仮説思考より大事な『仮定思考』

「自分に足りないものは?」という優秀な営業マンの問い

先日、優秀な営業マンである友人と話している中でこんなことを聞かれた。
彼は非常に優秀なのでラテラル(水平)思考もロジカルシンキングも仮説思考も自然と使いこなしているし、ちゃんと顧客に必要なものを引き出してあげる能力に長けている。

だが、それでも限定的な場面(営業以外の時)において「自分のアドリブ力の無さ」が気になってしまったという。
それに対する僕の答えがこれだった。


『仮定思考が足りない』

仮定思考なんて耳慣れない言葉だし、いくらググっても出てこないと思うので、最初は彼も面食らっていたし「仮説思考なら出来てるよ?」と返してきた。

その通り、彼は仮説思考は出来ている。でも僕が指摘したのは『仮定思考』だ。

彼は細かいことを具体的なところまで落とさないと話が進まないというちょっとしたクセがあった。
それは営業としてトップ街道を進む中で生まれたもので、営業のヒアリングとしては正しい。

「Aが足りない?」「Bが足りない?」「じゃあA'は?」「Cという選択肢もありますよ?」
こうして顧客の状況をヒアリングする中で、顧客の気付いていない本当に必要なモノを引き出すのが営業の正しい在り方だからだ。
そのためには顧客が分かる形にまで話のレベル(具体性)を落としてあげないといけないし、様々な仮説力が必要になる。


仮説思考のひとつ先が仮定思考

では僕の言った『仮定思考』とは何か?
どれだけ仮説を立てたとしても、それは全て「(仮)」に過ぎない。
その(仮)を一度取っ払って、「とりあえずこれを真説と仮定する」ことが仮説思考の中で一番重要なのだ。

さっきの例で見ると仮説思考だけであればこんな状態だ。
(仮)Aが足りない?」
(仮)Bが足りない?」
(仮)じゃあA'は?」
(仮)Cという選択肢もありますよ?」

これらの質問は顧客の言葉ではなく、「自分で立てた仮説」から出ている。


答えをくれるのは誰?

では、この「自分で立てた仮説」に答えをくれているのは誰だろう?
そう、顧客である。
この場合、質問を通して全て顧客が(仮)を取っ払ってくれているのだ。

では顧客がいなかったら誰が(仮)を取っ払ってくれるのだろうか。
紛れもなく、「自分」しかいない。
その「自分で仮定を決定する力」が彼には足りなかったのだ。

だから、「仮説を自分で決定するという時の『仮説アドリブ力』が弱い。
仮説を頭の中で並べるだけ並べて、そのどれが一番良い仮説なのか、優先度や重要度の指標を付けられないでいる。
その結果、どんな優秀な仮説も破棄されて思考停止になってしまう。
とにかく、「一旦この仮説を採用してみよう」ということを意識して行うことが大事。

そう結論付けた僕に対して彼は相当な腹落ちを示してくれて、やるべきことは見えたようでこの話は終わった。


『仮説思考』という言葉が先行して得られない力

『仮定思考』は、「言われればそうだよね」くらいのものでしか無い。
ただ、一時期流行った「仮説思考」の完成に必ず必要な要素なのに、言語化されて論じられることが少ない力だと思う。
「意思決定」ほど強いものではなく、「この思考に一瞬GOを出す」程度のものだ。その仮定が間違っていたら数秒後には廃棄されているかもしれない。
だけど、その仮定が無ければその先の新たな仮説を生み出すことも出来ないのだ。

ひとえに仮説思考と言っても、良質な仮説を生み出すためには「仮説→仮定→仮説→仮定→....」の何重ものループが必要だというこの構造を忘れてはいけない。

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