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逆説 普遍的なもの

 宇宙の法則にあるテーマがあるとする。人間という生き物は、殊更、同種の中で勝敗を競いたいという欲求が強い。根源には進化したい、なるべくなら長く生き残り、自分が生きた証を、爪痕を遺したいといった思いが様々な形で今日まで膨大な書物や宝物や遺跡に刻まれている。最近、源氏物語を認めた紫式部の物語がテレビドラマになったりしており、約千年も昔の人物が遺した作品に魅了される人が多くいるという事実を踏まえても、一つの優れた文学作品の周辺や時代背景について探究するきっかけとなったりしているのを見るにつけ、時代遅れといった揶揄が通用しない、突き抜けた高みに普遍性というものが確実に存在していると言わざるを得ない。

 源氏物語は、端的に言うと女にだらしない貴族という高い身分の容姿端麗な男の奔放すぎる女性遍歴を描いている。いやいや、そこに描かれているのは愛でしょ、という人の方が多いかもしれないが、所詮は現在もその辺に大勢いるような、欲望に身を任せて異性に目移りばかりしている人間臭い不完全な人物像に共感したり、色々な立場の不幸な女性側に同情したり、呪われて死ぬほどの儚い命に無常を感じたりして作品の中に人間の生と性のエンターテインメントが丸ごと収められていて、また同時に人生の勉強にもなるようなお得感に人々は惹きつけられているのだ。世の中の人を見て分かるように、綺麗事に対しては懐疑的で、だからといって汚い部分には蓋をしておきたい、加えて自己啓発的な自分の人生に役立つ物事にはすぐ飛びつく欲張りな性質を人間は持っている。

 では、多くの現代人はどのような物事に対して興味関心を抱くのであろうか。完全無欠のヒーロー譚ではなく何処か欠点のある憎めない人物であったり、誰にも見向きもされない人が何かのきっかけで途轍もない成功を収めたり、何か大きな目標に辿り着けそうで辿り着かない物語であったり、泥水を飲むような不幸や苦労に耐えて犯罪を犯してしまうような浮かばれない物語であったり、どうも全般的な傾向として完全なる勝利者の話は疎まれがちである。はたまた、アイドルのような煌びやかで華やかで容姿端麗な人を絶対視して自分の立ち位置を低くして置く事で、他の同じレベルの鑑賞者たちの中に身を置き、安心感を得ようとしたりする。つまりは、自分というフィルターを通して同胞をその環境の中に見出したいのである。

 泣いた赤鬼が「たくさんの人間に認めてもらいたいなあ」と言っているので、青鬼はしからば、赤鬼が何故認められないのかを考えてやろうとしたとする。実は、赤鬼は本人が思っているほど、弱者ではない。むしろ、容姿端麗で誰にも真似出来ない特技もあり、頭もそこそこ良くて何より女にもてる。なので、自分を振り返ったりしない自己愛を拗らせたような人間は多く寄って来がちなのだが、それ以外の人生で何かしらの躓きを経験して簡単には成功出来ないのを理解してしまった弱者の気持ちはなかなか理解出来ずにいる。元々、赤鬼は人生に対して前向きな性格なので孤高で高尚な事を言ったりするのが常のため、多くの弱者である人間は高い山の上で見た感じ幸せそうに暮らす赤鬼を半ば羨ましいと思っていたのであった。そんな赤鬼に頑張ろうと言われたところで弱者人間はあんたみたいに頑張れないしなれっこないよと思っているのではないか、と友達の青鬼は考えた。そうか、赤鬼に足りないのは自己開示だ。こんな自分にもドロドロとした思いや寂しさがあると一旦示す事で人間たちの目線まで降りる事が出来るのじゃないか、と青鬼は赤鬼にアドバイスしてみたのであった。赤鬼はプライドがとんでもなく高いところがあるので少しドキドキしたが、文字通り、心を鬼にして言ってみたのである。赤鬼だって失敗もすれば、寂しいことや悲しいことはある。青鬼も人間も同じだ。

 コンプライアンスが叫ばれる時代にあって、権力者や有名人は見えない部分で世間で言うところの不道徳的な事をやっているが、そもそも、不道徳な物事は規制すればする程、カリギュラ効果(=他者から行為などを強く禁止されると、かえって欲求が高まる心理現象)で余計に興味が湧いてしまうものなのだ。だから、禁止の中にも逃げ道を用意しないとバレないように隠れてやれば良いだろうという考えに到達してしまいがちになる。人間も赤鬼たちも、自分にも世間にも正直に生きてもらいたい。そうすれば自分たち以外も生きやすくて住みやすい世の中になる筈だ。

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