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わたしのターニングポイント

これまでの人生、長い道のりを歩んで来た。ターニングポイントがあったとすれば、それはきっと、あの瞬間だったんじゃないのかな。


決して親が敷いたレールではない。ただ方向は決められていたように感じる。「あっちに行こうね」「そっちじゃないでしょ」両親は厳しかったが言うとおりにしていれば安心だった。そして自分でも好きなことだと信じていた。

小学3年生、母親に連れられて電子オルガンを習い始めた。何もなかったわたしに小さな芽が出た。両親は小学校か、中学校の音楽の教員にさせたかったようだ。中学は吹奏楽部、高校はバンド。音楽に触れていない日は一日もなかった。

高校最後に進路を決める時、学校の教員にはならない旨を両親に伝えた。挫折であり、逃亡であり、反抗であった。電子オルガンではダメだった。

ほかにも理由はあるのだが、両親に言ったところで納得する事はないだろう。その溝は今でも溝のままだ。わたしは高校卒業まで続けていた電子オルガンの講師になった。となりの道に跳び移っただけだ。道は平行して続いていた。方角は同じだった。


歩いてきた道は平坦ではなかった。高い壁があって戻ったり、崖から転げ落ちたこともある。ただ漠然とした何かに怯えて回り道をしたり、別の何かに追われて先も見ず突っ走ったこともある。

わたしの周りは音楽に溢れていた。楽しい道のりであるはずだった。しかしその音楽が、いばらのトゲのようにわたしを苦しめる。いつしか真っ暗なトンネルのようになり、出口が見えなくなっていった。

ある時、周りが急に静かになった。立ち止まったわたしは、ふと空を見上げた。そこだけぽっかりとあいた穴から、青空が見えた。

まだ知らない世界が広がっている。本当に歩きたい道は別にあるかもしれない。ここから脱け出したい。自由になりたい。鳥になって大空を飛ぶことができるだろうか。


……わたしのターニングポイントは、分かれ道でも曲がり角でもなく、立ち止まって空を見上げた、あの瞬間だったのだと思う。




実際に飛び立つのは、もう少しあとになります。現実の話は↓こちらに少し。


noteははじめ、ただ読むだけのつもりでした。1か月以上たって「自分も書いてみよう」と思った時、アイコンを粘土で……いや、飛び立った新しいわたしの写真にしました。


↓ここにもいます。←違います。

明日が来るはずの空を見て
迷うばかりの心持てあましている
傍らの鳥がはばたいた
どこか光を見つけられたのかな

『メリッサ』ポルノグラフィティ
作詞/新藤晴一














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