五百旗頭真先生

昨日、五百旗頭真先生逝去のニュースが流れました。
先生の経歴や功績についてはこちらをご参照ください。

 先生については、私が学生の時に先生の政治学の講義を受けたことがあります。当時、学校では2年生まで一般教養課程を、3年生から卒業までは専門学科のカリキュラムを修学するシステムでした。一般教養課程では文理系の講義が広く様々なものあり自由に選択できましたが、私の学科では理系でありながら文理系それぞれから必要単位数を取得しなくてはならないルールがあって単位が足りないと3年生に上がれませんでした。事実、私のクラスによって1名がルールの適用で留年しました。入学直後でよく分からないまま文科系の中から名前だけで選んだのがこの政治学でした。

 講義初日、私は広い講堂のやや後ろの席に陣取って始まりを待ちました。教壇に立たれた先生は当時黒髪で若々しい印象を受けました。先生は講義開始早々に講堂を見渡してから笑顔で、「講堂は広くて私の話が聞こえないかもしれないので、皆さんもう少し前に来ましょうか」と両手を広げて手招きされました。私も促されて教壇近くの席に移動しました。
 講義を受ける前は専門用語ばかりの難解な内容ではと不安でしたが、youtubeの動画で見かけるような近代史の出来事や人物にスポットを当てた内容で、私のようなぼんくら学生にとって分かりやすい内容ででした。講義の中で石原莞爾についての解説があり、先生も研究中であるとお話されていました。石原については今でこそ広く知られていますが、太平洋戦争前後の歴史が好きだった私も初めて知りました。学生当時は「太平洋戦争以前はすべてが軍国主義で悪。平和憲法があれば日本は平和で善。」といった風潮が強く、ましてや石原のような軍事思想家の研究は進歩的文化人に白眼視されそうな世の中だったので先生の講義内容は私にとって新鮮で興味深いものでした。それ故に講義は毎回一番前の席で受講しました。

 一般教養課程では先生の方向性とは真逆の内容の講義もあり、講義名は忘れましたが岩波新書の「昭和史(新訂版)」を教科書にしたものもありました(この本は左寄りの見地から昭和を解説しており、また朝鮮戦争は韓国が北朝鮮に攻め入って始まったとの誤った記載もあり個人的には教科書とするのはどうかと思います)。しかしながら、様々なジャンルがあってしかも内容も多様な講義を受講することができて、それによって一般教養の根本にある様々な見方や世界を知ること(自分と異なる考え方も知っておく)が重要であることを経験できたので、今も私は大学に入って本当に良かったと思っています。

 現在日本は安全保障において明確な方向性を求められている状況にあり、先生にはもう少し私たちを見守って頂きたかったので残念です。
 改めて先生の講義を受けたことを幸せに思います。茲に謹んでご冥福をお祈りします。

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