おたけについて
初めまして、竹中美優です。(タケナカミユウ)現在は、25才で大分県に住んでいます。私は、一般的にいうレズビアンです。ただ、レズビアンという言葉がどうも好きになれないので、自分ではおかま、ゲイと言っています。女好きのおかまと自分のことをよく表現します。趣味は筋トレで現在は筋トレ歴は三年半です。去年から増量期を設け現在は体重が53kgです。女の子が好きなのに残念ながら身長が低く少し盛っていますが155cmでしょう。今は坂道オタクとしか言いようがないくらい、坂道が大好きです。人生で一番の後悔は、母のお腹の中に男性としての大事なシンボルを忘れてきてしまったことだと思っています。現在はパニック障害を患いながら、起業への道を進んでいっています。
起業を選択するまでの経緯
立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部を卒業しました。(2017.9)
卒業して3日後に東京へインターンシップをしに行きました。
その4日後には、市川駅で失神(酒のせいでした)してしまい頚椎を捻挫。
一時寝たきりの状態が続きました。
(処置後)
残念ながら、このケガがパニック障害を引き起こす原因となってしまいました。
しかし、まだこの時点ではパニック障害になっていることに気づかず自分自身、”不安”という感情を見て見ぬふりをする日が続きました。
ケガをしてしまい、そこからは
”また、どこかで失神をしてしまったらどうしよう”
という思考に取り憑かれる日々が続きました。
しかし、ケガをしてしまったことで今までのように呑気に生きてられんと思い、特に何の事業プランもなく漠然と起業をすることを目標へ掲げるようになりました。
そこで出会ったのが現在APUの学長であり、ライフネット生命の創業者である出口治明氏です。
出口学長と会ったことで、様々な経営者と会いたいと考えそこから様々な方とお会いする日を過ごしました。
そんな日々を過ごしながらも、私は岩井コスモ証券への内定が決まっていたため、まずは新卒で結果を残すことを起業と同時に考えていました。
今思うと、とにかく新卒で入社して誰よりも早く営業トップをとることしか考えていなかったことが、自分自身を追い込むプレッシャーへと変わっていっていたのかもしれません。
精神状態が安定している時に与えたらこのプレッシャーはいいストレスへと繋がっていたと思います。ただ、その時の私には到底自分が不安障害を抱えているなんか考えたくもなかった。それが、結果として最悪なものへと繋がりました。
まず、私が初めてパニック障害の洗礼を受けたのは、新卒の研修会の時でした。そして、慌てて病院へいきパニック障害という診断に繋がりました。
しかし、新卒でパニック障害なんてその時の私には到底会社へは伝えられなかった。それが結果として、入社3日目で会社で失神、その後休職、3ヶ月間の休職期間を経て依願退職へと繋がってしまいました。その後は、きれいな転落人生だと思います。2018年の1年間で5社をいったりきたりしてしまい、退職の原因のどれもがパニック障害でした。パニック障害が原因でクビになるなら、そんな人たちが生きづらさを感じずに働ける社会を作る側になろう、そう思い起業を決意しました。(2018.3.27)
メンタルヘルスケアの必要性に気づいた
私が現在手がけているプロジェクトは、オンラインで臨床心理士や精神科医などの心の専門家の方と心を整えることが必要だと考える全ての人をつなぐプラットフォームを作成しています。
なぜ、このプラットフォームを作成したかというと、不安を抱えたまま目を逸らしながら生き続けることによって、結果として精神疾患に繋がってしまうケースが多いからです。
私は、失神をしてしまった次の日明らかな体調不良を感じました。
頭をきっていたこともあり、頭痛や首から下の動かしずらさや微熱に違和感を感じていました。その夜、低血圧のような症状が起き、2日続けて救急車で搬送されました。
しかし、病院では診断は全くしてもらえませんでした。さらに、忙しい時に大した問題もねえのにくるんじゃねえ、と言わんばかりの対応をされ安心どころか、医者に対して不信感さえ覚えました。
何がしたいの?CT?MRI?とっても無駄だと思うけど
これが医師に発しられた一言でした。
そして、父はこの言葉に安心していました。先生がこお言うなら大丈夫だと。
その後も、家族が口を揃えていった言葉は、
甘い、気のせい、気にしすぎ、すぐ治る、あんまり気にしてるから治らんのやわ
この言葉を投げられる度に、こそこそ泣いていました。家族に理解してもらえなかったのは、かなり辛かったです。
私は自分の気持ちを隠すようになりました。誰かに言って否定されるくらいなら、言わない方がまし。この時期は誰とも会わず、毎日ベットの上で過ごしていたことを今でも覚えています。
ただ、一人だけいつも支えてくれていた親友がいます。その親友は、毎日電話に付き合ってくれ、不安で自分が自分じゃなくなりそうな感覚におちそうになる時にいつも大丈夫と声をかけてくれ何を話すでもなくただ電話を繋げていてくれました。
しかし、親友も生活がある、日中は仕事をしています。
この時人生で初めて、誰でもいいからとにかくすがる相手が欲しいと思いました。
そこで、メンタルヘルスケアを気軽に受けるサービスの必要性に気づいたのです。
これから
私は今、全ての出来事が点となり点と点が繋がっていっていることを感じています。
誰でもいいからすがりたくなるほど辛い、この精神疾患という病は残念ながら誰もがなりうる病気です。
現代病の一つになりましたが、それでも社会の認識はまだまだ恥ずかしい病気とされています。
そして、まだまだ気のせいだと思われる病気です。
誰かが声を大きく上げなければこの現状を変えることはできません。
だから私は声を上げます。
当事者も苦しむけど、家族や両親をも苦しませてしまうこの精神疾患という病から一人でも多く救える日を一日でも早く提供します。
WIZGUYS代表 竹中美優
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