ガン患者の場合、その部位と進行ステージでおおよその予測が立てられるから、ついつい知りたくなります。ただし、あくまで医師からは平均年数の予想値しか告げられないので、当人としてはどこか欲求不満になります。
だって自分の場合はどうか?を私たちは知りたいわけだから。
 
いやいや、知りたくはないけど、知らないと落ち着かないというのが本音でしょうか。
 
 私も主治医に急性骨髄性白血病を告げられた時、しばらくしてから、この問いをしました。
 説明を正確にする担当医さんなので、どうしてもていねいで長くなる。初めて聞く医学用語も次々に飛び出すので、正直、脳内はパンチドランカーのような状態でした。
 担当医の話は要するに「いまは何とも言えません」ということ。その理由は「血液細胞をさらに遺伝子レベルまで検査しないとわかりませんね」という意味の解説でした。
 
 先週の水曜日(2月14日)、「白血球と血小板の数値も回復してきているので、来週から通院治療に変えましょう」と告げられ、二日後に即行退院となりました。
 今回は一時帰宅でないので、「おいらの命はあと何年なのだろう?」とその日の夜にベッドで考えました。
 
 つまりちょっと真剣に「余命」を考えたわけです。
 余命って、どこまで正確なんだろう。だいたい医師だってわからないなりに伝えているわけだろう、と。
 リスクマネジメント、つまり予防線を張って、多分、ちょっと短めに言っているんじゃないか、と想像しました。
 
 たとえば「ステージ4なので、せいぜい1年でしょうね」と言われたとします。それが数か月で亡くなったら、家族は「あの見立ては間違っていたんじゃないか?」と主治医を疑うでしょう。
 でも、ですよ・・・「1年半~2年間過ぎても生きている」とするならどうでしょう。主治医は疑われるでしょうか?
 ガッツリと予想がはずれたのに、ですよ。
 
 しかし責められることはまずないでしょう。
「私の患者さんのなかでは異例です」とか「奇跡ですね」とか「生きる気力が強かったんでしょうね」など、言いようはいくらでもあるから。
 本人も家族も「精一杯、がんばったから」「神様に願いが届いた」などといいように考えるでしょう。
 
 なにはともあれ、余命告知より「結果がよかった」わけだから、ポジティブに受けとめられるだろうな・・・。
 なんてことをつらつら考えながら、いつのまにやら寝落ちしました。
 
 とはいえ医師の余命宣告は眉つばものだから信用するな、アテにならない、と言っているわけではありません。
 かくいうワタシの場合だと・・・。
 がん細胞の遺伝子くんがちょっと稀なケースらしく、抗がん剤の効果も未知数と遠回しにはっきりと言われました。「一応、これが論文に掲載されたグラフなのですが・・・」と見せられ、3年生存あたりからガッツリとド急降下していました。
 5年生存率は20%もないんですね。
「これ、マジにこうなんですか?」
「まあ5つの症例からの論文なので厳密さには欠けます。それにこのデータのサンプルの人は年齢も高いので・・・」
 と不確実性あるデータとして示されましたが、話しぶりは「かなり精度は高いですよ」と言ってるような言っていないような・・・。
 いやいや、さすがに、いい気分はしませんでしたね(>_<)。
 でも今回、白血球が順調に回復し、カッコづきながら「寛解」に近づいていると告げられた時は、まさに天にも昇る気分にもなりました(^^;)。
 
 さて、話題は「余命○年」です。
 
 よくよく考えてみると「人生100歳時代」を真に受けるなら、生まれたての赤ちゃんの余命は「100年」。いま50歳なら余命50年、70歳なら余命30年。でも75歳に交通事故や不慮の事故で死ぬのが予定されているなら余命5年だったかもしれない。
 つまり、なんだかんだ、だれもが「余命」を生きているわけです。たまさかガンになると、そのライフスケールがやけにリアルになって、残りの人生が「わずか数年」になるだけと考えてみてはどうでしょう。
 やがて来るだろうけどいつ来るかわからない「中途半端なその時」が5年以内にやってくるよ、という話なわけです。
 
 もちろん、医師がそう予言?予想?しても、余命は人によってさまざまで、白血病でも5年以上生き延びる方もかつてより多くなってきています。
しかし5年以上生存したとしても「がんサバイバー」となって、いつも心の片隅で「再発の怖れ」を感じながら余命を生きているわけですね。
 
 さきほども書きましたが、がん患者とはいえがんではなく交通事故やケガで亡くなることだってあります。人間、なにが原因で死に至るか、神のみぞ知るです。
 余命を宣告されることがショックなのは、言われたことがないこともさることながら、やり残したことがあればあるほど、そのショックはいかばかりかと思います。
 
 がん患者のみなさんと「余命談義」をしたら、どのような雰囲気になるのかな、とフト想像したりします。
 もちろん深刻な雰囲気になることもあるでしょう。でも心通い合い、別れ際に「あちらに行ったらまたお会いしましょう」「三途の川でサーフィンしましょう(笑)」「いや、私は釣りをしたいな!」なんて交わしながら握手で別れたら、心はそれなりに落ち着くのではないでしょうか。
 
 家族と生を終えて逝くであろう「次界(彼岸)」の話題で盛り上がることは、さすがにむずかしいですからね。
「縁起でもない・・・」と叱られるでしょうね。 
 でもなぁ、ライトな気分で「余命」を語り合いたいな、と思う私がいます。私だけではないと思うのですが・・・
 だって、みんな「余命」を生きているんですから、ね。
 

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