ゲーメスト編集部の話5

 今日も思い出した事をつらつらと。

 ・取材や攻略担当はどうやって決めていたの?(記事掲載までの道のり)
編集サイドがニューゲームの情報をメーカーからもらう
→その時たまたま編集部にいるライターに声がかかる
→担当者が決まる
→後日取材へ
→メーカーでプレイして写真撮って資料借りる
→取材帰りに写真の現像を出しつつ、記事を書く
→写真が上がってきたら、トレミング(どの部分を使うかの指示)とキャプション(写真へのコメント)を書く
→編集さんへ
→校正
→雑誌掲載

 前に書いたけど、最初のアメリカ事情の記事は取材という訳でもなく初めてだったからか、スタートから雑誌発売まで半年も待たされた。その分嬉しさもひとしおだったなぁ。

 そしてこれもすごい話だと思うんだけど、原稿料の支払いが掲載から半年後とかに為替小切手とかで渡されたんだよね。数字は覚えていないけど、確か1ページ5,000円ぐらいだったかな?(後に攻略記事は手間もお金もかかる事から8,000円とかに上げてくれた)

 取材で基本的にメーカーでゲームを遊んで、暗幕持ってってブツ撮りして、記事に起こす訳なんだけど、稀に写真と資料のみで紹介記事を書かなければいけない時があった。某ゲームの写真のキャプションに「ここはヒット&アウェイで…」とか書いてあるのに、実際プレイしてない(笑)なんて事もありました。あ、僕の担当の記事じゃないからね。

 場所的に一番遠くて大変だったのがタイトー。綱島からバスで数十分の所にある中央研究所で取材なんだけど、攻略系でゲームをプレイしに行った場合、夜10時を過ぎると帰れなくなるので注意が必要だった(笑)。

 余談だけど、サイバリオンの取材の時は和室に筐体が置いてあって、三辻さんがこさえたエンディングリスト(社員でプレイして見た人はチェックして埋めていく表)が一杯書き込まれていたのが印象的だったなぁ。

 取材を終えると、500円までの食事ができた。大体神田西口通りのカレー屋さんとかだった。たまにあるスタッフ集めての打ち上げの時は、「洞門」という割烹豚カツ屋さんで美味しい(本当に美味しい)食事にありつけたのでした。因みにこのお店は一度無くなってしまったんだけど、場所を変えて同じ神田にあるので、機会があれば友人を連れて行きたいのであります。

ではまた気の向いた時に。Seeya!

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