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下手くそな私を堂々と見せる

クリスマスの日の事である。
私はネットでピザを注文した。
しかし、店頭で受け取れたのは指定の時間を1時間過ぎた頃だった。

ピザ屋さんに電話も繋がらず、状況も分からず、ネットで既にお金を払っている為キャンセルも出来ず、鬱憤が溜まりに溜まっていた私は、注文サイトのお客様からのフィードバック欄にややきつめに事実と怒りの感情を書いた。

しかし、それだけでは飽き足らず、何処かでそのピザ屋さんの悪口を言いたくて仕方なかった。
Twitterを開いてみた。
すると、そこには私と同じような経験をした人たちの怒りが溢れていた。
私はネットに私の怒りを流すのをやめた。
それは、感情に任せて批判をする事は品位のない事だと、理性が言ったからであり、強い意見や感情を主張する勇気が出なかった為だ。

この本を読んでその時のことを思い出した。

「たちどまって考える」 
ヤマザキマリ 中公新書ラクレ


新型コロナウイルスによって、世界各国の違い、民族性の違いが浮き彫りになっていたのだと、若い頃からあらゆる国で過ごしたヤマザキマリさんの本書を読んで知った。

日本人は喧嘩が下手、意見を周りに主張する事が苦手で、「空気を読む」「同調圧力」によって動いている。
私もまさにそうだ。
周りと波風を立てたくないと思う。
意見を言うことが怖い。
良さそうな人が言った事に同調したがる。
ヤマザキマリさんが言う「猜疑心」がない。

私は人をすぐ信じてしまう。
人の言葉を鵜呑みにしてしまうし、高額な通信教育を契約しそうになった事もある。
つまりは自分の頭で都度考えてこなかったからに違いない。
その人の言葉にはどんな思惑があるのか、根拠はあるのか?と疑わずに、受け入れた方が楽だからだ。


人を信じることを美徳として、自分の思った通りにならないと裏切られたと言う。
騙すより騙されたいと言う。

私の場合、まずは信じられるのかどうか、自分のモノサシで疑ってかかる訓練が必要なんだろうな、と思う。
その為に自分のモノサシ、自分の辞書を分厚くしておきたい。
まずはインプット&インプットして、溢れ出るものをアウトプットしていく、なんてどうだろう?

人間にとって最終的に頼りになるのは、自分自身以外にはありません。自分の人生に対する「答え」を出せるのも、その本人でしかありません。だからこそ自らを見据え、鍛え、「頼りがいのある自分」を私たちはつくっていかなければならない。

自分と向き合う為に、このパンデミックを立ち止まって考える時間に出来た人が、新しい世界にも立ち向かっていけるのかもしれない。

#ヤマザキマリ
#たちどまって考える
#本好きな人と繋がりたい
#猜疑心

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