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わたしの人生の伏線はポルノグラフィティが回収する

忘れたくても忘れられない苦い思い出、ありませんか?


小学生の時、母に連れられて電子オルガンを習い始めた。一番近い大きな街は札幌ではなく函館。だから年に1度の発表会は函館市民会館小ホール。発表会、嫌い。

中学校、吹奏楽部に入った。母に連れられて札幌交響楽団のコンサートに行く。指揮は尾高忠明さん。尾高さんが札響の常任指揮者になる前のことだ。「ヘンな時に拍手しちゃダメだからね!」母に言われる。「???」。第一楽章と第二楽章の間に拍手しちゃったオジサンが一斉に白い目で見られる。「音楽ってめんどくさいな」と思う。お客さんが誰もいなくなった入口前。父の車がなかなか来ない。尾高さんもひとりハイヤーを待っていた。「行って握手してもらいなさい」母に言われたが畏れ多くて近寄れなかった。函館市民会館大ホール。

高校の予餞会。卒業生を送るための催しだ。先生方が劇をしたり、在校生がクラス単位で出し物をしたりする。うちのクラスは『贈る言葉』を歌った。わたしの伴奏で。座ったとたん真っ白になった。暗譜したはずなのに、あのイントロが出てこない。何を思ったか即興で作った。が、みんなが歌い出せるはずがない。あぁ、思い出したくない。函館市民会館大ホール。

まだある。電子オルガンのコンクールに出た。出だしの和音を1オクターブ上から始めてしまい、どんどん上がるメロディーで鍵盤が足りなくなった。函館市民会館……えーと、どっちのホールだったかな。とにかく、あそこには悪魔が住んでいる。

電子オルガンの講師になった。生徒の発表会はやっぱり函館市民会館小ホール。講師演奏もあった。発表会、嫌い。この頃、某有名女性ピアニストが、演奏中に声を出した子供に怒って、演奏を中止したらしい。やっぱり音楽は敷居が高い。函館市民会館大ホール。もうやだ。


わたしはその後、講師の仕事をやめてしまった。とにかくイヤな思い出しかない函館市民会館。函館に行っても近くを通らないようにしている。


ここまで読んでくれたポルノファンのかたは、すでにご存知でニヤニヤしてることだろう。2022年。今年のアルバムをひっさげたポルノグラフィティのツアーは、その函館市民会館大ホールでも行われた。10年ぶりだそうだ。

10年前といえば、娘の高校受験の直前だった。設計の仕事がしたい娘は工業高校1校しか受けないと言う。娘がポルノファンになって初めての地元開催だったが「行って落ちたら一生後悔するよ」とライブに行くのをやめさせた。ホントは違う。わたしが娘に「ポルノのライブのせいで落ちた」と一生言い続けそうで怖かったのだ。

娘は工業高校に合格した。「ほら、余裕でライブに行けた」と一生恨まれそうだったが、4年前、ふたりで札幌まで行った最初のライブの席がなんと一番前!「あの時ガマンしたから、ご褒美もらえた」と笑ってくれた。「設計より面白い」と今は大工をしている。人生どう転ぶかわからない。


わたしもポルノグラフィティの曲に救われた。生きるのさえ辛かった時期に出会ったから。毎日聴くうちに、斜に構えていた音楽に対する気持ちも変わっていった。音楽を心から楽しめるようになった。今もポルノグラフィティのおかげで生きている。だから今年もライブに行く。行くよ。行くんだよ。函館市民会館。………行きたくねーなー。


違う。こう思うことにしよう。わざわざ向こうから会いに来てくれるのだ。その函館市民会館に。いつまでも自分の失敗を棚に上げ、何でも親のせいにして、昔のイヤな事ばかり思い出しては、もうすぐ60歳だってのに大人になれないわたしに。「そんなんじゃダメだ」って言ってくれるために。今年悲しくて青空を見上げてばかりだったから。ひきつった笑顔で感情を殺して生きているから。そんなわたしを心配して元気づけてくれるために。



ポルノグラフィティの昭仁さん、晴一さん、関係者のみなさん。全29公演の中で一番小さな函館市民会館大ホールに来てくれてありがとう。「少ないから大家族みたい」って言ってくれてありがとう。わたしはあの曲で叱られました。別のあの曲で泣きました。わたしのために歌ってくれたと思いました。「過去の出来事は今の自分がこうあるために必然的に起こったこと」そう思って笑えるようになりました。わたしはこれからも、ポルノグラフィティの曲を聴きながら、自分らしく生きていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。


また来てくださいね。函館市民会館。




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