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よもぎ栽培きっかけの「兼業農家DNA」

今日は朝5時過ぎからよもぎ畑のよもぎを収穫した。本格的な収穫は、今年になって2回目。次回は7月下旬か、8月の上旬。また、朝から作業するつもりではいるが、暑そうだ。

そもそも、なぜ、よもぎを育てているのか。
それは、妻がよもぎ蒸しや足つぼリフレクソロジーをする店を開店したからだ。
鳥取県若桜町氷ノ山という、夏は登山客とキャンプ客、冬はスキー客しか来ないようなかなりの山奥。
初めて来られる方は、道に迷ったり、「このまま奥に行っても大丈夫ですか?」と途中で電話を掛けて来られたりと、まさかこんなところにリフレクソロジーサロンが!?という立地である。
そんな場所の山小屋を改築してオープンした。
コンセプトとしては、リトリート(非日常)を体験できる場所。

店舗への集客ははまだまだ十分ではないが、出張サービスも行っており、年間のべ800人くらいのお客様に施術をしているらしい。
指にはタコができ、固くなっている。一人で活動しているが、家事もこなしながら頑張っている。

よもぎの栽培はもちろん一人ではできない。私達夫婦と妻の両親が手伝ってくれている。
栽培している畑は、一昨年まで両親が米を作っていた田んぼで、米作りが体力的にきつくなり休耕田になったため、そこをよもぎ栽培に活用している。

よもぎ栽培は妻の店舗で使うために始めた、つまり、妻のために始めたことだった。
しかし、最近では少し違ってきている。

今日もそうだったが、よもぎ畑で収穫するのは、私だけ、その後のよもぎの選別等を妻と両親がしている。
畑での作業は私だけなので、誰と話すわけでもなく、黙々と作業をしている。

実は、この黙々と作業をするのが、私には向いていると思うし、気に入っている。
黙々と作業をしながら、何かをボーッと考える。あるいは、何も考えない。
少しマインドフルネスに似ている、この時間が、頭を空っぽにしてリラックスにつながっている。
ある意味、ストレス解消!といっても、優しいクライアントさんが多いので、最近はストレス自体がほぼなく、ありがたく仕事をさせてもらっている。
身体的には、腰も痛いし肩も痛い。痛いけど、幸い私は肩こりというものにならないので、筋肉痛程度で済む。

今日も作業しながらボーッとしていて、ふと思った。私の父も毎朝早くから畑・田んぼ仕事に出かけているのだが、亡くなった祖父も毎日朝早くからよく働いていた。
たぶん、5時前から働き7時過ぎには原付に乗って県内の土木工事の現場に出かける。
夕方帰って来たら、また、畑や田んぼに出かけて作業をする。本当に働き者だった。

私の両親は共働きだったため、放課後は祖父母が面倒をみてくれていた。自ずと、一緒に畑や田んぼに出かけて行き、そこが遊び場だった。

今は、ほ場整備された田んぼと少しの畑だけだが、祖父が元気だった頃は柿畑もあり、機械が入りづらい棚田もありと、「テーラー」という小型営農機を操りながら作業していた。今よりも大変だったと思う。

そんなことを思い出しながら、私自身、40歳を過ぎ、早起きがそれほど苦痛ではなくなってきたので、小規模ではあるものの農業を楽しめるようになりつつあると感じている。

「兼業農家DNA」が活性化されつつある。

祖父母に面倒を見てもらっているとき、私が長男であることもあり、祖母からは英才教育(?)が行われ、家を守ること、田んぼを守ること、墓を守ること、教師になることを刷り込まれた気がする。ちなみに、教師にはなっていない。

祖母には、兄と姉2人がいたのだが、兄は戦死、姉2人は嫁いだため、末っ子である祖母が家を継いだ。祖母の両親はそんなに長生きではなかったので、祖母としては「家を守る」ということは、非常に重要なことだったのだと思う。それは、今でも意識の中に強くあるように感じられる。
祖母は以前、「若いときは大変だったけど、おじいちゃんと一緒でよかったわ」と言っていたことがある。私の記憶では、二人はよくケンカしていたような気がするが、年をとってから良い思い出だけが残っているのは、いいことだ。

今、父が毎日やってくれている我が家の田んぼや畑の面倒も、いづれは私がやらなければいけない。
流石に、今から毎朝畑・田んぼ作業はつらいので、”いつかは”となってしまうが、今のところは、若桜のよもぎ畑の世話程度がちょうどいい。

よもぎ栽培は今年で2年目。昨年は葉っぱが黄色くなって焦ることもあったが、今では対処法もわかり、順調に栽培できるようになってきた。
季節ごとのよもぎの香りの違い、味の違い、それらは収穫のタイミングや加工方法によって違ってくる。
よもぎは一度定植すると、10年間は収穫できる。

とりあえず、私はよもぎを元気に育てることに専念し、よもぎの活用方法などについては、妻と義母に任せている。

今後は、よもぎ商品の開発や販路開拓にも取り組んでいくらしい。
義母は氷ノ山の店舗でよもぎを使った、ちょっとした料理をご提供できるように、準備をすすめている。

私は、よもぎが商品化される日、料理が提供される日を楽しみに、よもぎを育て続ける。

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