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#26 京都で1日だけ、演劇をやります。

100日後、30歳になる小川 #26



言い訳みたいになってしまうけど、noteが書けなくなった理由のひとつにこれがある。もちろん絶対にこれだけではなく、ほとんどが僕の怠惰なのだけど。


ここ最近、脚本を書いていた。もう正直、僕の仕事以外で文章を書くという脳みその全てがここに注ぎ込まれていて、noteなんて書いてられなかった。というのは3割くらい本当。


30歳になるまでの目標として挙げていた、脚本を書く、そしてあわよくば上演する。を達成できそうである。上演は30歳になってからだけど。僕が30歳になった2日後、この演劇は上演される。

何故、今回演劇を作ることになったのか。それは5年前まで、いやもっといえば11年前まで遡ることになる。


11年前、僕は京都で学生をしていた。なんだか演劇をやってみたい気持ちを持った僕は、ひょんなことから大学の先輩の卒業制作(だと後で知った)に関わることになる。うちの大学には演劇サークルは存在していなかった。それなのに急に劇団が現れた。大学以外の場所で演劇をしていた先輩が、自身の名前をもじった名をつけた劇団だった。そこには、学内に貼られたチラシに興味を持った学生たちが集められた。なんだかんだあってその劇団で2回ほど舞台に立たせてもらったあと、劇団の一員として京都学生演劇祭というお祭りに参加することになった。その頃、京都学生演劇祭はまだ立ち上がったばかりで2回目の開催だった。

京都学生演劇祭とは、京都の学生劇団が集って作品を一挙に上演し、観客投票や審査によって賞が与えられたりするお祭りである。



結果は別にどうにもならなかった。
賞もないし、名誉もない。
でもなんだかとても楽しかったような気がする。(たぶんだいぶ美化されている)それが、京都学生演劇祭との出会いだった。

演劇祭を終えて、先輩は大学を卒業した。劇団には先輩の名前が付いたままである。残された数名で話し合って、その名前は捨てることにした。というか先輩にお返しすることにした。僕らは別の名前でやっていくんだと。そして新たについた名前が「ヲサガリ」だ。おさがりを貰って、成長していくぞという気持ちと、なんだか検索に引っかかりやすそうだし、50音順で最後だから何だか目立ちそうという理由で「お」を「を」にした。

そこから、ヲサガリでの活動をしていくわけだが一筋縄ではいかなかった。そもそも大学公認のサークルではないから、タダで使える場所がないし、学内では上演させてもらえない。こっそり他のサークルのBOXを借りて上演しようとしたら直前でバレて中止になったこともある。

その頃僕は大学を飛び出し、京都小劇場の演劇に関わるようになっていた。別の劇団に所属したり、客演(他団体の作品に出演すること)したり。ただそこではあくまで演者として、出演をすることが主だった。

その中でも、似た趣味嗜好を持ったおなじ大学の人たちと演劇を作ることはとても楽しくて、ヲサガリは続けていた。そこで第3回の京都学生演劇祭にも出ることになった。上演の日と京都マラソンの日が被ってしまって、フルマラソンを完走した後にそのまま役者として出演したりもした。今考えると頭がおかしすぎるし、それを許した周りの人たちもどうかしているなと思う。



この辺りからヲサガリはもはや、学生演劇祭での上演をしかしない団体になっていた。第3回をきっかけに名古屋の学生演劇祭に呼んでもらえたりもした。

残っていた別の先輩は卒業したし、他の同級生たちも学業に専念したりしていなくなった。気づいたらヲサガリは僕1人になっていた。


その中で、第4回の京都学生演劇祭にも出場することになった。学生演劇祭は例えメンバーが1人でも上演ができてしまうのだ。場所は用意されているし、受付だってしなくていい(今は参加団体が運営までやっているのでそうはいかないらしい)昔、無理をして学外で公演を打った時、自分で受付をしてそのまま演者として舞台に立ったらいっぱいいっぱいすぎて、なんのセリフも出てこなかったことがある。(前説の1人芝居みたいなやつで、その時は自らセリフが出てこないからやめまーす!本編をどうぞ!といって上演を中止した。気が狂っている。)そんな心配もいらないのだ。

それからは演劇祭のたびに、どこからか知り合いのつてで演者を連れてきては上演をする、自分で書いて、自分も出るを繰り返していた。上演の場を与えてくれた演劇祭には頭が上がらない。


そして5年前、学生として最後の京都学生演劇祭を迎えた。その時僕は24歳。大学院2年生として気づいたらもう7年間大学生をやっていた。仲の良かった29歳の演劇友達がちょうど通信の大学に入学した。2人で悪巧みをして、学生らしからぬ学生を集めて上演をすることになった。5人集まった。なんと僕ともう1人が最年少である。なんというか、一匹狼というかそれぞれがそれぞれの分野で好きなことを極めている人たちの集まりだった。


「ヲサガリの卒業制作」という作品を作った。自分達の足元を見つめる作品だった。8年学生を続けている主人公が卒業を決意したら、大好きなアイドルが卒業発表をするという話。それそこでなんと、大人気なくも観客投票1位を頂き、全国学生演劇祭に出場することになった。(長い時間をかけて学生演劇祭の輪が徐々に広がり、さまざまな地域で開催され、全国大会のようなものが生まれた感じだ。)自分の修了制作をそっちのけで演劇を作って上演した。それが僕の学生演劇祭での最後の上演だ。(結局今年やることになるのだけど。)実は観劇三昧というサイトで見れます。(いまみると、拙くて、若くて恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がない。)


当時、観劇に来てくれた担当教授には「修制こっちで良かったやん」という、褒めているのか褒めていないのかよくわからない言葉を頂いた。生粋の京都人の教授だから、たぶん褒めてない。でも見に来てくれたことが嬉しかった。


そして、僕は就職した。


それからもちょこちょこ、機会があって演劇に関わることはあったけど、自分で脚本を書いて上演することなんてもうできないし、しないと思っていた。


夏の始まりごろに、連絡をもらった。
京都学生演劇祭のエキシビジョンでお芝居をやりませんか?(昔、学生演劇祭に出場していた団体などが上演をしたりする枠がエキシビジョンだ。)


いや、まさか出来るわけがない。
そう思った。


ちょうど僕が急に30歳になることに怯えていた頃だった。なんとも言えない、不完全燃焼な日々が続く感じがしていた僕は、なぜかやりますと言っていた。


こうして、今回演劇を作ることになった。
どうせならあの時のメンバーを全員集めてやると声をかけた。奇跡的に全員が集まった。あと、僕以外は全員まだ学生だった。信じられない。


みんなは、すごく忙しい学生になっていた。研究室で1番上の立ち場になり学会が、研究が、などと日々に追われている。それなのにも関わらず、集まってくれた。


すごく忙しい学生たちに囲まれた、30歳に怯える会社員がつくった演劇がこれです。東京からひさしぶりに帰ってきて、学生時代の友人に再会するお話です。ほぼ、今の僕みたいなものです。なんだかもう、自分の身体の一部を切り出した、みたいなそんな作品になってしまった。


たった1日。京都で。
30歳になった2日後に上演する。


その瞬間を一緒に目撃してくれる人を募集しています。また、今回の作品についての気持ちをかけたら書こうと思う。書けるかなあ。書ければいいな。

手前味噌ですがビジュアルも、私がつくりました。



思っていたよりも、泥のような日々を笑いながら過ごして30歳を迎える。これが、自分らしい30歳の迎え方、なのかもしれない。


僕が30歳になるまで、あと9日。


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