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続・天使の法律事務所--持株比率10%の少女 上編

新米弁護士として修行を始めてちょうど4ヶ月が経った8月初めの日、母親に連れられて事務所にクライアントとして現れた少女。スレンダーで「オトコマエ」なルミナス女子高校の1年生。一族が経営する会社の株式を、創業者である祖父から10%分相続したという。父親を早くに亡くした彼女の議決権の行使についての代理を、親権者たる母親から事務所が受任し、その事務を担当することになったボク。他の株主である一族の三人の考えを探るため、彼女と二人で面談に回った夏の暑い日々。亡くなった祖父と父親の思いを享けた、彼女の願い。それを叶えるためにボクが、株主総会に提案した議案。そして、ひと夏の想い出の締め括りは?


1.持愛比率?

「持愛比率」--自分の恋愛感情のうちどれだけの割合が、特定の相手に向いているかのことを、ボクはそう言っている。

 はじめて持愛比率を口にしたのは、国立天歌(あまうた)大学法学部3年生のとき。同級生の女の子とベッドに横になって、彼女と面と向かっているときに話した。「持愛比率80%」と言うと、関西出身の彼女は「残りの20%はどうなっとんじゃい?!」と言いながら、柔らかいパンチをボクの頬に浴びせた。
 ボクに対する持愛比率を、彼女の口から聞くことは結局なかった。4年生の初めに彼女はボクから離れて行った。おそらく持愛比率が50%を切ったのだろう。その後、ボクより1年早く司法試験に受かった彼女は、修習を終えると東京の大手の事務所に入ったらしい。

 202X年4月1日。改正民法が施行された日に、ボクは地元の天歌総合法律事務所に入所した。
 2月に受けた面接で初めてお会いしたときに、若き女性所長の浅山輝佳(あさやま てるか)さんに対するボクの持愛比率は、50%を一気に超え「普通恋愛」の状態になった。いわゆる「一目惚れ」である。
 ルカさんに対する持愛比率は、すぐに3分の2を超え「特別恋愛」になった。そして事務所で勤務を始めた時点で、持愛比率は90%を超えた。「特別支配恋愛」である。無論これらは会社法とはまったく関係ない。

 8月1日、ボクが事務所に入って初めて完全に一人で担当した仕事である、弁護士法人設立の準備が終わり、朝一番に十海(とおみ)地方法務局天歌出張所に出向いて登記申請を行った。受理されれば、申請日たる本日をもって「弁護士法人天歌総合法律事務所」が設立されたこととなる。所長のルカさんこと浅山輝佳さんと、副所長のケイさんこと内田恵一(うちだ けいいち)さんの二人が社員弁護士。先輩弁護士のヨッシーこと吉野未来(よしの みく)さんとボク、シンジくんこと深町真二(ふかまち しんじ)の二人が使用人弁護士。

「お疲れさま。暑かったでしょう」とルカさんが、法務局から戻って来たボクに労いの言葉。
「オンライン申請でもよかったんじゃないの?」と内田さん。
「いえ、事前設定が結構面倒くさいんです。それに、事務所にとって節目になる手続きですから」とボク。
「はい、どうぞ」
 吉野さんが、冷たい麦茶を持ってきてくれた。
 ほっと一息つくボク。
「あ...今気づいたんですけど」と壁にかかったカレンダーを見ながら吉野さんが言う。
「今日って...仏滅ですね」
 みんな一瞬、凍りつく。
「...ま、いいんじゃない。これから上がる一方、ということで」と所長たるルカさん。

「そうそう、深町先生」
 法人設立関連の資料の整理を行っているボクに、内田さんが声をかけた。通常執務の時間中は、お互いを「先生」で呼ぶのが事務所の習わしである。
「午後一に予約の入っている相談に、同席してくれるかな?」
「ええと...例の『女子高生株主』の件ですか」
「そう。この件、受任するとしたら、君がメインで受け持って欲しい。フォローはするから」
「はい、えーと...わかりました」

 話は半月ほど遡る。

 梅雨明けの陽射しがカッと照りつける中、事務所の会計業務をお願いしている税理士の磯山先生がお見えになられた。磯山先生は、御年65歳の温厚な紳士。ルカさんと内田さんが弁護士修行をした、十海市の法律事務所の会計業務を請け負っておられ、3年前に二人で天歌総合法律事務所を設立して以来、面倒を見ていただいている。

 その日は、法人化に伴う決算業務についての確認のために、朝一番にご来所された。会議室で本題の打ち合わせを行った後、先生と所員一同、オフィスで雑談に興じていた。
「いやあ、それにしても、この事務所に来るのは久しぶり、1年ぶりですかな」と空いている椅子に腰をかけた磯山先生。
 普段は基本的にメールでやりとりして、必要な時にはWEB会議をし、書類を郵送している。
「新しい先生も加わって、ますますご発展ですな」
「いえいえ、やっとこさっとこ、ってところですわ」とルカさん。

「そうそう、実は相談したいことがあって」と言うと先生は、カバンから書類を一部取り出した。
 とある会社の「履歴事項全部証明書」、いわゆる登記簿謄本のコピーである。
「会社法務なら、内田先生ね」とルカさん。
 磯山先生から謄本を内田さんが受け取り、さっと目を通す。
「本店は十海市...非公開会社...先生が会計参与をなさっているのですね」
「16年前に有限会社から株式会社に変更したとき、顧問税理士の私に監査役就任を打診されました。さすがに顧問税理士のままで監査役はまずかろうということで、お断りしたのです」
「そうか。それで取締役会設置会社にできるよう、会計参与を引き受けられたのですね」

「それで、ご相談というのは?」
「創業者が昨年亡くなりました。私は創業当時からの付き合いで、ずっと事業が大きくなるのを、つらい時期も、苦しい時期も、見てきました。そういう意味で、この会社には単なる顧問税理士以上の思い入れがあります」と少し遠くに目線をやりながら先生。
「私の祖父も、裸一貫で事業を立ち上げました。その苦労話はよく聞かされたものです」と、生家が天歌市でも有数の企業グループの経営者一族である内田さん。
「亡くなった時点で代表取締役の創業者が6割の株を持ち、残りのうち2割を取締役である奥様、1割ずつを同じく取締役である長女と次男が持っていました。それが遺言により相続された結果、3人の取締役が3割ずつ持つことになった」
「『三竦み』状態ですね。あれ? 残りの1割は?」
「それが...10年前に亡くなった長男の、一人娘が相続しました」
「その、創業者のお孫さんというのは?」
「16歳。ルミナス女子高校の1年生です」
「バリバリ未成年ですね」

「企画営業系の長女と製造系の次男が、二人ともまだ30を過ぎた、ちょうど浅山先生や内田先生と同じくらいの年頃なのですが、もとから反りが合わなかった。創業者が亡くなって、今後の事業をどうするかで、二人の意見がどうも食い違っているようなのです」
「奥様はどういうお考えなのですか」
「創業者と一緒に立ち上げた事業をどうするか、二人でよく話し合って決めて欲しい、というご意向です」
「例えば、事業拡張のために、出資の受け入れや会社合併、事業譲渡なども考えておられるのですか」
「長女のほうが積極的で、具体的に特定の企業と話を始めているようです。次男のほうは、銀行を味方につける目論見だとか」
「なるほど。そうすると、総会の特別決議が必要になって、持株比率30%の二人が同意しても、残りが反対すれば総会で決議できない、という状況が起こり得るということですね」
「その通り」
「持株比率10%のお嬢さんが、キャスティングボードを握るような局面が現れるかもしれないというわけか」

「彼女の親権者である長男の未亡人から、『娘を同族の争いから守りたいが、自分では心許ない。どなたか専門家に相談したい』と言われまして。こちらでお引き受け願えないかな、と思った次第です」
「でも、わざわざ天歌にしないで、十海市の事務所でなくていいのですか」
「できれば、娘の学校のある天歌の事務所、というご意向です」
「わかりました。浅山先生、どうでしょう」と内田さんがルカさんに聞く。
「わたしはいいと思います。ルミナス出身者として、そのお嬢さんの力になりたいわ」とルカさんが答える。
「吉野先生と深町先生は?」
「いいと思います。私も後輩のためになりたい」と吉野さん。
「異存ありません」とボク。
「磯山先生。ぜひお引き受けしたい、とお伝えください」
「ありがとう。恩に着ます」
「確認したいことがあります。会社の株主の議決権の代理行使について、例えば『株主または親族に限る』というような制限は定款に規定されていますか」と内田さん。
「たしかそのような規定は無かったと思いますが、戻って確認してご連絡します」
「あと、会社に顧問弁護士はついていますか」
「司法書士の先生に登記の依頼はしていますが、会社としての顧問の弁護士はいません。創業者が、知り合いの弁護士に個人的に相談していたようです」

 ボクが今日3杯目の冷たい麦茶を、磯山先生と事務所メンバーに出す。しばし歓談するとそろそろ11時。先生は「ではよろしく」と言い、事務所を後にして戻られた。メンバーもそれぞれの業務に取り掛かった。

2.オトコマエの少女

「はじめまして。飯合美咲(めしあい みさき)です」
「持株比率10%の少女」は、軽くお辞儀をして微かに微笑んだ。
ショートボブの髪が微かに揺れた。

 ルカさん、ごめんなさい。その瞬間、貴女への持愛比率は90%から80%へと低下しました。そして20%が、ルミ女の夏服を身に纏った、お会いしたばかりのこのスレンダーな少女へと向きました。

 ボクが好きになる女性の類型は「こぢんまりとした人」と「大柄な人」。詳しい説明は割愛するが、ルカさんは「大柄な人」の典型である。
 実はこれら2つの他に「オトコマエ」という類型がある。これも同様にルックスや言動、表情や醸し出すオーラなど、いろいろな要素から総合的に判定されるものなのだが、いま自分の目の前にいる、このルミ女ことルミナス女子高校の1年生の少女が、「オトコマエ」の類型にぴったりと嵌まってしまった。
 しかも彼女の眼鏡がウェリントン。ボクは基本的に「メガネ属性」はないのだけれど、ウェリントン眼鏡の女性には大いに魅かれる。「オトコマエ」に「ウェリントン」が加わり、ボクに訴えかけるアピールはさらに強力になる。

 8月1日の午後2時、件(くだん)の少女は母親に連れられて来所した。吉野さんが会議室にお通しする。
 元柔道選手で身長186cmの内田さんに続いて、身長171cmのボクが会議室に入る。一番奥に腰かけていた母親、飯合真美(めしあい まみ)さんと少女が立ち上がる。二人とも身長160cmくらいか。
 名刺をお渡しして自己紹介すると、母親の正面に腰かけた内田さんの隣、美咲さんの正面にボクは腰を下ろす。
 フェミニンな美人の母親と、美咲さんはあまり顔が似ていない。たぶん彼女は、亡くなった父親似なのだろう。その端正な顔に釘付けになりそうな視線を、ヒアリングシートに落とすようにして、ボクはその場を乗り切ろうとしていた。

 母親の真美さんから、会社の定款と直近の決算書のコピーを内田さんが受け取り、ざっと目を通すとボクに渡す。
「エムアイ産業株式会社」という商号は、16年前に有限会社から株式会社に変更したときに変更したもの。
「ちょうどこの子が臨月のときでした」と母親の真美さん。

 創業は41年前。少女の祖父である飯合健造(めしあい けんぞう)さんと祖母の美佐(みさ)さんの夫婦二人と従業員二人の4人で、文具雑貨の製造事業を立ち上げた。
 2年後「有限会社飯合製作所」として法人化。少し高価格だけれどデザイン性の高い文具・雑貨は、徐々に市場に認知されるようになった。長男、つまりオトコマエの少女の父親である飯合 健壱(めしあい けんいち)さんが、高校の機械科を卒業して創業15年目に入社した。その頃には従業員15人の会社になっていた。
「主人が入社してから3年後に、私が商業高校を卒業して入社しました。デザインを義母が統括し、製造を主人が統括するようになって、義父は営業に専念するようになっていました。成長の踊り場、と言うのでしょうか、苦しい時期を乗り越えようとしているところでした」と母親の真美さん。

 やがて、商品の販路が拡大し、製造工程の効率化で利益率が向上し、新たな商品開発と設備投資を行える。成長のサイクルが軌道に乗り出した。
「私が入社して5年後、この子の父親と結婚し、専業主婦になりました。先ほどお話ししたように、株式会社になったのとほぼ同時に、美咲が生まれたのです」
 株式会社化と同時にブランド名を「エシア」とし、ファンシーシリーズとノスタルジックシリーズの二つのデザイン・ラインナップに商品群を再編。積極的な販促戦略も打ち出した。
 そして父親の健壱さんは取締役製造部長に就任した。生産量の増加と商品群の多様化に対応するため、彼は夜昼なく働き続けた。そして今から10年前、年商が15億を超え、従業員も30人を超えるようになった頃、彼は突然現場で倒れ、病院に運びこまれる直前に亡くなった。
「くも膜下出血でした。なんの前触れもなかったんです。煙草も吸わなかったし、お酒もそんなに飲みませんでした。なのに...この子が小学校に入る前の年で、ランドセルを買って間もない頃でした」
 表情が曇った美咲さんが言う。
「父はほとんど休みなく働いていました。でも必ず月に1回、家族で出かけて外食する機会を作ってくれました。朧気な記憶ですが、私にとってはかけがえのない想い出です」
 彼女の表情に、ボクまで本気で悲しい気持ちにさせられてしまった。いけない。冷静にならなければ...

 彼女の父親が亡くなる前の4月に、妹である長女の飯合聡美(めしあい さとみ)さんが入社した。彼女は東京の名門私立大学で経営学を専攻し、さらに夜間の専門学校で産業デザインを学んだ。そしてその翌年、弟である次男の飯合健司(めしあい けんじ)さんが入社。彼は地元の国立高専を卒業後、国立天歌大学工学部に3年次編入、卒業した。
 しばらく創業者の健造・美佐夫妻を中心に、最古参の二人の従業員が取締役を務める体制で乗り切り、長女の聡美さんが企画営業の責任者、次男の健司さんが製造の責任者として、それぞれ30歳になった時点で取締役に就任した。

「ここから先は、磯山先生からお聞きになっておられるかと思います」と母親の真美さん。
「はい。お義父様が亡くなられたことと、相続の結果による持株比率のこと。そしてご姉弟で、経営の方針が大きく違っているということですね」と内田さん。
「そうです。このままでは、身内の争いに巻き込まれるのではないかと。未成年の美咲の親権者は私ですが、お二人の学歴と比べても、高校の商業科卒の私には、とても太刀打ちできません。だから、弁護士の先生にお力添えをいただきたいのです」
「美咲さん、ご自身のご意向はどうですか」と彼女のほうを向いて内田さん。
「はい。私もお願いしたいと思います」
「貴女は、何を一番大事にしたいと希望されますか」
「祖父と父が大切に育ててきた会社の名前とブランドを守ってほしい。それが願いです」

「かしこまりました。本件、ぜひ受任させていただきたいと思います。料金は...」
 そう言いながら、内田さんが用意していた見積書を二人に見せる。
 着手金10万円(初回の相談料を含む)、経費実費請求、成功報酬5万~10万円、という見積もり内容を確認すると、母親の真美さんが口を開く。
「もっとお高いかと思っていました。これでよろしいんでしょうか」
「はい。何と言っても磯山先生のご紹介ですから。その代わり、と言ってはなんですが、こちらの深町に研修の機会として、メインで担当させたいと存じます。もちろん副所長である私が、責任をもってフォローします。ただし、万が一訴訟等になった場合は、別途お見積りになります。あと、この金額についてはご内密に願います」
「わかりました。ありがとうございます」
「ちなみにうちの事務所は、ルミナス比率が50%なんですよ」
「え、本当ですか?」と美咲さん。
「今日は二人ともおりますので、あとでご紹介しますね」
 用意していた株主の権利行使に関する復代理人委任状に、法定代理人たる母親の署名捺印、本人の記名をいただき、正式に受任となった。
「いったん当事務所で対応について検討し、深町から改めてご連絡させます。よろしいでしょうか」
「お願いします」と真美さん。
「はい」と美咲さん。

 二人が席を立ち、ボクが先導する形で会議室の外に出る。
「浅山先生、吉野先生。お帰りです」と声をかけると、二人がデスクから会議室の前にやってきて自己紹介する。
「所長の浅山輝佳です」
「弁護士の吉野未来です」
「今回はうちの期待の新人の深町が、お世話になります。よろしくお願いします」とルカさん。
「とんでもない。こちらこそ、よろしくお願いします」と真美さん。
「ご不満などありましたら、いつでも仰ってくださいね」
「美咲さんはルミナスの何組?」と吉野さん。
「1組です」
「すごーい。国立コースですね。ルミ中から?」
「はい」
「こちらの吉野は、一般で高校から入って、2年で特進、3年で国立と、よじ登ったんですよ」とルカさん。
「なんか、そちらのほうが憧れます」

「お聞きしてもいいですか?」と美咲さん。
「何かしら」とルカさん。
「法律事務所だと、みんなお互いに『先生』って呼ぶんですか」
「そうねえ。事務所にもよるけれど、うちは、執務時間中はお互いに『先生』で呼ぶことにしている」
「じゃあ深町先生のことも」
「そう。わたしもみんなも『深町先生』って呼ぶよ」
「へええ。カッコいいなあ」
「そして執務時間以外には、愛称で呼ぶようにしている」
「浅山センパイの愛称は?」
「『ルカ』。名前の『輝佳』からとったの」
「私は『ヨッシー』。吉野なので」
「自分は『ケイ』。内田恵一の『けい』」
「じゃあ、深町先生は?」と美咲さん。
「『シンジくん』。『新人』だから、じゃないよ。名前が『真二』だから」とルカさん。
「なんか、カワイイなあ」

 頃合いを見計って、真美さんが切り出す。
「本日は、ありがとうございました。どうぞ、よろしくお願いします」
 そう言って会釈すると、美咲さんが続く。
 事務所員一同会釈し、ボクがドアまでご案内する。

 真夏の昼下がり、まだまだ強い陽射しの中、同じくらいの背格好の二人は天歌駅へ向かった。

3.作戦会議

「さて、今日の10%の少女の件、シンジくんはどのように進めるつもりかな?」とルカさん。
 夕方6時を過ぎて、お客様もいないので、事務所は「先生」モードから「愛称」モードへと変わっていた。
「そうですね...」
 一呼吸おいてボクが続ける。
「美咲さんはあくまで株主です。取締役会設置会社ですから、彼女には会社の常務について、討議する場に加わることはできません」
「そういうことになるね」と内田さん。
「10%の持株ですから、議案を提出し、株主総会の開催を請求することが可能です。しかし株主総会で決議できる事項は限られています」
「ケイさん、定款はどうなの」とルカさん。
「会社法所定の事項以外に、総会決議事項として定められているものは特にない」と内田さん。
「取締役解任決議案を提出するとか、あるかもしれないけど、それは本当に最後の手段ね」

「ケイさん、会社の財務状況は?」とルカさん。
「決して悪くはないが、収益力と自己資本比率が今一つかな」
「磯山先生が、取締役の兄妹が動きをしようとしているって言っていたの、関係あるのかな」と吉野さん。
「そうね、ヨッシー。思い切った投資をしないとジリ貧になるけれど、そのためには外部からの資金調達が必要ということかもしれないね」とルカさん。
「その手法について、姉弟で考え方が違うということでしょうか」とボク。
「そのへんは、調査が必要ね」

「それにしても、創業者のお祖父様は、どうしてこういう微妙な持株比率になるような遺言を残したのでしょうか」と吉野さん。
「ヨッシーはどう思う?」とルカさん。
「よくわかりませんけれど、やはり取締役3人の意見を一致させないと、思い切った決定はできないようにしたってことでしょうか」
「美咲さんの10%は?」
「...それが、わからないです。彼女が成年になって会社に加わってくれるようになるまで長生きできる、と考えたとしたんでしょうか。でもそれだと、なんで10%なのか...」
「その点について、一緒に事業を立ち上げてずっと苦楽を共にした、お祖母様のお話を伺ってみたいと思います」とボク。
「そうそう、シンジくん。登場人物全員にインタビューするところから始めるのがいいね」
「わかりました。3人に面談のアポをとります」
「その面談に、美咲さんご本人を同席させるのはどうだろう、シンジくん」と内田さん。
「それって...大丈夫かなあ」
「ご本人がOKなら、いいんじゃない。きっとお祖父様のご遺志にも叶うでしょう。それに3人の話を聞いて彼女自身の考え方がより深まることで、どういう形で彼女の意思を反映させる対応ができるか、ソリューションが見えてくるかもしれない」
「親権者であるお母様の了解は、とっておいたほうがいいと思います」と吉野さん。
「ヨッシー、それ重要だね。じゃあシンジくん。一度お二人に会って、対応方針を説明してご了解を貰ってください」
「わかりました、ルカさん」

4.デ、デートじゃありません

「深町先生、お母様から」と、電話をとったルカさん。
 母娘との初回の面談から3日後、8月4日の午後に、お二人とボクで対応について打ち合わせるため面談することになっていた。
 お電話の内容は「仕事の都合で自分は行けなくなった。詳しいことはお任せするので、娘と相談して決めて欲しい」とのこと。
 電話を切ると、母親が来れなくなったことをみんなに伝える。
「二人きりだ。現役のルミ女生とおデート。やったじゃん」とルカさん。
「そ、そんなこと言わないでください」
 ルカさんへの持愛比率のメーターが、70%に振れたかと思うと即座に90%に振れ戻す。要するにドギマギしているのだ。

 約束の午後1時の10分前に、商店街のハンバーガーショップJUJU(ジュージュー)の前に行く。真夏の陽射しが容赦なく照りつける。今日の午後は事務所の会議室が2つとも埋まっているので、吉野さんが、オーナーに頼み込んで一番奥の席を予約してくれていた。彼女は、高校から法科大学院の間、JUJUでバイトをしていた
 初回の面談のときと同じ、薄クリーム色のブラウスにライトグレーのスラックスの、ルミ女夏服パンツバージョンで美咲さんが現れると思っていた。
 果たして現れたのは、白のワンピースに白のフラットパンプス、白のつば広の帽子をかぶった、フェミニンな装いの少女。
 全身白一色の、天使が舞い降りた...

「お待たせしました。今日はよろしくお願いします」
 緊張気味だったこの前とは打って変わって、リラックスした笑みがボーイッシュな顔の満面に広がる。ウェリントン眼鏡の奥の瞳がキラリと輝く。持愛比率は...ルカさんがかろうじて3分の2、すなわち「特別恋愛」を維持している状態。
「お、お願いします。それでは中へ」
 スレンダーなシルエットの天使を、ボクが店内に招じ入れる。
 緊張して動きが固くなっていないか、気になる。いい年をして情けない。

 カウンターで注文する。看板メニューのクラシックバーガーセットはボリューム満点。この前、恋愛契約の案件の成功報酬としてクライアントの少女たちからご馳走になったとき、食の細いボクには少しきつかった。今日はベジタブルバーガーセットにする。
そして彼女。
「クラシックバーガーセットをお願いします」
 オーナーの半澤さんにご挨拶して、予約した一番奥の席へ向かう。

「暑いですね」と彼女。帽子を脱いで、ベンチタイプの座席の奥に置く。ショートボブが顕わになる。帽子で和らげられていた「オトコマエ」感が増すのを感じる。
「そ、そうですね。美咲さんは、学校は完全にお休み?」
「はい、夏休み最初の1週間の講習が終わって、今は完全にオフです」
「部活とかは?」
「文芸部の活動も、最後の1週間の講習が始まるまでありません」
「へええ。文芸部なんだ」
「はい。メンバーが少ない哲学班に、頼まれて所属してます」
「ルミナスは中学から?」
「はい」
「国立コースって、1年はたしか最上位の30人だよね」
「ええ。ルミ中から20人と外部から10人」

 そうこうしているうちに、オーナー御自ら、トレーを2つ持って注文の品を運んできた。
「ようこそJUJUへ。深町さんは、2度目ですね」
「その節は、お世話になりました」
「こちらのお嬢さんは?」
「小学校に入る前に、家族で来たことがある、と母から聞きました」
 そうか。亡くなったお父様に連れられて来たんだ。

 それぞれのバーガーに取り掛かる。男性と女性が逆じゃね?と思いつつ食を進めると、だいたい同じくらいのタイミングにバーガーとポテトを食べ終わった。
「大丈夫? 量多かったんじゃない?」とクラシックバーガーセットを食べ終えた、スレンダーな彼女にボクが聞く。
「わたし、いわゆる『痩せの大食い』なんです」
「事務所の所長の浅山さんも、結構『よく学びよく食べる』タイプですよ」
 お腹が落ち着いて、ボクの気持ちも少し落ち着いたようだ。
「浅山センパイって、すごいですね。まだ若いのに、弁護士事務所の所長さんって」
「ルカさん...ええと、所長はルミ中からルミ女、そしてルミナス女子大だから、ハンドレッド・バーセント・ピュア・ルミナスなんだよ」
「深町先生は天大(あまだい)卒ですか」
 天大は我が母校、国立天歌大学。
「ええ。卒業から3年かけて弁護士になった新米。目下修行中です」
「このへんで弁護士さんになる人って、みんな天大か県立大かと思ってました。浅山センパイはすごいんですね」
「高校の間ずっと特進コースだったから、本気で受験勉強すれば天大や県立大に受かっていたかもしれない。ただ、弁護士になるって決めて、高校2年から司法試験の勉強を始めたんですって」
「カッコいいなあ。憧れちゃいます」
「弁護士の少ない天歌に、自分の事務所を開くって目標をずっと持っていたそうです。そして3年前に、大学時代にサークルで一緒だった内田さんと一緒に事務所を設立した」
「へえ。吉野センパイは?」
「事務所を開いて1年後に、司法修習を終えて加わった。その頃内田さんと吉野さんはもう結婚していました。二人は学生時代からの付き合いで、吉野さんが大学受験のとき、このお店で内田さんがカテキョーをやってたんだって」

「ところで今日は、お母様は急用だったんですか?」
「はい。どうしても外せない仕事が入ってしまったんです」
「そうか。お忙しいんだ」
「いえ、普段はそんなでもないです。ただの事務仕事なので」
「どんなお仕事? あ、差し支えなければ」
「そうですねえ。フィットネス系です」
「へえ、そう」
「これがほんとの『ジム仕事』...」
 彼女の口元に笑みが浮かぶ。
「駄洒落か~い」と、大学のときに付き合っていた関西出身のカノジョ風に、ボクはツッコミを入れた。
「ごめんなさい。話はぐらかしちゃって。土産物を扱う会社の事務をやっています」
「エムアイ産業じゃないんだ」
「ええ。さすがに微妙な立場ですから。磯山先生にお願いして、ご紹介してもらったところだそうです」

 カウンターに行ってドリンクを追加注文する。彼女のジンジャーエールとボクのアイスコーヒーをトレーに載せて、ボクがテーブルまで運ぶ。
「さて、本題に入ってもいいですか」
「はい。お願いします」
「磯山先生にお聞きした話、この前お母様と貴女から聞かせていただいたお話と、会社についての書類をもとに、事務所のメンバーで協議しました」
「はい」
「美咲さんは会社の株主ですが、取締役ではありません。だから私たち、つまり貴女と法定代理人であるお母様、そして復代理人である自分たちは、株主として会社に対してできることは限られています」
「株主総会、ですか?」
「そうですね。それが中心になります。美咲さんの持株比率ですと、目的事項を明らかにして、株主総会の開催を求める権利があります」
「でも、やれることは限られてるんですよね」
「そう。いただいた会社の定款を見る限り、株主として提案できる議案には制限があります」
「わかりました」と少し目を落として美咲さん。

「それから、会社の財務の状況を内田先生がチェックしました。財務というのはわかりますよね」
「会社の経済的な状況、ですよね」
「そう。決して経営が危ないというわけではないけれど、このままだとジリ貧になりかねない。将来のことを考えて、今のうちに思い切った施策を行うべき状況ではないか、と」
「思い切った何か、ですか」
「そうです。そしてそのためにはお金が必要です。何らかの形で、会社の外からお金を用立てなければならない」
「借金とか?」
「それも一つの選択肢ですが、それ以外の方法もあります。それぞれに一長一短あって、どれが正解か、というのを見極めるのは結構大変です」
 さすがにルミ女国立コースの秀才だけある。受け答えがしっかりしてるし、話もちゃんと理解しているようだ。

「それでは、わたしたちはどうすれば...」
「他の3人の株主がどのようなお考えかを、直接会ってお聞かせいただくところから始めるのがいいのではないか、と考えます」
「お祖母様と、聡美叔母さんと、健司叔父さんですね」
「そうです。そして美咲さん、貴女も同席してください」
「えっ、いいんですか?」
「そのほうが、お祖父様が貴女に『10%』を託した遺志に、叶うのではないかと思います。それに皆さんがどのようなお考えかを直に聞くことで、貴女がどのようにしたいか、もっと明確になるだろうと思います」
「わかりました」
「ところで...夏休みは8月一杯ですか」
「はい。最後の一週間は、午前中に講習がありますけれど」
「いずれにしても、8月中に何らかの結論を出したいですね」
「お願いします」
「3人には私から連絡して説明した上でアポをとります。美咲さんは来週、ご予定は大丈夫ですか」
「はい。合わせます」
「じゃあ、そういう進め方ということで、よろしいですね」

 2時を回っていた。本題が終わって、また四方山話。学校のこと、ボクが弁護士になるまでのこと、事務所のこと、内田さんのこと、吉野さんのこと、そして、ルカさんのこと。
「吉野さんは『エシア』のファンシーシリーズがお気に入りらしい」
「浅山センパイは?」
「ルカ...浅山さんは、ノスタルジックシリーズ」
「浅山センパイって、最初お会いした時から気になっていたんですけど、天歌のお殿様の一族とご関係があるんですか?」
「関係も何も、彼女は旧天歌藩藩主浅山家の当主の娘さんなんだよ」
「え? すごーい」
「世が世ならば伯爵令嬢。もっとも普段はそんな感じさせないけどね。一度だけ『本気モード』になったことがあったけれど、さすがにオーラが半端なかったな」

「実はわたし、父以外の男の人と外で二人っきりで会うのって、今日が初めてなんです」
 小学生の頃、放課後はたいてい一人で本を読んでいた。中学からルミナス。無理もない。
「デートしてるように見えるのかな」
 そのひと言に、持愛比率のメーターが振れ始めた。またもドギマギしているのだ。
「そ、そんな。10歳も年が離れてるんだよ」
「でも深町先生は、『大学生だ』って言われても納得できますよね」
 確かにボクは、年下に見られることが多い。
「吉野センパイみたいに、ここで家庭教師してもらおうかな」
「そ、それはそれでまた別の機会に...」
「冗談ですよ。それに...」
 しばらくボクの目をみて沈黙する彼女。再び口を開く。
「別の機会にお話しします」

 今日の面談記録を作って、お母様に今日中にメールでお送りするとともに、お祖母様の連絡先をお聞きすることにした。それから3人の株主との面談アポについて連絡できるように、美咲さんのメアドとスマホの番号を聴き取った。
 立ち上がって彼女が帽子をかぶると、店の入口へ向かう。
 カウンターにいたオーナーが「またどうぞ」とお見送り。
 外に出ると、陽射しは幾分和らいだが、熱気の壁に囲まれたような暑さ。
「今日はありがとうございました。アポが決まり次第、順次連絡しますね」
「ありがとうございます。ご連絡お待ちしてます」と彼女。
 全身白の装束を身に纏った天使が、天歌駅のほうへ向かうのを見送る。

<つづく>


#創作大賞2023  #お仕事小説部門

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