「何者かになりたい」は"幸せ"なのだろうか?

「何者かになりたい」
と漠然と考えたりします。
これってみんな思っているわけではないんですかね?

そう考えている以上、「何者かになる」と言うことが"幸せ"に繋がるのかなと思っているのですが、どうでしょう?

でも、同時に「何者にもならない」こともまた"幸せ"なんじゃないかと感じたりもします。
ちゃんと収入のある職につき、
困らない程度の衣食住を得て、
余暇を趣味に費やし、
仲の良い友達とそこそこに遊び、
旅先では美味しいご飯とお酒に巡り合い、
家族と時間を共にする。
うーん、これは所謂"幸せ"な生活な気がする!

これの何が悪いのか?
上記の生活をあえて「何者にもならない」と表現したけわけだけど、
別にみんな何者かなのはわかっているのよ。
では、私が思う「何者かになりたい」ってなんなのか?
「何者かになる」ってこの生活を捨てることになるのか?
別に捨てるわけじゃないよなあ。

ただ、「もっとできるんじゃないの?」とか、
「本気で何かやったの?」とか、
「お前この生活に満足してるの?」とか、
そう言うことを今なんとなく感じてる。
それができた先に「何者かになる」って言うことがあるような、
そんな気がしてるのかもしれない。



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