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続・天使の法律事務所--持株比率10%の少女 下編

9.作戦会議、再び

 祖母の美佐さんのお宅への訪問から戻ったのが5時。幾つかメールを片付けると、母親の真美さんへの報告メールを書き始める。慎重に言葉を選び、送信したのは6時前。ccに美咲さんと事務所のアドレスを入れた。

 外出していた内田さんと吉野さんも、その頃には戻っていた。事務所が「愛称モード」に切り替わる。
「さて、シンジくん。おデートは終わりで、お仕事の時間だよ」とルカさん。
「あの...これまでも仕事してたつもりですけど」
「この事案、君ならどのように持って行くかな」と内田さん。
「最初から問題だったのは、どうやって株主の権利を行使するかです」
「そうだね」
「そのためには、株主総会の目的事項を明らかにした上で、開催を請求する必要があります。総会決議事項となる議案を用意しなければなりません」
「その他の少数株主権は、現段階では本事案には関係ないね」
「でも、どうすればいいんだろう、シンジくん」と吉野さん。
「いろいろと考えました。そしてこれではないか、という結論に達しました」とボクは言って、書面を手にした。

「それは...定款?」とルカさん。
「はい。定款変更を目的事項として、株主総会の招集を求めてはどうかと思います」
「で、変更内容は?」と内田さん。
「第2条『目的』の次に、ブランド名についての規定を設けます」
「どんな?」
「『第2条の2 当会社の商品のブランド名は『エシア』とする』というところでしょうか」
「ケイさん。シンジくんの言った定款の規定って、効力を持つかしら」
「そうですね。会社法に抵触するものではないですし、公序良俗違反でもない。『エシア』の商標登録は有効なのかな」
「はい。株式会社化と同時に登録して、ちゃんと更新されています」
「であれば、商標法や不正競争防止法に抵触する恐れもない、と見ていいだろう」

「ねらいはなんとなくわかるけれど、シンジくん、説明してくれるかな」とルカさん。
「はい。美咲さんの一番の願いは、亡くなったお祖父様とお父様が大事に育てた会社の名前と、ブランドが守られることです」
「そうか。社名は商号として定款に規定されているから、ブランドも規定するんだ」と吉野さん。
「そうです、ヨッシーさん」
「定款に規定することで、変更するには特別決議が必要となるわけね」とルカさん。
「たしか、長女は、第三者割当増資を目論んでいるんだよね」と内田さん。
「はい。マジョリティを握られても仕方がない、という考え方です。その場合でも、飯合家が三分の一超を確保しておけば、定款変更を阻止して、社名とブランド名を守ることができます」

「悪くないと思う。美咲さんも納得するんじゃない?」とルカさん。
「将来的なことを考えると、商品だけじゃなくて、サービスも規定しておくのはどうでしょう」と吉野さん。
「そうですね。『当会社が提供する商品と役務のブランド名は『エシア』とする』というところですか」とボク。
「役務を入れるとすると、念のため、商標の登録区分は要確認だね」と内田さん。
「わかりました」
「それから、定款ということなら、それ以外にも工夫できるかもしれないね。例えば、出資元がどこかわけのわからないところに株式譲渡することを阻止するために、譲渡の承認に株主総会の特別決議が必要にするとか」
「飯合家の株主に何かあったときのために、相続など一般承継の場合の会社による売渡し請求の規定を、削除しておくのも手かもしれません」とボク。
「取締役の地位も重要じゃないですか。解任決議の要件も特別決議にしておくとか」と吉野さん。
「非公開会社だから、いっそのこと取締役の任期を会社法の上限の10年にしておくのも手かもしれない」と内田さん。

「いろいろと検討できるけれど、諸刃の剣ということも考えておかなければならないね」とルカさん。
「確かにそうです、ルカさん。なので、今回の株主提案はブランドに関する定款変更のみにしておいて、残りは今後の議論ということにしたいと思います」とボク。
「実際に出資を受けるわけでも、内容が決まったわけでもないですしね」と吉野さん。
「そうです。重要なのは、経営にテコ入れする方法を、取締役全員で相談して決めることです。定款をどうするかは、その内容に従って決めればいいと思います」
「聡美さんが言っていた、4億出資で80%取得というのは、財務状況を見る限りいささか買い叩かれ感がするね」とケイさん。
「例えばマイノリティ出資で、足りない資金について、健司さんの言う銀行融資を受けるとか」とボク。
「出資を受けて財務体質が改善すれば、融資の条件も有利になるかもしれないね」とルカさん。
「議決権無しの種類株式の発行もありかな」とヨッシーさん。
「選択肢になるね」とケイさん。

「いいでしょう。シンジくん、ブランド名についての定款変更を決議事項にして、さっそく株主総会の招集のアレンジをしてください」とルカさん。
「定款上、代表取締役が招集権者で招集通知を書面で1週間前までに発する必要があるね」とケイさん。
「美佐さん、聡美さんは多分問題ないと思いますので、健司さんの同意が得られるようであれば、招集通知を省略して、当日全株主から同意書をとっておこうと思います」とボク。
「シンジくん、随分頼もしくなったね」と吉野さん。
「可愛いルミ女のおデート相手のため...かな?」とルカさん。
「ルカさん...よ、よしてくださいよ」と、いつもの自分に戻ってドギマギするボク。

 翌8月17日、ボクは美咲さんに電話して、定款変更についての総会招集のことを説明した。そして株主総会について、美佐さんに相談して進めることを話し、了解を貰った。
 さっそく美佐さんに電話。株主総会を招集する手配をお願いし、手順について打ち合わせした。美佐さんは口頭であとのお二人と相談し、日取りを調整してくれることになった。
 その日の夕方に美佐さんから連絡があった。聡美さんも健司さんも同意し、23日か24日の午後を候補日としていただいた。
 内田さんもボクも両日とも大丈夫であることを確認し、美咲さんに連絡する。お母様の真美さんのご都合も確認、「24日は夏期講習が始まるので、できれば23日」という回答を貰った。
 再び美佐さんに連絡し、23日でさらに調整してもらった。ほどなく「2時から、エムアイ産業本社会議室で」とのご返答があった。

10.天使の株主総会

「株主総数4名、発行済株式総数500株、議決権を有する株主数4名、その議決権の数500個、代理人を含む出席株主数4名、その議決権の数500個。株主総会は有効に成立しているものと認めます」
 定款で総会議長と規定されている代表取締役社長の、飯合聡美さんがそう述べた。
「なお、株主のうち飯合美咲の議決権は、親権者である飯合真美の指名により、弁護士法人天歌総合法律事務所の弁護士、深町真二氏が代理行使することを確認します」
 エムアイ産業本社1階の中会議室。株主4人に真美さん、会計参与たる税理士の磯山先生、内田さんとボクの8人が揃っていた。
 今日の美咲さんの出で立ちは、最初にお会いしたときと同じ、ルミ女の夏服パンツルックバージョン。

 美咲さんと母親の真美さん、内田さんとボクは、8月23日の午後1時半、十海駅の改札で待ち合わせした。タクシーで会社に向かい、1時45分くらいに到着。出迎えてくれた美佐さんに連れられて、オフィス1階の会議室に通された。すぐに、冷たい水のペットボトルがいっぱい入った、大きなクーラーボックスが運ばれてくる。各自1本ずつ取り出して、口にする。今日もカンカン照りで暑い。
 ほどなく美佐さんと磯山先生が入ってきた。内田さんとボクが立ち上がって挨拶する。美佐さんと内田さんは初めまして。名刺交換をする。
 定刻5分前に聡美さんが入室。内田さんと名刺交換して、議長の席に着く。ボクが、書式をメール添付で送って真美さんに署名捺印をお願いしていた、株主総会用の復代理人委任状を議長たる聡美さんに提出した。
 そして健司さん。定刻近くになっても現れない。
「あの子、大丈夫かしら」と心配する美佐さん。
 2時を回ってすぐ、会議室の扉が開いて、健司さんが入ってきた。
「申し訳ありません。前の打ち合わせが大幅に長引いちゃって。お待たせしました」
 内田さんがさっと名刺交換すると、全員着席。エムアイ産業株式会社臨時株主総会が始まった。

「最初に議長である私から、動議を提出します。本日の総会の趣旨を鑑み、議長を取締役飯合美佐に任せたいと思います。異議のある株主または代理人は、挙手願います」
 誰も手を挙げない。
「異議なしと認めます。それでは議長を交替します」
 聡美さんが立ち上がり、代わりに議長席に美佐さんがついた。
「それでは、私が議長になります。よろしくお願いします。できる限り、ざっくばらんにいきましょうね」
 ボクが、美咲さん以外の株主に、ペーパーを一枚ずつ配る。
「今配られているのは、今回の総会の開催への同意書です。招集手続きを省略したので、総会が有効に開催されたことを、念のため確認するための書面です。署名して提出してください」と美佐さん。
 全員異議なく、同意書を提出した。ボクは、「飯合美咲 法定代理人飯合真美 復代理人」と書かれた同意書に「深町真二」と署名して提出する。

「それでは、本日の議案である定款変更の件について、総会招集請求者である飯合美咲の代理人の、深町先生からお話しいただきましょう」
 ボクは、用意していた二つめのペーパーを、その場にいる全員に配った。「定款変更案」と題したその書面には、

 現行定款に以下の条項を追加する:
 第2条の2 当会社が提供する商品と役務のブランド名は『エシア』とする。

とだけ書いてある。
「定款変更、というのはこれだけですか?」と健司さん。
「はい。今回提案するのは、これだけです」
「なんでブランド名を、わざわざ定款で規定するのか、理由を聞かせてほしい」
「これには...えー、株主である飯合美咲さんの、願いが込められているのです」
「ブランド名を定款で決めると、どのような効果があるのですか?」と聡美さん。
「ご存知かと思いますが、定款の変更には株主総会の特別決議が必要です。そのため、持株比率が三分の一を超えていれば、定款変更を否決し、ブランド名の変更を阻止することができます」

 しばし議場に沈黙が流れる。
 聡美さんが口を開く。
「要するに、第三者割当増資を行うにしても、実施後の相手方の持株比率を、3分の2未満にするように、ということでしょうか」
「相手方の横暴を許さないための...最後の防衛ラインと言えるかと思います」と言って、ボクは内田さんのほうを見る。内田さんは頷いて応じてくれた。
「なんか、出資ありきのような話になっているのは、いかがなものかと思う」と健司さん。さらに続ける。
「外部の資本を入れるということは、飯合家以外の連中に口出しされるようになるということだろう?」
「このままでは、ジリ貧になっていずれ立ち行かなくなるでしょう。ゴーイングコンサーンとして事業の継続を図り、従業員の雇用を守るには、今こそ、思い切ったことをやらなければいけないと思う」と聡美さん。
「姉さんお得意の、横文字で煙に巻く奴かい」
「そんなつもりじゃないわ」
「まあいい。話を戻すと、僕だって、思い切ったことをやらなきゃならない状況だってことは、理解している。製造設備の更新も待ったなし。少なくとも億単位の金が必要だ」
「その資金を、貴方はどうやって用立てつもり?」と聡美さん。
「銀行から借入できれば、どこかの傘下になって、窮屈な思いをしなくてすむ」
「健司、それは違います。お祖父さんと私が、事業が大きくなって余裕ができるまで、銀行との関係でどれだけ窮屈な思いをしてきたか」と美佐さん。
「そうよ。銀行なんて、所詮『カネ』にしか興味がない。いつでも手の平を返すように貸付の回収に走るでしょう。健司、そんなこともわからないの」
「馬鹿にしないでほしい。そんなことぐらい、僕だってわかっている。じゃあ、姉さんの考えているように外部資本を入れたらどうなる。やりたいようにやれなくなったうえに、いざ業績が傾いたら、美味しいところだけ取り込まれて、あとは切り捨てられるのが落ちじゃないのかい?」
「聡美、健司の主張にも一理あります。実はこれまでも節目ごとに出資を仰ぐパートナーを入れることを検討してきました。それでも踏み出すことができなかった。事業が順調なうちはいいでしょうが、いざ苦しくなってくると、どうなるかわかりませんから」
「姉さんの言うようにして、事業を切り売りすることになるのは、僕には絶対我慢できない!」
「『切り売り』って、どういうこと? そういうことにならないように、信頼できるパートナーを探そうと必死になっているのが、どうして貴方にはわからないの!」

「あの、わたしが発言してもよろしいですか」
 美咲さんが大きな声で議長たる美佐さんに向いて言う。
「どうぞ、発言してください」と美佐さん。
 美咲さんは、立ち上がって議長席の隣に向かい、議場のほうに振り向くと、口を開いた。
「わたしの願いの一つは、お祖父様と父が、大変な苦労をして守ってきた会社の名前とブランド名が、これからもずっと続いてくれることです」
 彼女は、改めて議場を見渡して続ける。
「その思いを、株主総会の議案にしてくださったのか、深町先生と事務所の皆さんです」
 その場の全員が、美咲さんの言葉に聞き入っていた。
「そしてもう一つの願いは、お祖母様と聡美叔母さま、健司叔父さまが、一緒になって私の願いを叶えてくださることです」
 3人に、順に視線を送る。
「どうか、お願いします」
 そう言うと彼女は、深々とお辞儀をした。

「顔を上げてください」と聡美さん。
「...君につらい思いをさせたとしたら、謝るよ」と健司さん。
「貴女の思いは、伝わりましたよ」
 そう言った美佐さんの言葉を聞いて、美咲さんはゆっくりと顔を上げた。

 彼女の顔が正面を向いたそのとき...

 ボクの目には確かに見えた。

 美咲さんの背中の肩甲骨のあたりに、天使の羽が生えている...

 美咲さんを見つめるそのときのボクは、たぶん間抜けな顔をしていたのだと思う。
 しばらくして彼女が、自分の席に戻るべく動き始めたときには、もう羽は見えなくなっていた。

 彼女が着席すると、美佐さんがゆっくりと話し始めた。
「聡美、健司。これからは形式的な取締役会だけではなく、腹を割って話し合う機会を持つようにしましょう」
「そうですね。健司。私の態度にもしも、貴方が話をしづらくするところがあったとしたら、許して欲しい」
「姉さん。僕のほうこそ、こんな性格だから。気を遣わせていたとしたら申し訳ない」
「今日のように、言い合いになったっていいと思います。一緒に考えて、納得のいく結論にたどり着きましょう」
 美佐さんがそう言ったのを見て、内田さんが立ち上がって言った。
「発言の許可をいただけませんでしょうか」
「どうぞ」
「皆様が一緒になって、これからの経営に必要な施策を検討されるのに、私共の事務所がお役に立てればと思いますが、いかがでしょうか」
「そうですね。深町先生の事務所なら、間違いないと思いますわ」と美佐さん。
「私もそう思います」と聡美さん。
「僕も。異存ありません」と健司さん。
「ありがとうございます。それでは日を改めて、所長の浅山を連れてご相談に上がります。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」と美佐さん。

「ええと、本日の議案については、いかがでしょう」とボク。
「そうですね。ブランド名を定款で規定することには賛成です。ただ...」
 一瞬言い淀む聡美さん。すぐに続ける。
「『エシア』と固定してしまうと、今後の商品戦略上、自由度が狭まってしまうのが心配です。『エシア』が入って入ればいい、という決め方にはできないでしょうか」
「製造側としては、キャパが拡大して余裕ができたら、OEM生産の可能性も考えていきたい。そのときに、制約にならないようにはしたいと思う」と健司さん。
「かしこまりました。それでは...」
 ボクは、自分の手元の議案のペーパーの文言に加筆修正する形で、修正案を作った。

 現行定款に以下の条項を追加する:
 第2条の2 当会社が提供する商品と役務のブランド名は『エシア』を含むものとする。ただしOEM(相手先ブランド製造)の場合は、この限りではない。

「いいと思います」と聡美さん。
「これでいい。ありがとう」と健司さん。

「それでは。本日の議案について採決します」と少し厳かに美佐さん言う。
「ただいまの修正案による定款変更を、承認することに異議ありませんか」
「異議なし」と聡美さん。
「異議ありません」と健司さん。
「よろしいですね」と美咲さんのほうを向いてボクが言う。
 美咲さんがうなずくのを確認する。
「異議ありません」とボク。
「本日の議案は修正のうえ、満場一致で可決されました。以上で臨時株主総会を終了します。お疲れさまでした」

 総会終了後の議場。さっそく美佐さんと聡美さん、健司さんは3人で話をしていた。
「資金調達について社外の人と会うときは、基本的に二人揃って会うようにしてはどうかしら」と美佐さん。
「そうですね。そうすれば検討の幅が広がります」聡美さん。
「一通りヒアリングしたら、長期の経営シミュレーションをやってみよう」と健司さん。

「深町先生、お手柄ですな」と磯山先生がボクにお褒めの言葉を下さった。
「いや、内田さんや事務所の皆さんのおかげです」
「君のひたむきな姿勢が伝わったんだと思う。おかげで、いい営業をさせてもらえそうだ」と内田さん。
「ビギナーズラックでしょうか」
「そんなことはないでしょう。士業の先輩として言わせてもらうとすれば、士業で一番大切なことは、クライアントに対して誠実であること。深町先生、今回の経験を忘れないようにしてください」と磯山先生。

「しかし、天国の健造さんは、見事に天使を遣わしましたな」としみじみと磯山先生が言う。
「美咲さんのことですか?」と内田さん。
「そう。彼女の思いは、健造さんの思いそのままだったでしょう」
 ボクは、お母様の真美さんと話をしている美咲さんのほうに目をやった。
 やはり羽は生えていなかった。

 タクシーを2台呼んでもらい、磯山先生と真美さんと美咲さんが1台で、内田さんとボクがもう1台で戻ることにした。
「請求書ができましたら、改めてご連絡します」と真美さんに内田さんが言う。
「本当にありがとうございました、よろしくお願いします」と真美さん。
「じゃあ、そのときに」と美咲さんがボクに言う。
「あ、ああ。そうだね」とボク。

「あの...笑わないで聞いてほしいんですけれど」とタクシーの後部座席で、隣の内田さんにボクは言う。
「どうしたの?」
「さっき、美咲さんが深々とお辞儀しましたよね」
「ああ、そうだね」
「そして顔を上げたそのとき、美咲さんの背中に...」
「背中に?」
「天使の羽が見えたんです」
「へえ、そう」
「内田さんには見えませんでしたか?」
「...そうだね」と言うと内田さんは、懐かし気に続けた。
「俺が、大学に入ってコンビニバイトを始めてすぐに、店の客として天使が現れた」
「それって...」
「そう、ヨッシー。何べん見ても、羽は生えてなかったけどね」
「そうですか...」
「ごめん、俺ののろけを言ってる場合じゃないね」
「は、はい」
「それに君の天使は、株主総会の会場とは別のところにいるだろ?」
「え?...ええと...」
 ほどなくタクシーは、十海駅前に着いた。

「お疲れさま。深町先生のご活躍はどうでした?」と事務所に戻ったボクたちに、ルカさんが労いの言葉をかける。
「見事に役目を果たしてくれましたよ」と内田さん。
「そんな、ヘロヘロです」とボク。
「疲れたでしょう。一息入れてください」と言いながら、吉野さんが麦茶を出したくれた。
「そうそう、所長。エムアイ産業との顧問契約が取れそうです。見積りできたらアポを取りますので、ご同行お願いします」
「それは何より」
「深町先生の誠実さが評価されたようです」
「さすが。わたしの目に狂いはなかったね」
 そう言って、ニッコリと微笑むルカさん。
 ボクにとっては、言葉よりも何よりも、ボクに向けられるルカさんの笑顔が最高のご褒美だ。改めてそう思うと、ボクの持愛比率のメーターは100%に振り切れた。

11.それからの天使

 株主総会の3日後、8月26日の土曜日に、内田さんとボクは真美さんと美咲を訪ねてお宅に向かった。
 十海駅から歩いて10分ほど。到着したのは午後3時だった。空には入道雲。夕方から雷雨があるかもしれないとの予報に、二人とも折畳み傘をカバンに入れていた。
 お宅に着いて応接で対面する。母娘二人暮らしには、いささか広過ぎる家。相変わらず残暑厳しき折、出していただいたアイスコーヒーが有り難かった。
 今日の美咲さんは、いつぞや着ていた薄ベージュのワンピース。すらりと伸びた手足が、相変わらず眩しい。
 ボクが請求書を出して真美さんにお渡しする。着手金と成功報酬、経費合わせて20万円弱。納得された顔で娘の美咲さんに見せる。
「やっぱり鰻屋さんの分も経費に含まれてるんですね」と言って美咲さんがニコっとする。
「ええと、マズかったですか?」とボク。
「いえ。ほんとに美味しかったし。そうだ、お母さん。今度、聡美叔母さんにお願いして、みんなで連れてってもらいましょうよ」
「そうね。お義母さんと健司さんも一緒に、5人で行きましょう」
 美咲さんは、すっかり天使役が板についたようだ。

 週明け、美咲さんからメールがあった。「進路について相談したい」とのこと。翌日の3時に待ち合わせて、遅いお昼をJUJUで一緒にする約束をした。
 8月30日の火曜日。ボクは、ルカさんに事情を話して、午後しばらく外すことの許可を貰った。
「受任事務は終わっているから、ほんとのおデートだね。やったじゃん」とニヤニヤしながらルカさん。
「そ、そんなんじゃないですってば」
「まあ、告られても取り乱さないってことかな。キミの場合」

 3時5分前にJUJUの店内に入ると、入口から遠くない席で、ウェリントン眼鏡のオトコマエの少女が手を振った。
 白のワンピースに白のフラットパンプスの美咲さんと、そのままカウンター前で合流する。
「今日はお揃いで、クラシックバーガーセットにしましょう」と彼女。
「完食できる自信ないなあ」
「ポテトなら手伝いますよ」
 注文と会計をすますと、彼女が座っていたテーブルの席に向かい合って座る。
「今日は講習じゃなかったの?」
「終わってから速攻で家に帰って、着替えてきました」
しばらく世間話をしていると、注文の品が運ばれてくる。
 二人揃って「いただきます」
 しばらく黙々と、ハンバーガーと格闘する。
「どうですか?」と、半分くらい片付けた彼女が聞いてくる。
「うん。このあとの仕事に響かない程度で、どうにか食べ終われそうだ」
「よかった」

 半分くらい残ったポテトをつまみながら、本題に入る。
「で、進路に関する相談って、どんなこと?」
「わたし、弁護士を目指そうかな、と思ってます」
「あれ? 天大工学部に行ってエムアイ産業に就職するって、健司さんに言ってなかったっけ?」
「ああ、あれは『嘘も方便、関西弁』です」
「『なんで関西弁やねん!』って、ツッコめばいいのかな?」
「ごめんなさい。また、はぐらかしました。エンジニアに興味があるのは事実です。でも今回の件で、弁護士にも憧れるようになりました」
「そういうことか」
「それで、先生に家庭教師をやってもらえないかな、と思って」
「前にもそう言ってたけど、どうしてボクなの?」
「だってそうしたら、吉野センパイみたいに、深町先生と結婚できるじゃないですか」

 1ヶ月とはいえ、結構長い時間を一緒に過ごしたからだろうか。免疫ができているボクは、冷静に答える。
「キミがお年頃になる頃、ボクは30半ばのオッサンだよ。それでもいいの?」
「エヘへ。冗談です、結婚のことは」
「でも、どうしてその話?」
「たしか...前にも言ったと思うけど、深町先生って、ほんと面白いくらいにわかりやすいんです」
「記憶がごっちゃになってるけど、キミはたしか、『別の機会に』って言って話すのやめたよね」
「じゃあ、話しますね」

「深町先生は、浅山センパイに『首ったけ』なんでしょ?」

 ...あまりに的を射たコメントに、ボクは動揺を隠せなかった。
「ええと...あの...なんでそう思ったの?」
「だって、『ルカさん』の話になると、先生の瞳の輝き方が全然違うんですもの」
 返す言葉がなかった。
「これ以上は追求しないようにしますね。けど、図星でしょ?」
 ボクは、小さくコックリと頷く。
「おかげ様で、私もスッキリとしました」
「...って言うと?」
「『憧れのヒトが、もう一人の憧れのヒトを大好きだ』ってことがはっきりしました」
 ボクを真っ直ぐに見る彼女。
「これで、今年の夏の想い出を、美しいものにできます」
 持愛比率のメーターが、100%から少しだけ振れそうになった。けれど目の前の少女の清々しい表情に、すぐに元の100に戻った。
「なら...よかった」
「カテキョーの話はともかく、私が弁護士を本格的に目指すことになったら、相談に乗ってくださいね」
「そういうことなら、いつでも大歓迎だよ」

「ところで、キミが持ってるエムアイ産業の株式はどうするの?」
「これからいろいろなことがあると思いますけど、しばらくはそのままにします」
「そう」
「議決権の行使、でしたっけ? それはお祖母様にお任せしよう、と母と話をしています」
「そうだね。賢明な選択だと思うよ」

「そろそろお仕事に戻らなくちゃ、ですね。この1ヶ月間、本当にありがとうございました」
 美咲さんはそう言って、ペコリと頷くようにお辞儀をした。
「楽しかったです」
「ボクも。仕事だから頭を悩ますこともあったけど、今から思うとほんとに楽しかった」
「内田先生と吉野センパイ、そして...」
 少し切なそうな笑みを浮かべて、彼女が言った。
「...『愛しのルカさん』、によろしくお伝えください」
「わかった...また事務所に遊びにおいでよ。みんな喜ぶから」
「ありがとうございます」、

 連れ立って店の外に出る。まだまだ残暑は続くようだ。
「じゃあ、また、ですよね?」と白のつば広の帽子をかぶった美咲さん。
「うん。じゃあ、またね」

 くるりと向きを変えて天歌駅へ向かう、スレンダーな彼女の後姿をしばらく見送る。
 全身白一色の彼女の背中に、天使の羽が生えていないことを確認する、

 そしてボクは、「愛しのルカさん」が待つ事務所へと急いだ。

<おわり>

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