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2023年7月の聖書タイム「一つ星を仰ぐ」

by 山形優子フットマン

山形優子フットマンの執筆・翻訳 by 「いのちのことば社
新刊「季節を彩るこころの食卓 ― 英国伝統の家庭料理レシピ
翻訳本:
マイケル・チャン勝利の秘訣」マイク・ヨーキー著
コロナウィルス禍の世界で、神はどこにいるのか」ジョン・C・レノックス著
とっても うれしいイースター」T・ソーンボロー原作
おこりんぼうのヨナ」T・ソーンボロー原作

天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても
その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。
ーー詩篇19:2ー5

7月7日は七夕でした。子供の頃、短冊に願い事を書いて笹につけ、軒下に飾ったのを思い出します。どんな願い事を書いたかは全く覚えていませんが、御用済みになった笹が色とりどりの短冊をつけたまま、裏の焚き火の上に放られていたのは覚えています。まるで、人の願い事とは一過性のものと言わんばかりに。願い事が叶っても、叶わなくても、どうでも良いかのように。

私は吉祥寺で育ちましたが、その頃の吉祥寺は静かな郊外で、夜になると街は薄暗かったものです。今も忘れらないのは、ある夏の夜の、ちょっとした宇宙旅行の思い出です。それは障子がよし戸に入れ替わり、廊下と茶の間の界に簾(すだれ)がかかり、渡り廊下には蚊取り線香が並ぶ、冷房が普及していなかった時代のこと。家族全員が茶の間に集まっていた時、なぜか私だけ団欒から離れ、縁側にあった父の下駄をはき、一人で夜の庭に出ました。

 そこは、電灯の下に浮き彫りになった茶の間の団欒とは別世界の、夜の神秘が支配する空間でした。庭は銀の光のオブラートに包まれたかのように静まり返り、聞こえるのはコオロギが奏でる不思議な音色だけ。ふと見上げると屋根の上には白い天の川が縦断し、無数の星の瞬きが粒状になって降り注いでくるかのようでした。月見草が夜の戸張の中で満開となり、花弁の一枚一枚が、星の光をたたえ青白く光っていました。これが初めて一人で体験した私の「神秘の世界」、宇宙?への小旅行でした。

冒頭の詩篇19はダビデ王の詩で、神が造られた宇宙の壮大さと神秘を賛美しています。当時のイスラエルで、彼が見上げた夜空はどんなだったでしょうか?昼と夜の対比は、どんなだったでしょうか?また、ダビデの先祖であるアブラハムの時代、イスラエルの人々が天幕を張って暮らしていた頃、砂漠の夜空はどうだったでしょう?長年子供のいなかったアブラハム(当時はアブラムと呼ばれていた。)に対し、神ご自身は次のように語られました。

「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えて見るが良い。」そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』アブラムは主を信じた。」創世記15:5

子供の頃、垣間見た宇宙の顔の一部は、神様が私たちの想像を超えて大きく、広く、深く、壮大であることを教えてくれました。この「別世界」が、すぐ手の届くところにあるというのも発見でした。この世の営みである日常生活の中心が昼間だったとしたら、信仰生活とは夜の静まった時間、たった一人、満天の星の瞬きを見上げるような時なのでしょうか。けれども、昼があるからこそ夜があり、夜が訪れるからこそ朝が来ます。信仰生活もまた、日常生活と切っても切れないもので、初めは乖離していた両者間のギャップは時が経つに連れ、限りなく修錬して行くはず。それこそ信仰者の成熟でしょう。


夜になると星が輝くので、星に気づく私たちですが、昼夜問わず輝き続ける「一つ星」があることを、私たちは忘れがちです。
イエス様は次のようにおっしゃいました。

わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」ーーヨハネの黙示録22:16

日常生活の中、喜びにあふれる時、困難が訪れる時、楽しい時、悲しい時、この「ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星」であるイエス様という「一つ星」を仰つつ、それを北斗星のように道標として歩いて行きたいものです。そうすれば私たち自身も、この世で、天の川を作る満天の星の一つのような存在になれるかもしれません。

既にウィンブルドン・テニスが後半戦に入りました。今年はスターだったロジャー・フェデロが引退し、スペインの星ナダルも出場を見送り、来年には引退するようです。不動と思えるチャンピョンのジョコビッチですが、20代の若手スターたちが続々と登場してきました。この世の星は、やがては彗星のように消えていくのが常です。

私の小さな宇宙旅行は下駄ばきの安上がり旅行でした。今、富豪たちは巨額な資金を注ぎ込んで、月や火星行きに挑戦しています。彼らの視野には既に宇宙旅行の商品化も入っているようです。神秘を金銭と知識などで紐解き、明るみに出し制覇しようと情熱を燃やすのが人間です。何故人は、人間や宇宙など、すべてを作られた方を知りたいと思わないのでしょうか?

手のひらにすくって海を量り、手の幅をもって天を測る者があろうか。
地の塵を升で量り尽くし、山々を秤にかけ、丘を天秤にかけるものがあろうか。
主の霊を測りうる者があろうか。
主の企てを知らされる者があろうか。
主に助言し、理解させ、裁きの道を教え知識を与え、英知の道を知らせる者があろうか。」ーーーイザヤ書40:12-14