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族車の作品が影響受けた本 その4

2021年12月12日まで北杜市のHOKUTO ART PROGRAM Ed.1にて
私たちのHUMAN AWESOME ERRORの作品が展示されています。

前回からの話を続けます。「工藝族車」はモノの作品ではなくて活動が作品なので、活動の時間の中で影響を受けていく要素があり、その一部が何冊かの本です。これらの本はいずれも族車というアンダーグランドカルチャーだけでなく、私たちが今生きている時代がどういう空気なのかを語りかけてくるものです。

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その4. ルポ川崎 | 磯部涼

その昔、blastというヒップホップの雑誌がありました。新譜が評価される時、「磯部涼に酷評されたら新人ラッパーは立ち直れない」と恐れられていた筆者が、blast廃刊後もヒップホップから音楽全般、さらには報道のスポットライトが届かないアンダーグラウンドのあり様まで「ルポライター」として活動を広げ、つぶさに拾い上げた風景の集積から日本全体の構図まで想像させる筆圧高めのルポルタージュです。
スラムツーリズムという言葉があります。
ボンボン高校で育った私が、野次馬根性と葛藤しながら、族車の文化という安易に立ち入ってはいけないエリアでどのような振る舞いをしたら良いか、磯部氏の態度が手本でした。
拾ってもらった会社が倒産し、社長が夜逃げして文字通り路頭に迷った時期をの除けば、自分の周りには大抵は有名大学の出身者ばかりになり、その中で主従関係が構成されて、どこかでそんなはずは無いと思いながら、それが世界の大半だと勘違いし続ける、大都会東京の会社員だった頃は、特にそんな感覚でした。
言うまでもなく異世界だった旧車會の世界で、私にとってはリルキムやローリンヒルよのようなスターだった女性がある時、学歴も何も無い自分が初めて正社員になれた、と嬉々としてtweetしているのを見たとき、言い知れない雷のようなものが落ちて、しばらく愕然としたことが未だに忘れられません。
同じように70年代に台頭した文化として、暴走族の文化はヒップホップの文化に例えられます。
大きな違いは、芸術文化として正当に発見されているかいないかです。
昔からアンダーグラウンドを貫いている面々は「発見される必要もない」と言います。一方ヒップホップでは、ビルボードの上位の多くを占めるようになった今でもアンダーグラウンドのラッパーが居なくなるはずもなく、そして「何がヒップホップなのか」論争も終わる気配がありません。
正社員になれた、と言うtweetを見たとき、一瞬、たったそれだけのことで、と思ってそれを押し潰した自分を恥じながら、この方がもっとアーティストとして評価を受ける方法はないものかと漠然と考えたものでした。
旧車會が暴走族と異なり法律的にパクられないコンセプトだったとしても、界隈には一口では言えない様々な人間がいて、人が死んだり、悲しいことが起こったり、凶悪な噂もしばしば耳にします。どこかで必ず笑いを取ろうとする彼らのセンスを愛しながら、私は磯部氏の著作を思い出し、否定も肯定もなくただありのままを感じ取ろうと努めていました。

ただ私はルポライターではないので、大げさに言えば人類史からどのような系譜で彼らにスポットを当てようか、そんなことを考えて映像での残し方を考えました。
とりわけ、KIRIHITOのドラマー・早川俊介氏と、世界屈指のコールマン・あつし君のセッションは、真鍮の筒を楽器にした人類の歴史と絡めて編集しています。
その時の映像と実車をHOKUTO ART PROGRAM ed.1 (2021年12月12日終了)にて展示しています。


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