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美しい器で食す

 祖父錦光山宗兵衛の「京薩摩」の陶磁器をふくむ、明治の工芸の逸品を展示しております、京都の「清水三年坂美術館」の村田理如館長がオーナーをされている祇園の料亭「津田楼」をおとずれる機会がありましたので、ご報告させていただきたいと思います。

 宵闇のせまるころ、初夏の風をあびて、花見小路をそぞろ歩いてまいりますと、「津田楼」とかかれた紅い祇園ちょうちんに、萌葱色のおおきな暖簾のかかった「津田楼」が見えてまいりました。「津田楼」は幕末からつづくお茶屋だったそうで、大正時代の典型的なお茶屋の造りを残しているそうで、村田館長がその名店が消え去ることは忍びないとの思いから、オーナーになられたそうであります。


 玄関に入りますと、静かなたたずまいのなか、大ぶりの壺に、丸いネギ坊主が紫色に彩られたようなギザンジュームの花とすっきりと伸びたオクラレルカの葉が活けられておりました。どこかお茶屋の風情が感じられます。


 部屋に通されますと、大きな部屋にケヤキの一枚板のカウンターがあり、坪庭に眺められるようになっておりました。

 

 ゆったりとした気持ちで座っておりますと、村田館長からの伝言のお言葉をいただきまして、お心遣いに感謝しているうちに、懐石料理がつぎつぎとはこばれてまいりました。さすがといいますか、驚いたことに「津田楼」は「清水三年坂美術館」の村田館長がオーナーの料亭だけありまして、器は村田館長のコレクションの中から提供されているそうであります。

 実際、ジュンサイの先付を食べたあとに出てきた八寸の器は、あの料理人で美食家、かつ陶芸家であった北大路魯山人の皿とのことでした。村田館長の心憎いほどの演出でありまして、食材と器がマッチして、北大路魯山人が「器は食の着物」と言ったそうですが、まさに至言という感じがいたしました。

 ふと北大路魯山人が、赤坂の山王台につくった、いまはなき天下の料亭「星岡茶寮(ほしがおかさりよう)」でも、こんな器に食材を盛って供されたのでしょうか、と想像がたくましくなります。

 

 八寸の食材をよく見ると、小さな魚が置かれています。これは何の魚ですかと聞きますと、アマゴ(聞き間違いでゴリだったかもしれませんが)というのです。ふと子どものころ貧しかった北大路魯山人が鴨川でアマゴ(ゴリ)をたくさん獲り、それを煮詰めて熱いごはんにのせて食べるととても美味しかったという文章を読んだことをおぼろげに思い出しました。


 食事が進んでまいりますと、その合間に、若き天才尺八奏者の寄田真見乃さんが尺八で「祇園小唄」や「女ひとり」などいくつかの曲を演奏してくれまして、不思議な別世界の空間となりました。

 そのあとの料理は、お吸い物で食材は京都名物のハモでしたが、その椀は蒔絵で松竹梅が描かれており、その素晴らしさに思わずに魅入ってしまいました。


 次に、焼物とお造りが出てきまして、お造りの食器は、十四代酒井田柿右衛門の作だそうです。さすがに濁手の白のなかに描かれた朱色のカニとブルーの水草の色が何とも色あざやかで、これまたしばし魅入ってしまいました。また炊き合わせの器も十四代酒井田柿右衛門の作だそうで、柘榴の実でしょうか朱色があざやかです。


 そのあとに、竹につつまれたチマキや煮物が出てきましたが、煮物の皿にはキジが描かれており、九谷焼の松本佐吉の作とのことでした。



 最後にせいろで蒸した蒸しご飯とサクランボとイチゴ、アイスクリームのデザートが出てまいりました。 

 

 さすがに「津田楼」は、「清水三年坂美術館」の村田館長がオーナーの料亭だけあって、いままで経験したことのない、美しい器を目で愛でながら、美味しい料理を舌で味合うという、いわば「器を食す」ともいうべき、食の醍醐味を感じる贅沢なひと時を持つことができました。心より感謝いたします。

 ふと気がつきますと、坪庭には初夏を告げる紫陽花の花が咲いておりました。


   

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