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世界を股にかけたいけれど、かけられそうもない短足野郎。 日本語、英語、オランダ語をそう…

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世界を股にかけたいけれど、かけられそうもない短足野郎。 日本語、英語、オランダ語をそう遠い未来に使いこなす予定、らしい。

最近の記事

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仕事に疲れた人へ。~お薦めの映画 LIFE!~

 久しぶりに見た。理由は仕事に疲れていたから。この映画はいつも小さな元気と勇気をくれる、とても素敵な物語。「小さな」というところがミソ。全編を通してコメディータッチを忘れることなく、それでいて人生に大切なものをさりげなく教えてくれる映画。  旅好きにはさらにもってこいの映画ではあるが、それを除いても上質な映画だ。押しつけがましくなく、優しく、朗らかに、軽やかに。映画のように人生は展開しないことは重々承知。それでも・・・きっと、いつかこんな風に?と思わせてくれる。  冒頭で主人公の年齢設定が42歳と分かる。その年頃の人が見ると感じる事も多いんじゃなかろうか。特に日本の典型的な会社で働いている人には響くと思う。  子どもの頃に見た方が良い映画、大人になって見てもやっぱり良い映画とかあるが、これは「大人になって年齢を重ねた時に”初めて”見る方がよい映画」ではないだろうか?僕自身は、見たのが10年前の映画館、奇しくも32歳の時に見た。感じることは多かったし、上記の通り、主人公の年齢設定が42歳。すなわち、現在進行形の僕自身、42歳。なので、冒頭の42歳設定に思わず反応したのはお分かりだろう(この映画も何度か見ているが、42歳設定までは覚えていなかった・・)  もしこの記事を読んで気になった方が20代であれば、ちょっと見るのは我慢して欲しいかな。。鑑賞推奨年齢(?)は30代以降なのだ。

    • 真夜中ドラマ~地球の歩き方~

       久方ぶりの投稿です。旅野郎としては気になっていたドラマ、見ています。が、事前に想像していたモノとは随分違う内容です。色々ネットの情報や新聞記事を見ていると、ドキュメンタリーでありつつ、ドラマ=シナリオを組み込んだ構成。感じ方、捉え方は人それぞれなので「良し悪し」も人それぞれです。で、個人的な感想は「良し」でもないですが、「悪し」でもないというもの。決して非難ではありませんので悪しからず。その上での、個人的な意見です。  「地球の歩き方」を手に旅行する方(自分も含め)は、滞在

      • 21エモンは嘆いている。

         本棚の整理をしていると奥から藤子不二雄先生の「21エモン」が出て来た。装丁も劣化が激しく、セロテープでつぎはぎしている。が、それでもなお処分しなかったのは、とにかく好きだったからだ。今にして思えば、自分の好きな要素のみで出来ている漫画なのだ。旅行が好きで、宇宙が好きで、未来という言葉が好きな僕には、未来のホテルを舞台に宇宙に憧れる21エモンは子供の僕そのものだったのかもしれない。そんなことを思いながら、この週末は全5巻をじっくり読み返した。  やっぱり面白い!宇宙がグッと身

        • 言葉の海に潜り、行間の旅に出かけよう。~香港・マカオ 1巻~

           深夜特急1巻を読み終えた。旅行記なのでサクサク読める。旅の舞台はインドから始まるが、本編は遡って香港・マカオ編。インドは行ったことは無いが、舗装されていない道路の土埃が舞い上がる風景は今も変わらずあると思うので、景色がありありと眼前に広がる。  僕は香港は2018年に滞在し、そのことは過去のnote記事「香港には香港の香りがある。」に記している。深夜特急の香港はもちろん英国領時代の話。なので、国境を見に行く件が小説の中に出てくる。香港という街が持つ特殊な雰囲気やパワーと言っ

        仕事に疲れた人へ。~お薦めの映画 LIFE!~

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          言葉の海に潜り、行間の旅に出かけよう。

           4年振りの海外旅行(韓国)から帰国して早二週間。短足旅好き野郎としては4年振りの海外旅行で「あー、久しぶりの海外旅行は最高だ。満喫出来た!大満足だ!!」とはなるはずもなく。むしろ4年間で伸びに伸びまくった導火線に火が付いた訳で。帰国して2日後位に「ああ・・どこかに行きたい。兎にも角にも出国したい。」と禁断症状が発生。海外が映るTV番組を見た日には、画面に体ごとダイブしたくなる訳で(語弊の無いように言うが、決して誇張表現ではない)。  そんな「熱」を感じ始めた2日後位、単なる

          言葉の海に潜り、行間の旅に出かけよう。

          想像以上に近い国で、想像以上に違う国、韓国。④

           以上が3泊4日の韓国旅。4年振りの海外旅行で短いながらも濃密な時間を過ごす事が出来た。行くまではお隣の国、と言いつつも物理的に短いフライト時間を経験したことで、精神的な近さを実感することとなった。けれども食文化は大きく違う。余談話を幾つか。  下水道設備が理由か非水溶性のトイレットペーパーが理由かまでは調べていないが、韓国ではトイレにペーパーを流せない所があるのは知らなかった。それも、遠隔地ではなくて町中でだ。自分も明洞の商業施設でトイレを利用した時、実際に「化粧紙は備え付

          想像以上に近い国で、想像以上に違う国、韓国。④

          想像以上に近い国で、想像以上に違う国、韓国。③

           3日目は生憎の雨。よって買い物の日とした。朝食をホテルで済ませた後、ソウル駅横のロッテマートソウル駅店へ。同じ考えの観光客と思しき人々も同スーパーへ吸い込まれていく。店に入るや否や、LOTTEのお菓子パレード!美味しそうである。加えてお値段も魅力的。てことで、当然パレードに参加…笑。買い物かごにお菓子のミニパレードがみるみる内に…。チョコレート、クッキー、ショートブレッド、おつまみ系、果てはナッツや何やらかんやら。当然、ここでも化粧品もパレードを開催中。やはりお値段も魅力的

          想像以上に近い国で、想像以上に違う国、韓国。③

          想像以上に近い国で、想像以上に違う国、韓国。②

           2日目、ホテルで朝食を取った後、安国駅近くの北村韓屋村を訪ねた。ここは朝鮮王朝時代の高級住宅街。瓦造りの屋根は日本と似ているが、家屋の四方が反っているのが台湾で見た家屋に似ている。塀の文様が日本では見られず、韓国らしさの一つであろう。現在も一般の住居として利用されている為、静かに散歩していないと観光ボランティアの方に注意されることもあるようだ。朝食終わりに見に行ったのが良かったようで、観光客も少なめ。のんびりと過ごすことが出来た。  その後、隣にある景福宮へ。こちらは13

          想像以上に近い国で、想像以上に違う国、韓国。②

          想像以上に近い国で、想像以上に違う国、韓国。①

           2023年のGW。今年は多くの人々が日本国内国外を問わず出かけただろう。ご多分に漏れず、僕もコロナ前の2019年以来、4年ぶりで海外旅行に出かけた。2019年のGWは前例の無い10連休を利用してオランダへ。2020年も10連休は無くとも「当たり前」に出かけようと初のグアム旅行を計画。そこにパンデミック発生。グアム旅行はキャンセル。  それからの3年で「当たり前」は「特別」に変わった。ウイルスが社会の在り方を変え、日本経済は停滞し、輸入依存で物価上昇と大幅な円安、世界では紛争

          想像以上に近い国で、想像以上に違う国、韓国。①

          新しい?早口言葉を思いつく。

          ココノツノココナッツコレナッツ ココノツノココナッツコレナッツ ココノツノココナッツコレナッツ 一回言ってみそ。3回目くらいで結構間違えるよw

          新しい?早口言葉を思いつく。

          Do the right things.

          We all are in pandemic. We must tackle it together. Do the right things. We all face severe climate change. We must tackle it together. Do the right things. We all are different. We must not tackle other people and countries. Do the ri

          Do the right things.

          父が亡くなりました‐終

           それ以降はお通夜、告別式と一通りの過程を経て、市役所に手続き関係で訪れたり、親族や関係各所に電話やメールで連絡を取り、お世話になった介護士や医師にお礼の品を送る為に百貨店に向かった。今、これを綴っているのがひとしきり終わった8月21日の夜。  目まぐるしい毎日でありながら、1か月以上の時間が経過しているようにも感じる、短くて長い日々。もちろん、気持ちの整理は出来ていない。ふとした瞬間に泣いている。どれだけ泣いたって、涙は枯れない。告別式の最後に母は慟哭し、僕と兄はむせび泣

          父が亡くなりました‐終

          父が亡くなりました⑪

          8月15日 PM9時半過ぎ  医師と介護士が帰って、生前に両親が登録していた葬儀会館に電話をした。24時間のコールセンターに繋がり、内容を伝えたところ、今遺体を移動させるスタッフが出払っているので、お伺い出来るのは12時頃になるとのこと。葬儀会館にも持参する資料等を整理して過ごした。  時折、父の様子を見に行った。顔にあった痛みで生じていたような皺がどんどんと無くなっていき、とても安らかな顔つきに変わっていった。加えて、浮腫で腫れていたはずの左足と左手は見る間に腫れが引い

          父が亡くなりました⑪

          父が亡くなりました⑩

          8月14日  この日も、父の胸がフッと上がるのを確認し、いつも通りの一日を過ごした。ただ、父の口元から出てくる液の量が少しずつ増えていた。毎日、朝を起きて昨晩も母に起こされなかった、と思いながら起きるのは非常に苦しかった。呼吸はまた浅くなり、介護に来た介護士が血中酸素濃度と血圧を測った。記憶が不確かだが、どちらかが測定不能になっていた。もうそろそろ本当に厳しいかも、という話が介護士からもあり、僕ら家族の間でもそういう会話をするようになっていた。  この日、往診にきた医師が

          父が亡くなりました⑩

          父が亡くなりました⑨

          8月12日  8月12日の朝が来た。夜中に母に起こされなかった僕は、”その日”ではないことが分かり、静かに起きた。父のところへ行くと、父は相変わらず寝たままだったが、11日に医師が訪問している時より幾分呼吸が深くなっていた。兄と母とともに、呼吸の深さが戻っていたことに幾分喜んだ。  介護士が来て、父の服を着替えさせてくれる時、右向きに寝続けている父を仰向けに戻して、左向きにしたりするのだが、その時だけ父は右目が開いた。それは痛みから発生するもので、とても痛そうな目をしてい

          父が亡くなりました⑨

          父が亡くなりました⑧

          8月11日の続き  8月11日に訪問した医師が新しい痛み緩和剤を設定。口から痛み止めを呑み込む事さえ出来にくくなっていた為、既に父の身体に直接繋がっていた点滴に合流する形で流れていくように。痛みが酷くなったときにボタンを一度押せば良い、とのこと。その後、血圧や血中酸素濃度を測り、その緩和剤を取り付けた医師はどこか手持無沙汰のような雰囲気になっていることに気づく。僕らに対して、医師は何か困りごとはありますか?と尋ねてくれた。特には無かったが、医師からは「普段通りテレビを見て笑

          父が亡くなりました⑧