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父が亡くなりました⑩

8月14日

 この日も、父の胸がフッと上がるのを確認し、いつも通りの一日を過ごした。ただ、父の口元から出てくる液の量が少しずつ増えていた。毎日、朝を起きて昨晩も母に起こされなかった、と思いながら起きるのは非常に苦しかった。呼吸はまた浅くなり、介護に来た介護士が血中酸素濃度と血圧を測った。記憶が不確かだが、どちらかが測定不能になっていた。もうそろそろ本当に厳しいかも、という話が介護士からもあり、僕ら家族の間でもそういう会話をするようになっていた。

 この日、往診にきた医師が僕らに再び告げた。さらに呼吸が弱くなっているので、もうそろそろかと思います。

 目を閉じたまま、呼吸しているだけの父。それでも話しかける家族。何もしてあげられない。最終的な結果は分かっていて、それを受け入れつつも、一方で否定しようとする。癌患者の家族の心は常に振り子時計のよう。いずれ止まってしまう時計を見ながら、感情は振り子のように。

8月15日

 この日は日曜日。月曜日からは兄はリモートワークで仕事、僕は出社となる。いわゆる盆休みの最終日。この日も変わらず、それまで通りの時間を、思い思いに過ごす。ただし、昼頃には父の口元から出る液がさらに溢れ出たりするようになった。

 PM8時

 晩御飯を食べながらテレビを見て笑う。時々後ろを見て父の胸元を見る。フッと胸が上がるのを確認。夕食が終わる。明日からは仕事なので、早めにシャワーを浴びようと、8時半に僕は洗面所へ。兄はリビングから部屋へ戻る。母は父の口元から出る液を取り除こうと、父の元へ。

 母の叫ぶ声が聞こえた。-父の目が明いている-

 僕と兄が父の元へ駆け寄った。11日のボタンを押して以降、着替える時のみ開いていた片目のみならず、両目が開いていた。母は声を震わせながら「家族3人ともここにいるよ」と父に必死に声を掛けた。僕と兄も父の目に僕らが映るように、ベッド横に顔を近づけて「ここにいるよ」と言い続けた。その時に、それまでずっと半開きだった口が閉じかかっていることに気づいた。

 PM8時半過ぎ

 父の両目が少しずつ閉じていき、呼吸が小さくなり、完全に止まった。それまでと呼吸以外は何ら変わらない父の姿。母が兄に、担当医師に電話して欲しいと頼んだ。

 PM9時

 担当医師が来てくれた。聴診器を父の胸に当て、父の瞳孔を確認。死亡報告書の記入を始めた。少し遅れて、介護士が来てくれた。母は、父が最後に両目を開けて僕らに”その時”を伝えてくれたこと、を説明した。嬉しそうに。悲しそうに。笑いながら。泣きながら。

⑪へ続く

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