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「白血病と告げられた、その時・・・」

            
23年10月28日、病名を告げられた時のことをもう少し詳しく話します。
 
わずか2カ月前のことだ。ワタシにとっては、まるで古いレコードのように跳ねる針のような記憶になっている。
 
その日、ワタシは定期的な検診に来ていた。1年前に告げられた高安病という名の謎めいた病気のためだ。Y医師は、何かを探るような眼差しでデータの数値を私に見せた。
「○○さんの白血球、ちょっと少なすぎるんですよ」と彼は言った。「これは、まるで抗がん剤治療を受けているかのような数値です。専門医に見てもらいましょう」
その時、私はピンときていなかった。人生はいつも予測不可能な曲を奏でるようなものだから。

翌々日の夕方、血液内科で骨髄検査をされた。2時間後、S医師の口から出た言葉に私は凍りついた。
「白血病です。急性骨髄性白血病ですね。今日から入院が必要です」
彼はそれを実にあっさりと言った。まるで、どこか遠くの出来事のようだけど、それはワタシの人生にとっては、人生最大の危機的出来事なのに。
 
内心では、私は何も感じなかった。人は、受け入れがたい現実に直面すると、うすら笑いを浮かべるという。まさにそんな気分だった。
「ちょっと待ってくださいよ。今日から入院だなんて、準備も何もしていないんです。」と私は言った。一年前の高安病での緊急入院のことを思い出しながら。
 
「先生、月曜日にしませんか?」と私は頼んだ。着の身着のままの入院では、妻さんにも大変な苦労をかける。それに入院中だって、工夫次第で仕事はできる。(これは50日間の入院で経験済み) 

私なりに必死に懇願した。
S医師は困りながら「ならば、月曜日にしましょうか、ね」と言った。
 
そうして私はその週末、遅れ気味の動画の収録に没頭した。これを仕上げなければ超マズイ・・・編集は病室で時間をかけてできる。
私はそう考えていた。
 
月曜日、スーツケースに必要なものを詰め込んだ。着替え、下着、パソコン、iPad、オンライン用カメラ、そして本を数冊。それと手になじんできた豆マウス。私にとっての仕事道具たちだ。
オンラインを使ってのコンサルティングと原稿執筆が私の仕事。これがあれば、病室でも十分に仕事ができる。
とはいえ、治療が始まるとコトはそう簡単ではないことを思い知るのだけど・・・。
 
こうして私の人生の「予定外の章」が始まりました。
 


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