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ぼくとラジオと不思議なこと

与えられることで人は興味を養なってきた。
絵本ならエターナルな
「色」、「生きもの」と「食べもの」
そこから
テーマが分かれて物語となって
面白い!と思った
楽しい!と感じた
はずだもの。

自分の好きなことが分かり始めた頃。
与えられていたテーマは
良くも悪くも選ぶことができるようになり
年齢とともに経験を行動に変えながら
それが不思議〜興味〜追求〜研究へと高揚し
やがて多くの人と同じ様に自分だけの「見つける」に変わっていった。


l順調だったのに

塾に行かされても廊下に立たされるくらい人から与えられた勉強が嫌いだった。
ところが、
「知る」ことがこれほどエキサイティングな感情はないと感じるようになる。

いろんな音楽を聴き始めたころだったかな。

「えっ、すごくないか?」

褒められ、認めてもらうこととは縁遠いはずだった。それが『未知』との遭遇なら
「知らなかった、びっくりだよ!」
驚きは支配的だった。
「そういうことだったのか!」
これなら感動よりも“開通”に等しい。
これは決して大げさな感情でもない。

さて、置き換えて、自分もここまでは順調だった。

ところが自分の場合、興味への刺激は脳で受け取っていたもんだから感情の深さは低く続かない。

飽きっぽいから「極み」「プロフェッショナル」という表現に縁遠い(あこがれはあるけれど)。

でもね、そんな「自分の感情が湧き立つものなんて”そうそうない“よ」と諦めながら生きていると淡々と過ごすことに抵抗感もしぼんでいく。

lアンバランスはやがて

そんな薄っぺらい興味だから、学者でもなれなければ、識者でもなく、マニアだってなれない。
だから得意分野でマウントをとるなんてやりたくても出来やしない。

学生生活とともに授業が終わり、社会人ともなれば上司や先輩から格言のごとく「バランスよくね」「トレードオフ」だのと、標準化だけにとどまらず『暗黙の了解と共感』の様な不思議な世界の中で生きていると、いつの間にかそんなことを自らも繰り返し、すり込みながらそれを良しとする微妙な調和や同調の環境にもうひとりの自分がだんだんと嫌気がさしてくる。

次第に、自分のなかにあった気持ちの自然なバランスが揺れ始め、だんだん聞き役になりながら一歩引いたところでじっくり観察をする様になり、自分はみんなと違うんだというスタンスをとり始め、ある種”変わったひと“になる。

そのせいか、話さないことで観察力や聴くという立ち位置が身につく(様な気がする)。

すると、‘傾聴力は聞き上手とは少し違う’ということにようやく気づきはじめる。少なくともそういうことでいろいろと気づかせてくれることになるし、そこから興味も広がるんだと自分に言い聞かせて自分を肯定し始める。(あれ、違うかな)

なのに広くて浅い興味はなかなか耕されず、開いた双葉は実をつける前にいつの間にか枯れていくのがレギュラーになってしまう。

l副詞と形容詞で聴く

聴く立場が多くなり、音楽とか旅行とかグルメとか趣味話も、その人がそこからどんな気分になりどう過ごすことができたのかが興味が移ってくる様になった。

楽しく、豊かに、のんびりと、という副詞
鮮やかな、清々しく、あたたかい、圧倒的なという形容詞
その人の人柄と原動力に注目したくなる。

驚き、衝撃、揺れる感情も
迷い、発見、決意も

そんな”変わったひと“を自負する自分が好きなラジオ。
チャンネルから届いてくるラジオパーソナリティの声が自分に向かって語られ、そんな妄想中の自分が聞き役となって存在する。
なんたって自分に与えられ語られる話を聞いてればいいのだし、講習や会議と違ってずいぶん気が楽なもん。

さらには推しの音楽までながれてくるなんて、なんてサーバントなんだろこれ。
「ながら」と「まどろみ」の究極な時間に今だからわかるよさもあるじゃない。
いろいろな聴き方ができる、まさにマインドフルネス、、かな?

l今日もまた声を聴く

教師が話し、生徒が聞くだけの一方的授業は学生で終わったはず。

なのにね。人の考えや想いを聴くのが一番楽しみになった。
ないものねだりと「それ一緒」感が意外な共通点を発見できるときになったりして。
妄想も空想もリアルと半々のラジオから気になることがグッと入り込んで、しぼみかけた興味がまた湧いてくるから不思議だよ。

発信したい側と聞きたい側で数十秒でも仲間のようになりたいという距離感も、そして毎週決まった時間帯にひとりの様でひとりじゃない世界観、それすらも心地良きパートナーになってくれる(おまけに都合よく)。

ああ、今日も自分のチューニングが必要だ。
また、こころのサウナの様なラジオの時間がやってくる。
また、もの知りの人やプロの引き出しから驚きとあこがれ、臨場感とともにいろんな思いを与えてもらうんだ。

先日、球場アナウンス2000試合を成し遂げた千葉ロッテマリーンズ谷保さんのコールで‘よしやってやるゾ’という気になる選手がいるとニュースを読んだ。
声は力だよ、つくづくそう感じた。不思議としか思えない。

そして、お気に入りのラジオ番組を訪れて、姿の見えないその他多くのリスナーのひとりとなり、
アンバランスだった気持ちとくすんだ心を整えて、不思議な仲間意識と自分に合った副詞と形容詞に包まれて天国の時間に安堵するんだよ、きっと。

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