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終着駅 連絡船2【安顕.芦田愛菜】



🚊240列車

 持ち時間があっという間に無くなり春休みを迎えた小生は【室蘭06:51発240レ】鈍行長万部行で出発し長万部09:07分着
 長万部発10:13分の小樽始発130レに乗り換え、函館着は13:16分である。
 函館桟橋発15:05分の青函連絡船20便まで時間をつぶし、そこから丸四日間連続乗船して全便・全運航船に乗る計画だ。
 一日分を残したのは18きっぷで出発地へ戻るためだ。時刻表上だけの適当な計画は小生の性格に由来する。
 それ以外はなにも調べず、さしたる準備もせずに無謀な少年は室蘭駅から出発してしまった。
 鈍行列車に六時間ほど乗車し、青函連絡船の函館桟橋へ着いたのは昼過ぎ13:16であった。
 当時の青函連絡船は津軽丸型の八甲田丸、大雪丸、羊蹄丸、十和田丸、摩周丸という五隻の貨客連絡船と石狩丸、桧山丸という貨物連絡船に客室を追加装備した貨客連絡船二隻の合計七隻で運航されていた。
 乗物好きの高校生には、鉄道連絡船にダイヤグラムが存在するという基礎知識すらなかった。効率的に全便を最短時間で乗船するという発想も当然ない。
 

🚢青函連絡船全盛期

 昭和三十~四十年代出身の道産子は『初めての本州』は修学旅行か受験ででの上京がほとんどであった。
 その際利用する交通機関は昭和四〇年代までは【青函連絡船】が圧倒的メインルートである。飛行機はスカイメートを利用しても正規運賃の半額だ。【札幌(千歳)→東京片道25,500円】は高嶺の花で、繁忙期は搭乗が確約されないため余分な宿泊費が発生する危険がある。学生には手が出ない代物だ。
 国鉄利用で東室蘭→上野間は【普通運賃10600円新幹線+特急料金6350円】だ。これで普通車指定席に乗車できる。※連絡船は自由席
 飛行機利用の場合、千歳までの汽車賃2630円、羽田からのモノレール代230円が別途必要になる。飛行機本体が半額でもそれほど割安にはならない寸法だ。ただし所要時間は飛行機利用のおよそ四倍の14時間かかる。
 行き帰りの食事代や疲労度を考えると飛行機利用のほうが断然便利なのは言うまでもない。【鉄道ファン】以外は飛行機利用が主流となり昭和五十八年当時は東京~札幌の移動は八割強が飛行機となり【鉄道連絡船】は斜陽な交通機関であった。
 小生の初本州は昭和五十五年である。中学三年生の東北方面修学旅行の機会にやっと念願の青函連絡船に乗船した。
 

🚢私と函館の縁

 我が家は父親の本籍地が母と結婚するまで函館市であった。正確にいえば出生当時は亀田市である。松前町出身の母親と結婚した機会に室蘭市へ本籍を移動した。道南の函館や松前は墓参や帰省などで結構頻繁に訪れる土地であり、平均で年二回以上は訪問していただろう。
 幼少期に乗り物好きとなった理由は函館港へ入港する連絡船と祖父宅前の線路を疾走する特急北斗だ。連絡船や特急列車は眺めるだけで満足する大好きな乗り物であった。しかし『内地へ渡る用事』は、親戚が北海道内で完結する我が家には当然ない。乗船する機会は十四歳まで訪れなかった。

🚢連絡船員の大叔父

 母の叔父は戦中から昭和三十年頃まで連絡船の乗組員で、戦中戦後の混乱期や洞爺丸事故の顛末などを耳に巨大なタコが完成するまで繰り返し何度も聞かされた。
 連絡船の戦禍における撃沈事案や洞爺丸の凄惨な情景は幼児に聞かせた訳ではない。親戚の宴席で父や祖父などに聞かせていた話を小生も一緒に聞いていたのだ。
 しかし『門前の小僧』として英才教育された過去の顛末は、現在でも記憶している。洞爺丸事故で遺体が流れ着いた七重浜の状況は写真で知らないはずなのに実体験のように記憶の隅にある。
 普通の道民より連絡船は小生にとって身近な理由はそのせいだろう。【三つ子の魂】は脳裏にしっかりと刻印されている。好き嫌いという感情が確定する以前に【深層意識】へ潜伏しているようだ。

🚊東室蘭~函館189.5㎞【その先は内地】

 東室蘭~函館は189.5㎞東室蘭~室蘭は8.1㎞の距離だ。およそ200㎞離れた室蘭に住む小生が連絡船で青森へ渡るのは一大事業である。
 我が家が特別な訳ではなく同級生の半数以上が『修学旅行が初めての内地』であった。バブル期以前の道民には家族揃って本州へ旅行することは贅沢と同義語である。
 北海道では、本州方面への旅行を【内地に行く】と言う。さすがに最近は【死語】になっているようだが。
 道民は青森や秋田、岩手などが出自の家系も多く、親戚の冠婚葬祭で内地旅行する機会が皆無ではない。
 それなのにお隣の青森県を含めた本州を【内地】と呼んでいた。
 最近は『弘前城の桜まつりを見に行く』などが北海道民にも普通の家族旅行となっている。苫小牧や函館のフェリー桟橋は【札幌・函館・室蘭】などの道内ナンバーが占拠している。昭和期より冠婚葬祭以外の『家族旅行』は敷居が下がったのだろう。
 昭和後半の時期は『平成令和より経済的に恵まれていた?』と勘違いしている向きも多い。日本が失ったのは四十年という時間や経済的繁栄だけでなく【家計の記憶】も含んでいるようだ。
 バブル期にあっても一般家庭は今ほどモノが溢れておらず、経済的には令和よりおしなべて貧乏であった。我が家のような貧乏家庭でなくとも『泊りがけの家族旅行を年に何度も行く』のは【贅沢の極み】であり【お大尽家庭だけの特権】であった。
 

🚢♬はるばるゆくぞ青森~♬

 ♬はるばる来たぜ函館~♬の反対バージョン♬はるばる行くぞ青森~♬である。仕事で往来する一部の人々を除けば、津軽海峡を渡るのは『隣の県へ行く』という感覚より、現代の【海外旅行】に近く、心理的な青森への距離は遠かった。
 北海道は存外自己完結できる土地で、東京へ行かなくとも札幌へ行けば何でも揃うというのが【札幌周辺地域】に住む道民の偽らざる感覚だ。そして生涯道内暮らしという道産子が大半である。
 小生の中学校三年時の同級生45名のうち、地元へ残ったのは半分程度だが、道外に暮らす者は小生を含め5人だけらしい。およそ一割だ。
 首都圏や関西圏の以外の県で、県外在住者が出身者の一割という県は恐らく愛知と福岡だけだろう。教育や就業機会という面でも自県完結ができる数少ない地方が北海道だ。
 

🚊内地に出稼ぎ

 内地という大時代的な言いまわしは過去の慣用表現となった。
 小生を含め年配の者しか使わない前世紀の遺物的用語法だ。しかし地元の友人や親戚縁者に【内地に住んでいる】とか【内地に家を構えた】といわれても違和感はない。
 私自身もよそ行きの場所で『仙台に七夕祭りを見に行く』という。表向きには『内地なんて言い方もうは使わない』ともいう。それでも心の奥底では本州・四国・九州はやはり【内地】だ。
 40年ほど本州で暮らし、嫁も子供も関東人なのに、滅多に使用しない【内地】という言葉が本音ではしっくりとくる。『北海道は内地ではない外側』という意識が心の奥に棲みついているらしい。
 古参道民にとって『内地は出稼ぎに行く場所』であった。冬の北海道に冬季間確実に存在する仕事は雪かきだけだ。小生は【雪かき作業】にありつけないかったので道外で四十年間の長期出稼ぎ中だ。
 北海道を離れ広島や京都、神奈川を経て千葉県内に定住すること十数年、いつの間にか自宅まで構えてしまったがいまだに『仮住まい』という感覚がある。『いつか北海道へ戻る』という意識が深層にあるのかもしれない。
 自分の生まれ育った場所が【外】で、仕事をするために【内】に住むというのは本末転倒気味なのに『いずれは外に戻る』とは珍妙かつ滑稽だ。【諧謔的思考】そのものだろう。
 この意識は北海道出身者の共通項ではない。道産子全員に聞いて回るのは不可能だが、道外勢の友人間では共通意識である。世代間で意識は異なるだろうが、年齢が違ってもそれほど差異はないのかもしれない。

🚊広すぎる大地

 北海道は日本国内にしては残念なまでに広大だ。地域差も厳然と存在する。稚内と根室、釧路、函館など内地の人々は同一県内の地域と捉えていようだ。しかしそのすべてを訪れた事がある道民は半数にも満たない。
 博多に住む人にとって鹿児島や宮崎は遠隔地の感覚だ。新幹線が開通して博多から鹿児島はニ時間以内なのに心の距離は厳然と存在するようだ。同じ九州でも頻繁に往来するのはほんの一部の九州男女で、実距離の300km以上に心理的な距離は遠隔のようだ。
 鹿児島に単身赴任していた知人は盆・暮れとGWぐらいしか福岡へ帰っていなかった。責任ある地位の者が頻繁に帰宅できる雰囲気ではないらしい。
 津軽海峡までの距離が鉄道で300Km以下になるのは空知の岩見沢より以南である。函館から稚内まではおよそ680Km東京~岡山より若干短い程度の距離であり新幹線も利用できない。そのため札幌丘珠空港を起点とする空路が速達手段である。高速道路や特急列車を利用しても函館から稚内へ行くには最低10時間を要する。日帰り不能だ。

🚊道央・道南地域の人口密度は宮城県並み

 札幌周辺の道央地域と道南地域を合わせると、人口比では北海道全体の八割を超える。五百五十万道民のうち四百五十万人は岩見沢以南に住んでいることになる。しかし道南・道央地域は面積比では北海道全体の三分の一程度の広さでしかない。
 鹿児島や宮崎と福岡を隔てる心理的距離と同じような意識が、同じ県内・・・道内だが、道民意識にもあるのは当然なのだろう。
 共通性が薄くなる面は致し方ない。北海道を一つの県のように考えて旅行計画をたてるのは、地域の広大さという点で無理筋となる。
 札幌まで1時間半程度の地域で育った小生のような室蘭出身者は、どちらかと言えば北海道のマジョリティーに近い感覚で、札幌へ行くのは『ちょっとドライブ』の感覚だ。高速道路や鉄道が電化されて50年近く経過した理由も大きいだろう。札幌~東室蘭は129kmという距離なのに。

🚊釧路・根室・北見・稚内は寝台列車の距離

 札幌から道東の釧路、北見・網走、道北の稚内へは10年ほど前には寝台列車が通っていた。
 札幌圏に暮らす道民の共通意識は、都市基盤や交通網、人口密度的に類似性が高い仙台周辺の住民と似通っているのかもしれない。
 『道北や道東の出身者は東京や大阪へ飛行機で行くほうが札幌へ陸路で行くより早い。そのため道外の大学や就職先を志向する。』という説もある。
 どの程度道外へ流出しているのか実数は不明だ。しかし感覚的になら理解できないこともない。それほど札幌から根室や稚内は遠い場所だ。
 

🚊終の棲家

 そうであっても、生まれ育った故郷を終の棲家としたいという想いは、道南や道北出身に限らず道産子の共通項らしい。道産子に限った事ではなく世界標準の共通意識だといっても差し支えないのかもしれない。
 世界中の国々で一定数の人々は地元へ愛着を抱きながら遠く離れた街で暮らしている。現代社会では、ふるさとから一度も離れず生涯を終える者のほうが少数派だろう。
 道産子は内側の内地から飛び出した者の子孫で【始祖の地】へ戻ったのになぜ外側へ【戻りたい】と思うのだろうか。
 東北地方より極寒で、作物の生育も悪く、前世紀には蝦夷地と呼ばれた場所なのに。
 祖先達は飢餓に怯えながら、どうにかこうにか開拓した化外の場所だ。移住一世は内地へ戻る事を夢見ていたのにだ。先祖伝来の労苦はDNAには記録されていないのだろうか。
 それとも困難の末獲得した【現代の北海道】という【美田】を手放すのは『惜しい』という心理が働いているかも知れない。
 疑問の答えは簡単には出そうにない。
 内地という字ヅラと言葉本来の意味は、北海道出身者の心の中にある郷愁と乖離している。私にとっての内地はやはり異国で外地【北海道】が未だに内側なのだろうか。

🚢ブラキストン線と安田顕・・・芦田愛菜と松雪泰子

 いずれにせよ、はるばる出かける津軽海峡は道産子にとってブラキストン線(※動植物の分布が北海道と本州では異なることをイギリスの動物学者トーマス・ブラキストンが提唱した境界線)以外に心理的抵抗線が存在する。
 函館から室蘭は200㎞離れている。それなのに津軽海峡を渡って北海道に上陸すると『帰ってきた〜』という感慨が押し寄せる。親の出身地ではあるが小生は函館に住んだことがない。
 やはり道産子が普遍的に持つ共通意識のせいだろうか。
 郷土愛は【盲目的で冷静な判断力を麻痺させる。】危険物質という側面も否定できない。出身地や母校が同じだけで、見ず知らずの人物に親近感を抱き警戒心が薄れるのは私だけではあるまい。
 出身地や母校以外の共通項がいくつもある有名人は身内の者のように誇らしい。当然の帰結としてその有名人を自慢する。
 私と同郷だが幼少の頃しか面識が無い安田顕氏は、当然自慢の対象だ。出身地と母校が同じで、従兄弟の仕事仲間だったと言う微かな理由だけで、知名度が上がる度に自分の事のようにうれしい。
 機会あるたびに『安田顕と同じ町内で母校も一緒です。』とのたまう。
 そして『母校は円型校舎で芦田愛菜と松雪泰子が出演した『MOTHER(※2010年日テレ系)というドラマの舞台となった学校です』と自慢している。
 故郷とは好き嫌いはあるにせよ、冷静さとは対極の場所である。
 そういう訳で私にとっての【函館】と【連絡船】は特別な意味を持つ。

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