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ぐっときたことば(ローマ教皇)

中学生の母も残り数ヶ月。

子育て、またひと段落!

これほど「正解」のない、
不意打ちのような試練や
笑いに満ち溢れた経験
はないと思う。

「人」が育っていく過程の
まあ、凄まじいこと。

以下はかつて、高校を卒業
する息子の巣立ちに際して
書いたこと。娘に対しても、
まったく同じ気持ちである。

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2019年の冬のニュースより。

ローマ教皇が来日され、
長崎や広島では核撤廃を
訴えられ、東京では、
日本の格差や貧困問題に
ついて言及された。

以下は、ニュースからの
引用(J-CASTニュース)。
日本の社会全体、主に、
若者に対する見解だ。

「社会的に孤立している
人が決して少なくなく、
いのちの意味が分からず、
自分の存在の意味を
見いだせず、社会から
はみ出していると感じて
いる。

家庭、学校、共同体は、
一人ひとりが支えを見いだし、
また、他者を支える場である
べきなのに、利益と効率を
追求する過剰な競争意識
によって、ますます
傷ついている。

多くの人が、当惑し不安を
感じている。過剰な要求や、
平和と安定を奪う数々の
不安によって打ちのめされている」

 この言葉を読んだ時から、
すでに「社会」で生きて
いる大人の私が、やがて
巣立つ我が子や生徒たち
にとって、どれだけ支えに
なれたのか、また、平和と
安定に貢献できたのか、
自問自答を繰り返している。

 日々の子育てにおいて、
習い事や受験において、
過剰な要求をしたり、
目に見えないところで
きずつけることがあった
のではないか。

 目先の「数字として
叩き出される評価」が、
その人そのものの「価値」
になるはずもないのに、
「良い数字」にばかり
着目していなかったか。

 究極、子どもも大人も
「いのちの意味」
「自分の存在の意味」
かすかでも手中に
握りしめて生きていく
ことできれば
よいのではないか。

それが、巣立ちゆく
息子に持たせたい、
最優先事項の
事柄だと再認識した
2019の冬だ。

その想いは、
2021年も続いている。

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