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いまの日本の社会って。

いまの日本の社会について、皆さんはどんな印象を持っていますか?
日本は、以前の勢いはなくなったとはいえ先進国の中のひとつですよね。

そんな日本の社会ってどんな感じかなーと自分なりの言葉で表現してみようと思いました。


日本は競争社会であると思います。
お勉強だけではなく、スポーツやあらゆることで誰が1番かを競う人が多いと思います。
人としてとか、人気のある人とか、男らしさや女らしさなども含めて。


社会というのは幼稚園や保育園から小さな子どもなりに存在していて、小学校や中学校で起きている人間関係というものは、大人の社会の縮図みたいだと感じます。

先ほどの競争社会の他にも、いじめや仲間はずれなどもあります。

大人の社会で起きていることは、実は小学校や中学校でも似たようなことは起きています。


人間関係は、二人以上人が存在している時点で既に何らかの関係が始まるのですが、複数になればなるほど複雑な社会になります。


人ってひとりだと大したことはできないよなぁと思います。

人と協力することによっていろんなことが達成できたりもする反面、人と人が関わるほどいがみ合いやイガイがした関係なども生じてくると思います。

先ほども申したように、子どもの社会でも、
「赤信号、みんなで歩けば怖くない。」
に代表されるように、悪いこともみんなと一緒だとできてしまう。

よく、悪いことをする子も一人一人接すると割といい子たちなんだよね、と先生や大人たちは話をします。



諸外国の社会がどういうものなのか?私は残念ながらよく知らないので、ここでは他の国と比較して日本の社会の特徴とは…というものの言い方はできませんが。

貧富の差について。日本の社会にも実際あると思います。
これは日本だけではなく、インドのカースト制度みたいな階級制もいまは?ですが、以前は存在していたように、やはり諸外国にも存在していますね。

社会主義の中国とかでも、貧富の差はあると聞きますし、ニュースなどを見ても実在していると思います。


さて、話を戻しますが、いじめや仲間はずれについて、もう少し深く考えてみたいと思います。

いじめや仲間はずれは、3人とか奇数になると2対1みたいに分かれる現象がよく起きますが、同様に複数の人が集まると仲間はずれのようなことが生じたりします。


外す側と外される側。
お互いの思いについて考えてみますと、、

外す側は、面白くない、という感情から誰かを外したいという考えになったり、いじめや仲間はずれをしないとやってられない状況みたいな感情からそういう行動をする場合があります。

外される側をイメージしてみると、仲間内の中で外す人とは違うタイプだったり、あの人なら言っても害がないに違いないと思われがちな俗に言ういい人だったり、出る杭打たれるのタイプだったり、大人しくて反抗しそうにない人など。

外す側は、何か気持ちの吐き出しができた気持ちになったり、自分が外されなくてよかったなーと思うのではと思います。

外される側になる人は、自分だけが外されるタイプではないと悟っていればまだ救われるところはあるけれど、自分だけが外されていると思ったり、仲間がいないと感じた場合の孤独感は半端ないでしょう。

できたら、いい人キャラを返上してでも、外される側から外す側に回れたらどんなに楽だろうと思う人が沢山いると思います。



なぜ、私がこんなどっちつかずな書き方をする人間になったのかというと、学童クラブで働いた経験が大きいです。

学童クラブは、小学生が放課後集まって過ごす場です。
小学生にも対立やいじめは当然のようにあって、その度に騒ぎになるのは日常よくある話です。

そのとき、必ず仲介に入るのが私たち大人で、必ずどちらの言い分も聞く。その上で両方の考えをよく聞いて、一方的に済まさずに大人しい子の話も聞き出して相手に伝えることをします。

そんな作業を繰り返して過ごしていると、いじめられてる子にもいじめている子にも理由があって、どちらか一方だけが悪いと簡単に片付けられなくなりました。

なので、揉め事や仲間はずれが起きるとどちらの立場の気持ちについても深堀りして考えるような性格になったのかもしれません。


人が複数集まると社会ができ、また競争心が芽生えます。
そのため、複雑な競争社会が絡み合い、人間関係の面白くない出来事がたくさんあって、いじめや仲間はずれが起きるのではないかと思うのです。

面白くないことの解消のために、いじめや仲間はずれなどがあったりするのも何だかなぁと思います。



その一方で、自分らしく生きることを優先する人とか、人との争いばかりするよりは、自分が納得するような生き方であればそれでいいという考え方をする人もいます。

そう考えるのはなぜか?は人それぞれ違うでしょう。

でも、争いごとや仲間はずれのゲームみたいなものに巻き込まれることよりも、人とは比べなくても平穏に暮らせることを願う人もいるのではと思うのです。


平和を望む考えと争いごとを好む考えは、いつの世も共存しているのではないかと感じます。


今後の社会、日本だけではなく日本を取り巻く世界で、平和と争いが均衡をもって成り立っていけるのか?

それには、ひとつひとつの小さな社会の中での人間関係の在り方が社会問題とか戦争と平和の問題に大きく関わってくるのではないでしょうか。


いまの日本にも、争いを好む人ばかりではなくて、まぁまぁ、ケンカもそこそこにして仲良くやったら?と思う人もいるように思うのですが…。

皆さんはどう思いますか?









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