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『人生プランを持ちすぎず、自身の根底にある想いをベースに選択するために』 株式会社サイバー・バズ 常勤監査役 礒村奈穂さん

「少し壁に当たっただけで諦めてしまい、大学生活で頑張ったことが“大学受験”しか思い浮かばず、焦りを感じていました。」そう語って下さったのは、株式会社サイバー・バズ 常勤監査役の礒村奈穂さんです。

そんな中、大学3年次に会計士のOBによる講義を受けたことで、「選考してもらうのではなく、自分自身で選択できる人生を歩みたい」という想いが芽生え、会計士を目指すようになったという礒村さん。とはいえ、特に20代前半は、人生プランから逆算して物事を考えすぎるがあまり、上手く行かない時期が続いていたと言います。そんな礒村さんが大学3年次に抱いた想いを具現化されるまでのライフストーリーに迫りました。

【本文用】株式会社サイバーバズ常勤監査役 礒村菜穂さん

取材日:2022年2月16日(水)

礒村菜穂さん(2列目右):1986年生まれ、宮城県仙台市出身。株式会社サイバー・バズ 常勤監査役。
2008年に横浜国立大学経営学部を卒業し、2008年に会計士試験に合格。同年12月、あずさ監査法人(現 有限責任 あずさ監査法人)に入所し、IPOや海外での内部統制構築支援に携わる。効率化を得意とし、当時激務と言われた繁忙期の残業時間をゼロにする。また、地方事務所にて監査業務のみならず、チームメンバーの育成から業務の効率化を実現させるなど、幅広い経験を積み上げる。2012年公認会計士登録。公認会計士協会女性活躍促進プロジェクト委員・学生向け社会人メンターを務め、女性のキャリア支援活動を行う。その後IPOの経験を活かして、2017年に株式会社サイバー・バズで常勤監査役に就任し、就任から1年半で上場を経験する。2021年BONDビジネススクール(MBA)修了。現在2児の母。

『母の後押しと藤巻兄弟との出会いに強く影響を受けた進路選択』

WI大山:礒村さんは宮城県仙台市ご出身で、大学進学を機に上京されたとのご経歴を拝見しました。私の祖父母が住んでいた地域と近くて、勝手ながら親近感を抱いておりました。
大学では経営学を専攻されていたとのことですが、いつ頃から進路を考えていたのでしょうか。

礒村さん:東京を視野に入れて進路を考えるようになったのは、高校2年生ぐらいだった気がします。地方にいらっしゃる方は気持ちが分かると思うのですが、東京に対する憧れがあるんです。仙台は自分のアイデンティティで誇りはあったのですが、若干閉塞感を感じる部分もあり、都内に出たいと考えていました。
そういう単純な想いを持っていたことに加えて、母の後押しは大きかったと思います。母は宮城出身で今もなお住んでいるのですが、当時首都圏の大学に進学したかったものの、「地元にいなさい」と言われて行けず、悔しい想いをしたそうなんです。母1人、子(礒村さん)1人で育ったので、私が上京進学を決めた際に周りから「子ども1人なのに、東京に出していいの?」と反対されたそうなのですが、自分の可能性を狭めず、やりたいことをやってほしいと思っていてくれた母の後押しもあって決めました。

中学生から高校生の間って「自分とは何だろう」と悩む時期でもあると思うのですが、「自分ブランドで勝負しましょう」と訴えられていた藤巻兄弟(お兄さんが伝説のトレーダーで、弟さんは伊勢丹の元カリスマバイヤー)の本を読み、マーケティングに興味を持ちました。中でもマーケティングは経済より経営の方が近いかなと思い、経営学部を選びました。家庭の事情で国公立以外の大学進学は難しかったので、経営学部がある横浜国立大か神戸大のどちらかであれば、宮城に近い方にしようと横浜国立大学に進学しました。

『少し壁に当たっただけで諦めてしまっていた大学時代』

WI石橋:お話を伺い、強い意思を持って大学に進学された印象があるのですが、大学時代はどのように過ごされていたのでしょうか。

礒村さん:高校3年生の頃に新聞のコラムで藤巻兄弟に出会って以来、アパレルやマーケティングに興味を持っていたので、そこを軸に色々なことにトライしていました。比較的目標がある方で、「こういうことを学びたい」という気持ちもあったのですが、大学に入って燃え尽きてしまったようなところがあり、中途半端な状態で過ごしていました。

起業やIT系企業がブームだった大学2年生の頃、起業を視野に入れて、大学のサークル練習や対戦相手のマッチングと、運動場をシェアリングできるサービスを構想していました。でも中途半端に頓挫してしまって、若手女性のファッションショーを主催している会社のインターン選考を受けました。プレゼンは勉強になったのですが、選考が厳しく、結果は伴いませんでした。インターンや起業とチャレンジはしてみるものの、何か違うなと思い、少し壁に当たっただけで諦めてしまっていました。

『会計士を志望するきっかけになったOB講演』

WI板倉:私は2年生の頃に簿記の授業を受けて、この道を極めていきたいと思うようになり、会計事務所でバイトしながら税理士の勉強をしています。礒村さんが会計士としてキャリアを歩んでいこうと決意されたのはいつ頃だったのでしょうか。

礒村さん:大学3年生の頃でしたね。就活で学生生活で力を入れたことを考えてみたところ、思い浮かばなかったんです。1番頑張ったのは大学受験で、それを超えるような体験が出来なかったという焦りを感じていました。何か自分の武器を身につけたいと思っていた頃に、会計士のOBの方が講演される授業があり、その先生が自分の人生を歩んでいらっしゃるように見えて。その時、「選考してもらうのを待つのではなく、自分自身で選択できる人生を歩んでいきたい」と思いました。
もしその時にその会計士のOBの方に出会っていなかったら、会計士として働いていなかったかもしれません。資格があればいいというわけではないですが、武器を身につけたいと考えていて、会計士の資格やら何やら取得できたら、色々なところで通用するような強みが作れると思っていました。

『何で私ばっかりと思う場面が多く、苦しかった20代前半』

WI大山:他メディアで「監査法人での勤務時代、クライアントが常に10〜20社いて、IPO準備企業から東証一部上場企業、パブリックなどをご経験されていた」との記事を拝見しました。幅広く責任の重いお仕事を数多く担当されてきたと思うのですが、就職初期に大きなやりがいを感じる経験や、ロールモデルとの出会いがありましたか。

礒村さん:ないですね。リーマンショックや時代もあり、業界的にリストラも多かったので、仕事を失うかもしれないぐらいの状態でした。特に20代最初の頃は、苦しかったんです。何で私ばっかりと思う場面が多く、ロールモデルみたいな方と出会うこともできませんでした。ロールモデルではないのですが、働く女性に出会ったのはもうちょっと後で、そういう時に花開いていった気がします。それまでも素敵な女性は、いらっしゃったのですが、仕事上同じように歩むのは難しいなと感じていました。

今思うと「もう少し楽になったらいいのに…」と思うのですが、何が悪かったのかな、こういう解決をしたらいいのかなと考え込む癖がありました。苦しい現実があったら、じっと耐えてそのまま突き進む方が苦しいなと感じるタイプなので、ちょっと変えてやりやすくなったりする方が嬉しいなと思いながら、トライアンドエラーを繰り返していました。

WI板倉:4月から社会人になるにあたって、バイト以上に仕事は楽しいことばかりではないと不安に思うことがあって…。礒村さんは苦しいなと感じた際、どのように気持ちを切り替えていらっしゃいますか。

礒村さん:20代の頃の私が苦しいなと感じていた要因は、自分の内にこもり過ぎたことだと思うので、今同時に戻るとしたら、色々な方に相談させて頂くかなと。自分で内省する時間の重要性も感じているのですが、相談することで見えてくる視点があると思うので、両方のバランスを取れるといいですよね。

『監査法人勤務時代に上司から問われた「自分にしかできない仕事」』

WI大山:大学生であれば迷惑かけない程度で、取捨選択できると思うのですが、社会人は1年、2年単位で仕事を辞められないなと。そんな難しいところを礒村さんはどんなふうに切り抜けられてきたんだろうと思っていたんです。今から社会人になるにあたって不安に感じている部分だったので、お話し頂けて嬉しいです。礒村さんにとって意識や仕事のやりがいが変わっていったターニングポイントはありましたか。

礒村さん:2つあります。1つは、監査法人で働いていた時に、海外に駐在されていた経験をお持ちで広い視点で指摘して下さる上司から「この中にあなたの意見は入っていないよね」と言われたことです。過去を踏まえて効率的で綺麗なA案、B案、C案を揃えて、完璧だと思いながら自信を持って上司に相談しに行ったんです。
そのクライアントさんとは私が1番長くお付き合いさせて頂いていたのですが、「このクライアントの経営層は、ここから何を読み取るんだ。あなただから言えることは何なんだ」と質問されて。自分の意見が一切入っていない資料を一生懸命作っていたので、「あなただからできる仕事は?」という問いは大きく、私がやっていたことは機械でもできることだったんだと気付きました。

もう1つは、常勤監査役をしているサイバー・バズが上場した時ですね。公認会計士の使命である「国民経済の発展に寄与する」をより意識するようになりました。社員、お取引先、投資家の方々から信頼して頂いて、皆様が生活している。世の中に対する責任を負う立場なのだと感じたのが上場した時でした。会社の皆様が受け入れて下さって、楽しくすんなりお仕事出来ていたのですが、経営層と会議をする度に、自分には会計の知識しかないと実感するようになりました。就任当時は、知らないインターネット広告の用語もありましたが、経営陣と私自身がお互いに持っている知見を交換するような感じ、ギャップがあったら埋めればいいと思い、その都度勉強していました。

WI板倉:4月から会計事務所に就職するので、どうしても伺いたいと思っていたことがあります。大学卒業後から会計一筋でお仕事されていらっしゃいますが、礒村さんにとって会計のお仕事とは何でしょうか。

礒村さん:結果として会計畑に行って良かったと思っています。というのも、今後ますます非連続なものが増えて不確実な時代になっていく中で、どこでも使えるスキルだと感じています。会計は個人の家計や企業のみならず、最近は環境問題にも会計の視点が活かされるようになっていて、根底になるものだなと。人生や世の中の流れ上、問題解決力は1つベースになると思うので、それを担保してくれる強いものが会計力にもなるのかなと。そういう意味でも選択肢を狭めずに、会計を用いて色々なことができるといい気がします。

『逆算で物事を考えすぎていた20代』

黒金:他メディアで「自分の強みが欲しいと思っていたものの、公認会計士を取得したことで自身の選択肢を狭めてしまったことがあった」と仰っていた記事を拝見しておりました。何がきっかけで気付いたのでしょうか。また、礒村さんはご自身が歩みたいキャリアを考える時間を、どれぐらいの頻度で取られているのでしょうか。

礒村さん:きっかけは、育児休暇取得です。社会に出ると「フワッともっとこうしたいな」と思っていたキャリアが現実になるのですが、今振り返ってみると身近な環境だけを見てしまって近視眼的になっていました。逆算で物事を考えすぎていて、「30歳までに2人子どもが欲しいなと思うと、2歳差にしても28歳ぐらいまでには1人目を産まないといけないかな。でも結婚したら2人の時間も楽しみたいな。そう思うと25歳までには結婚しなければいけないし、お付き合いや同棲期間を考えたらあれ今彼がいないとダメじゃない?」みたいなことを考えることってありませんか。私自身、それをキャリアにも当てはめすぎていたんです。

私はキャリアを積みたいと思っていたので、逆算のベンチマークに「ここで昇格をしなきゃいけない」「ここでこういう案件に入らないといけない」を据えてしまっていました。私の人生プランなんて組織としては知ったことではないのに、自分がコントロールできないところに目標を置いてしまって上手くいかず苦しかったんです。

「このルートが断たれたから、こういう道で行ったら私の人生のプランは達成されるかな」と迷路をうろうろしていた状況でした。迷子のような状態で育休に入ってしまったのですが、仕事から物理的にも離れたことによって将来について考えることができました。
私は「〜しなきゃいけない」と逆算していたのですが、育休中にコーチングに出会って「あなたはどうしたいの」と聞かれ、色々なことを考えてみたんです。1周回って大学時代に「自分の人生は自分で選びたい」という想いを抱いていたことを思い出し、私は「会計士になったからこうしなきゃいけない」思考になっていたんだと気付きました。

『選考してもらうのではなく、自分で道を切り拓こうと思った育児休暇期間』

WI大山:礒村さんだからこそできる仕事を見つめ直すターニングポイントだったんですね。「選考してもらうのではなく、自分で道を切り拓いていきたいと思った」と大学時代のお話をして下さっていましたが、どのタイミングでその想いを具現化したキャリアに移行されたのでしょうか。

礒村さん:これも育休期間中がきっかけです。組織に属しているから自由に出来ないことはなく、自分がやりたいこと、もしくは相手企業やお客様に提供できることのニーズがマッチしている状態が働くことなのかもしれない。または、顧客への商品の提供なのかもしれないですし、それが合っていればいいと思うんです。

私は監査法人に所属して働いていた頃、所属していたから出来ていなかったわけではなく、自分の歩みたい人生の方向性とその法人が歩んでいくだろう方向性が乖離していて。育休中にキャリアチェンジを視野に入れながら復職した際に、ここからは別れ道になるんだろうなと思い、退職を決断しました。
キャリアを考える頻度は、その時々で変わりますが、育休やまとまった時間がある時の方が考えることの方が多かったかもしれないです。今回取材前に事前質問を頂いたことで、改めて考えることも多くて。「主体的に自分の人生を歩みたい」「長く働きたい」「ライフステージの変化」はウーマンズの皆さんにとってのキーワードになっているのかなと思いながら、「働き続けるって何かな」「働き続けなきゃいけないんだっけ」と色々考えます。今は自分と向き合う時間って今日のようにインタビューを受ける時ですね。

WI大山:働く中で感じた気持ちについて沢山お話伺えたことが嬉しく、働きやすさという面もお伺いしたいなと思っていて。監査法人で働いていた頃と今とでは、どちらがご自身の身に合う働き方だと感じていますか。

礒村さん:私は結構働くことが好きなんです。お仕事が嫌いな方もいるかもしれないのですが、大学時代でいうとゼミの合宿や卒業論文に向き合っているとハマってしまって、気付いたら夜遅い時間になっちゃうとかあるじゃないですか。仕事も同じで、働き方改革の定時撤収の全てがいいわけではないと思うんです。没頭できる楽しさは監査法人で働いていた頃もありましたし、今もあって、どっちが働きやすいというのはないかもしれないですね。フェーズによって変わると思います。

『敵を作らず、社内外にスポンサーを』

WI石橋:特に会計業界は日々勉強や、情報を更新していく必要がある業界という印象を抱いているのですが、知識や情報をどのように取り入れていらっしゃるのか。また、どのようにモチベーションを保っていらっしゃるのか教えて頂きたいです。

礒村さん:そうですね。日々勉強というのもありますが、逆にそれがストップしたとしても後で取り返しがつくことも多いので、常にアップデートしないといけないわけではないと思うんです。
ただ情報は得られた方が良いので、個人的に情報誌で勉強し、会計士や監査役のコミュニティで「こういうの出てましたね」というお話をすることもあります。また、「この会社でこういうことで困っているのですが、皆さんどうしていますか」と尋ねるなど、コミュニケーションの中で得ているところもあります。

WI平谷:お話を伺いながら、信頼関係の構築に重きを置いていらっしゃると感じたのですが、お客様や同僚とのコミュニケーションで意識されていることはありますか。具体的にどのような工夫をされているのでしょうか。

礒村さん:クライアントの方にも教えて頂くという気持ちで、どの立場の方でも、例えば子どもに対しても、その時会話する相手を尊重するということは意識しているかもしれないです。「こういう方なのかな。こういう事情を抱えているのかな」という仮説を持つことは大事である一方で、バイアスを持ちすぎず、相手を決めつけないようにしています。ある時、上司や外部の方とのコミュニケーションの構築は、「批判ではなく提案を」「敵を作らず、社内外にスポンサーを持つといいですよ」と教えて頂いたことがありました。それを大事にしたいと思って、コロナ前まで対面でご相談を受けた際には、なるべく正面ではなく隣に座ってお話するようにしていました。

WI平谷:礒村さんがスポンサーを持つ上で大切にされていることはありますか。

礒村さん:スポンサーといっても、全面的な支援者じゃなくてもいいと思うんです。普段お話できるような関係性で、「こういうことに興味があると話していたから声かけてみよう」と思い出してもらうくらいの存在になれたらいいのかなと考えています。色々な方のお話を聞いて興味を持って、「自分も何かこういうことをお手伝いしてみたいんです」と日々考えていることを伝えると、応援して頂ける気がします。

『ロールモデルを追うより、パイオニアを目指す』

WI大山:礒村さんにとってのスポンサーも憧れの対象かと思いつつ、上京進学を後押ししてくれたお母様がロールモデルという要素も強いのかなと勝手ながら想像しています。ロールモデルや憧れる先輩はいらっしゃいますか。

礒村さん:素敵だなと思う方はいらっしゃるのですが、私はロールモデルを置く方が苦しくなるタイプなんです。例えば凄く立派な方だとしたら、「この時期にこういったところでバリバリ働かれていたのに、私は…」となるので、あまり置かないようにしています。ロールモデルによってすでに道が出来ていることもあるのですが、その方があまりに立派だと自分が道を外れてしまうのが苦しくなったりする。その点、パイオニアであれば自分でやりたいように出来て楽なので、素敵な方の意見は取り入れつつ、自分は自分と思っています。

WI大山:ロールモデルを比較対象として置くのではなく、素敵なところは素敵だなと留めて、自分は自分で切り拓いていくというスタイルということですね。

礒村さん:そうですね。ただそういう方から直接お話を伺うこともあり、アドバイス頂いたら素直に行動に移すようにしています。MBAいいわよと言われたことがあり、昨年取りました。

『夫婦合宿で将来のビジョン共有』

WI大山:ありがとうございます。資格を取得して長く同じ業界で働き続けながら、ライフステージの変化を迎えてもご自身の選択肢を広げられている礒村さんの姿に惹かれて、今回取材させて頂きたいと思ったので、パートナーとの関係構築についても伺いたく。私個人的にはお互いの選択を応援できる人と一緒にいられたらいいなと考えているのですが、パートナーが自分にどう生きてほしいのかって実際に変化を迎えないと分からないのかもと思うことがあって。礒村さんご夫婦は、お互いの選択を応援するためにどんな工夫をされているのか気になっています。結婚の決め手と合わせてコミュニケーションのコツを伺えたら嬉しいです。

礒村さん:私の夫は監査法人時代の上司で、尊敬していました。結婚の決め手というより、「結婚してくれてありがとうございます」と思っているぐらい、本当に素晴らしい夫です。日々色々なことを話すようにしているのですが、日々の雑談は流れてしまうので、たまに合宿をしています。まだ子どもが小さいので、子どもが寝た後にテーマを決めて話しています。この前は家族のビジョンについて決めました。

WI大山:対話できる、話したいと思ったことを色々共有できる方なんですね。

礒村さん:そうですね。そこは説得したというよりかは、元々そういうタイプだったかもしれないですね。いつでもフラットなので、そういうところが凄いなと思っています。

WI大山:礒村さんは行動することを大事にされている印象があります。高校生、大学生、社会人初期のウーマンズ読者に向けて、礒村さんはどのように自分を生かす選択を描かれてきたのか伺いたいです。

礒村さん:小さいことで良くて、SNSやオンラインのセミナーなど、まずは参加してみるといいと思います。例えばセミナーだったら質問する、対面だったら前に座ってみるとか、そういうことをやる方って意外に少なくて、ほとんどの方は後ろの方に座ってパッと帰っちゃうんです。それだけでも数%の人しか取らない行動ができる。例えばMBAなどになってしまうと、金銭的なことが発生してしまうので、難しいと躊躇されることもあると思うのですが、できることは沢山あるので、まずはそういうことをされるといいのかなと。私もすれば良かったなと思っています(笑)。

WI大山:大学生活は私自身のワクワクをベースに選択出来たのですが、将来結婚や子育てを経験してみたくて、「20代は仕事に捧げて、30代以降の選択肢を狭めないようにしなきゃ」と思っている自分がいたんです。でもまずは気負いすぎずに、その都度自分が大事にしたい要素を考えて取捨選択していいんだとエールを頂けた気がして、嬉しかったです。大学時代から礒村さんの胸の内に抱いていた「選択できる人生を歩みたい」を叶えるまで辿ってこられた道のりを共有下さって、ありがとうございました。

(企画:板倉由茉石橋真帆|取材:板倉由茉、石橋真帆、大山友理、黒金万紘、平谷佳子|執筆:板倉由茉、石橋真帆、大山友理|編集:大山友理)


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