世界チャンポン

テトリスの世界チャンポンです。ゲームと音楽の業界に長年身を置いておりました。

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最近の記事

ゲーメスト編集部の話10

ちょっと時代が進んで、今回はマルゲ屋のお話をしよう。  旧編集部があった柴田ビルのすぐ裏に、マルゲ屋本店はあった。編集部に遊びに来る読者さんがよく道に迷う神田、決して立地条件が良くなかったビルの2階に、そのゲームアンテナショップはあった。だからお客さんも中々辿り着けずによく電話で道案内をしたものだった。  いつの間にか編集部のライターとマルゲ屋の店員の二足のわらじを履いていた私。それは実に楽しく仕事のやりやすい環境だった。だって、お店にお客さんがいない時は、カウンター裏で

    • ゲーメスト編集部の話9

       さて、晴れて編集部員になってから初めて取材したゲームは何だったかな、と調べてみると、セガの「ソニックブーム」だった(1987年3月号/通巻18号)。  思いっきり本名で載ってますな。でもこれが嬉しかったんだ。  このゲームの紹介担当になれたのは、新宿でロケテストをやっていて、既にプレイ済みだったから、だったと思う。  当時まだ高校生だった僕は、寄り道禁止の校則をもちろん無視して、初台の高校から新宿中央公園を抜け、よく新宿に遊びに行っていたものだった。西口に今でもあるゲ

      • ゲーメスト編集部の話8

         攻略記事に好意的なメーカーさんだと、基板を自由に使わせてもらえる事も多々ありました。  例えばコナミ。ゲームは「パロディウスだ!」  僕は担当じゃなかったんだけど、カメラ役で取材した時もありました。その時の話。  当時のコナミの広報担当:安部さん立ち会いの元、ゲームをプレイしてはストップボタンで画面を止めて撮影の繰り返し。この基板が良くフリーズする基板だった。  ところが、だ。コナミの安部さん(女性です)がストップボタンで止めても、再度復帰するのに対し、ゲーメストス

        • ゲーメスト編集部の話7

          有名な「抜けろP.L! 倒せオトシゴ!」の表紙ですな。  『誌上匿名打ち上げ話』ってコーナーがありました。  第二話「ライター残酷話 ~プレイヤーの価値はゼロなの?~ /2日間働いて、おもちゃ1個の報酬」  分かる人には分かるメーカーの話。これを読んだ後にビデオを観ると感慨深いものがあります。結構、身内からのネタも多かった様な。“弾を撃たないで”だと分からないけど、“剣を出さないで”なら絞られるよね。  僕が編集部で関わったゲーム映像プレイはテトリスただ一本でした。初

        ゲーメスト編集部の話10

          ゲーメスト編集部の話6

          ゴメン、今日は短いよ。(^^;)  僕は…旧編集部のあった、神田の柴田ビル1階のトイレを…  【ぶち壊した事があります】  時はグラII流行りし頃。当時は、ゲーセンの夜ゲー以外の方法で基板を独占してプレイできる事など無かったんですね。  編集部では攻略記事などの為に、メーカーから基板をお借りしていたんですが、学生時代の僕は休日に編集部でグラIIがどうしても遊びたかった!  いつもは休日でも誰かしら編集部にいるはずなのに、その日はシャッターが閉まっていたんですね。そこ

          ゲーメスト編集部の話6

          ゲーメスト編集部の話5

           今日も思い出した事をつらつらと。  ・取材や攻略担当はどうやって決めていたの?(記事掲載までの道のり) 編集サイドがニューゲームの情報をメーカーからもらう →その時たまたま編集部にいるライターに声がかかる →担当者が決まる →後日取材へ →メーカーでプレイして写真撮って資料借りる →取材帰りに写真の現像を出しつつ、記事を書く →写真が上がってきたら、トレミング(どの部分を使うかの指示)とキャプション(写真へのコメント)を書く →編集さんへ →校正 →雑誌掲載  前に書い

          ゲーメスト編集部の話5

          ゲーメスト編集部の話4

           今日は原稿の話。  僕の時代、いわゆるライター第2期は、記事は新声社の専用原稿用紙に書いて提出していました。  初期バージョンがこれ。 後期版がこれ。  良く見ないと分かんないんだけど、後期版では行数列の所に“13”が追加されてる(電話番号が一桁違っている所も時代を感じさせるツッコミ所ね)。これは本誌記事の文字組改行を13にしていたから。元メストライターの人なら懐かしいはず。  当然人が書く文字だから汚い人もいる訳で、写植屋さんが見間違える事も少なくない訳で、誤植が

          ゲーメスト編集部の話4

          ゲーメスト編集部の話3

           小川町や神田で降りる機会があると、やっぱり編集部時代の事を思い出しちゃうね。  編集部員には色んな人がいたけど、ほとんどがゲームが上手いスーパープレイヤーをスカウトして原稿を書かせちゃうパターンだった。そんな中、ゲームの腕は平凡であるにも関わらず新声社の門を叩いてしまったのが、僕だった。  2回目の編集部訪問は、高校のカリキュラムに組み込まれていたアメリカ研修旅行から帰ってきた時の事。田舎町テネシーにもアーケードゲームが置かれているモールがあり、海外版のゲームがここが違

          ゲーメスト編集部の話3

          ゲーメスト編集部の話2

           一応元ライターであるにも関わらず、推敲もしないで軽く書き殴る雑文です。  当時の編集部の電話番号 3293-9324 (さすがに何回も出た番号だけにソラで覚えてる)  これ、末尾1番が会社の番号で、4番が編集部の番号だったんですね。4番はライターが取らなければいけない対読者層の番号であり、実はほとんどのメンバーが電話を取るのを嫌がっていた傾向にありました。  その理由はブラックリストに載っている、今でいうDQNさんからの電話を取ってしまうのが嫌だったから、なんですね。ア

          ゲーメスト編集部の話2

          ゲーメスト編集部の話

           何も書いていないのにフォロワーがいる不思議(笑)。 それは申し訳ないので思いつくまま書き殴っていきましょうか。  僕が編集部に入ったのが高校2年生の時。一度編集部に友達と遊びに行った時にキャンディキャンディの音楽をバックに、御旅屋さんがお客さん対応してくれたのが印象的でした。  ゲームは「イシターの復活」辺りが全盛時代。僕もメモを取ってはゲーセンでカイの経験値稼ぎに勤しんでおりました。  すでにその頃、編集部の壁は読者投稿のイラストが所狭しとはられておりました。古葉君

          ゲーメスト編集部の話