父が亡くなりました⑧

8月11日の続き

 8月11日に訪問した医師が新しい痛み緩和剤を設定。口から痛み止めを呑み込む事さえ出来にくくなっていた為、既に父の身体に直接繋がっていた点滴に合流する形で流れていくように。痛みが酷くなったときにボタンを一度押せば良い、とのこと。その後、血圧や血中酸素濃度を測り、その緩和剤を取り付けた医師はどこか手持無沙汰のような雰囲気になっていることに気づく。僕らに対して、医師は何か困りごとはありますか?と尋ねてくれた。特には無かったが、医師からは「普段通りテレビを見て笑ったりして下さいね。その方が家で過ごしたいお父様もリラックス出来るので」との話があった。僕らは意識していなかったが、確かに静かに過ごしていた。父が寝ている間は起こすまいと、テレビのボリュームも知らず知らず小さくしていた。

 では今日は失礼しますと言って、医師が玄関先で一言。

「呼吸が浅くなってきているので、今晩辺りが厳しいかもしれません。」

 それを聞いた母の背中が一気に萎み、力の抜けた声で「・・・そうですか」と答えた。介護士も看護師も医師も皆がプロだ。彼らは呼吸や血圧、酸素濃度と過去の同じような経験から、患者がいつどうなるかは大体の目安がつく。8月11日以前から、毎日午前1回の訪問だった介護士が毎日午前1回と午後1回の訪問に増え、週1回か2回だった医師の訪問が毎日に変わり、医師と一緒に来ていた看護師は来なくなっていた。それが意味するものは余りにも僕ら家族にはつらい現実だ。訪問回数が増えるのは状態が悪化していること、看護師が来ないのは打つ手がなくなっていることを意味する。

 医師が帰り、痛みが酷くなったような父を見て、母が先のボタンを1度押した。その後、父の眉間に皺が寄っていた顔は穏やかになり、すやすやと寝始めた。僕らは痛みが緩和されたと思い、心が少し落ち着いた。しかし、そのボタンを押して以降、父が目を開けることは殆どなくなった。直接的に体に緩和剤が効く分、意識がほぼ無くなったのだと思う。

 医師の明確な「今夜辺りが~」は、母同様に僕の心にも大きな衝撃を与えた。その晩、浴びたシャワーとともに流れた涙はなかなか止まらなかった。僕は出来るだけ母と兄、特に母の前では泣く姿を見せないようにしていた。ただでさえ毎日泣いている母の前で僕が泣くことは、余計に母の気持ちを揺り動かしてしまうと思っていた。

 その日以来、母は特に父の最後を看取る為、夜中も一日中起きようとした。それでなくても日中も世話をし、椅子に座った瞬間から寝てしまうような状態となっていた母がさらに心配になった。そこで、夜の9時から12時くらいの間に、1時間でも2時間でも母に寝てもらうようにした。その代わり、その間は僕が父の横で状態を見守り、何か変化があったら母を起こすことにした。

 疲れた兄と母が寝て、僕が父の横に座った。母が起きる迄の時間、僕は父の手をずっと握るようになった。不意に父と手をつないで歩いていた子供の頃や様々な記憶が急激によみがえり、涙をこらえることが出来なくなった。だが、すぐ傍で寝ている母を起こしたくはなかった。静寂の中で、弱々しい父の呼吸する声だけが部屋に少しずつ散らばっていく。僕は必死で声を殺して泣いた。

 以前書いたように、14年前にいつかその日が来ることを覚悟していた。でも、実際は覚悟なんて出来ていなかった。この日以来、シャワーの中と、僕と父の二人だけの時間はずっと泣いていた。

⑨に続く

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