ゲーメスト編集部の話3

 小川町や神田で降りる機会があると、やっぱり編集部時代の事を思い出しちゃうね。

 編集部員には色んな人がいたけど、ほとんどがゲームが上手いスーパープレイヤーをスカウトして原稿を書かせちゃうパターンだった。そんな中、ゲームの腕は平凡であるにも関わらず新声社の門を叩いてしまったのが、僕だった。

 2回目の編集部訪問は、高校のカリキュラムに組み込まれていたアメリカ研修旅行から帰ってきた時の事。田舎町テネシーにもアーケードゲームが置かれているモールがあり、海外版のゲームがここが違う!向こうのプレイヤーはお国柄、どんなゲームでも乱入大好き!といったお土産話を持って柴田ビルの階段を上った。

 スカウトしてくれたのは、編集部員のまとめ役、通称おばやんだった。曰く、アメリカゲーセンレポートを書かないか、という。

 まだ高校生だった僕は大学に進学してから正式に採用してもらいたい旨を伝えるも、もっと気軽な気持ちで書いてみたらいい、とのおばやんの言葉に甘えて原稿を差し出した。この記事は1987年11月号(通巻第14号)に掲載された。

 自分の書いた原稿が記事となって雑誌に掲載される。原稿提出から半年程かかってからの本誌発売だったが、その喜びは学校から2駅離れた新宿紀伊国屋まで、昼休みの時間に抜け出して買いに行った事で分かっていただきたい。

 いやしかし27年前の自分かー、恥ずかしーねー。

ではまた気の向いた時に。Seeya!

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