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noteで9月入学のすべてが分かるシリーズ(完結篇) 教育再生実行会議の提言発表 今後の日本の入学時期制度 「秋・9月入学制の論議の総括」


 1年近くの討議を経て、政府の教育再生実行会議は6月3日に、提言を発表しました。「ポストコロナ期における新たな学びの在り方について」、教育のデジタル化・オンライン化、データ駆動型化を強く提起するとともに、9月入学に関しては、大学は「入学時期を一律に4月から秋季に変更するのではなく、入学・卒業時期の多様化・柔軟化を進めていくことが重要」、高校まではこの大学の取組を踏まえ「更に議論することが適当」との結論を出しました。

 本体会議3回、初等中等教育ワーキンググループ8回、高等教育ワーキンググループ8回、合同ワーキンググループ2回の討議は、秋入学積極論者の多い政府の会議とはいえ、有識者委員の立場は4月・秋入学どちらか一方に偏するものではありませんでした。しかし、他の重要検討事項と一緒に、時間は制約され、各委員の言いぱなっし(それを受けての他委員の反論・深化はほぼ無し)、という討議方法は明らかに限界のあるものでした。

 少なくとも今後5~10年は、高校段階までは4月入学制が続き、大学では4月入学と秋・9月入学が併存する状況になるでしょう。20・30年後も、よほどの大事態(日本がアメリカ合州国に実質的に編入される、あるいは中華帝国の膨張に飲み込まれるなど)にならなければ、秋・9月単独入学制は実現しないと推測されますが、筆者が確認できる時間ではありません。

 以上のような教育再生実行会議の提言の検討に基づき、中曾根臨教審以来35年余りにわたる秋・9月入学移行の論議を、次のとおり総括しました

 本シリーズは完結しました。これまでのご関心に深く感謝します。


秋・9月入学制の論議の総括

総括する今の時期とは

 明治5年の学制発布時に大学等の高等教育機関は9月入学制として出発したが(その他は一定せず)、小学校・中学校と次第に4月入学制に収れんする流れの中で、大正10年(1921)大学等も4月入学となった。それ以来、101年である。
 すべての制度は、設計された時点での最善に限定される以上、時の流れの審判を受けねばならない。1987年の中曽根臨教審の最終答申から始まり、大学審議会、第一次安倍政権、東大浜田執行部など、主に「国際化」の観点から、秋入学への移行が多く提起されてきた。35年間にわたり。
 そして今、学習と行事機会の逸失に直面した高校生の9月入学の提起(2020年4月)に発した移行論議は、政府の教育再生実行会議に委ねられ1年弱の議論を経て、一応の結論に達した。
 教育再生実行会議の第十二次提言(2021年6月3日)の9月入学関連部分を、概要をまとめつつ検討する。その上で、35年にわたる論議を総括したい。

1.教育再生実行会議の第十二次提言の概要と検討(秋季入学関連に限定)
(1)提言の概要

 「ポストコロナ期における新たな学びの在り方について」の提言は、四つの大項目より構成される。
1.ニューノーマルにおける初等中等教育の姿と実現のための方策
2.ニューノーマルにおける高等教育の姿、国際戦略と実現のための方策
3.教育と社会全体の連携による学びの充実のための方策
4.データ駆動型教育への転換

 秋季入学に関連するのは、2項目である。
一つ目は、大項目2の (2)グローバルな視点での新たな高等教育の国際戦略の ③学事暦・修業年限の多様化・柔軟化と社会との接続の在り方 においてである。
「入学時期を春季から秋季に移行させるのではなく、入学時期や修業年限を多様化・柔軟化させることが適当」と結論付けたうえで、「日本人学生や外国人留学生の双方にとって、・・・学生が、自らの能力や適性、思い描くキャリアパスに応じた多様な学び方が可能となる大学を切り拓く観点から」「秋季入学や4学期制などの導入により入学時期や卒業時期の多様化・柔軟化を進めていくことは重要」と付加した。
さらに「産業界において、新卒一括採用や・・・を転換し、採用・雇用形態の多様化・複線化」など採用・雇用慣行を改革することを求めた。 

二つ目は、大項目3の (1)大学等における入学・卒業時期の多様化・柔軟化の推進 においてである。
②今後の望ましい在り方 で、「大学等においては、・・・入学時期を一律に4月から秋季に変更するのではなく、入学・卒業時期の多様化・柔軟化を進めていくことが重要」と再確認したうえで、初等中等教育段階に関しては、「秋季入学へ移行させることとした場合、国民生活や社会全般に大きな影響を及ぼすことになるため、国民や社会において十分な理解と協力を得ることが不可欠」とし、「全ての学校種で一律に秋季入学へと移行するのではなく、まずは大学等における入学・卒業時期の多様化・柔軟化について・・・取組を進めていくことが重要」で、「こうした取組・・・を踏まえ、将来的に、初等中等教育段階も含め更に議論することが適当」とした。

(2)その検討

[形式面]
筆者は、9月入学への移行は「公明正大な場での本格的論議により決着を」つけるべきとして、首相の私的諮問機関である教育再生実行会議の担当は不適当と考えた。
結果として、委員の人選・発言からは、9月入学・4月入学どちらかへの一方的立場の偏りは見られなかった。しかし、論議の方法は、全く不十分であった。

①委員の傾向
実行会議有識者委員、ワーキンググループ有識者委員とも、両入学制の支持者がそれぞれ相当数いた。実行会議には数多くの教育テーマがあり、入学時期制度を、(隠れた)リトマス試験紙として委員が選ばれる構造にはなってなかったし、委員自体も政府の秋・9月入学制への嗜好を忖度することはなかった。

②議論の方法
現状では9月入学の賛成派と反対・消極派がほぼ「がっぷり四つ」に組んでいて、いずれかを選ぶのが目的の議論としては、「意見提出―反論―再反論」の徹底した相互批評しか根底的評価に到達し得ないし、そのディベート的徹底さに満ちた定性的論理展開に加えて、データに基づいた数量的論証に支えられたものでなければならない。

現実は、A委員はああ言って9月入学の必要性を訴え、B委員はこう言って9月入学移行の困難を指摘し、C委員はそう言って十分検討するべきとし、・・・・・。
12月の合同ワーキンググループ会議で一委員が、「ここまでの議論を聞いていて、今一度、秋季入学の『目的』を整理すべきではないかという印象。委員の間でも秋季入学の目的は相当多様。もっとも重要なことは、その教育を受ける人たちにとっての『成果』こそが目標になるべき。」と進行に疑問を投げかけたのは、議論の方法自体の欠陥に関連している。提言として、本来まとまるはずのない議論であった。
他の重要テーマと一緒に、限定された時間しか発言が許容されず、そもそも当初の姿勢からして決着に導く本格的論議の覚悟、というより意図はなかったようだから、当然の結果と言うべきか。

会議当初より、二つの事柄が前提とされた。
一つは、「秋季入学の移行については、大学と初等中等教育以下とでは状況が異なるため、分けて議論すべき」(萩生田文科相)、
二つ目は、「本年4月以降の政府の検討においては、就学年齢の後ろ倒しを前提に検討されましたが、解決困難な問題があり、現実的な選択肢とはならない」(萩生田文科相)、「就学年齢の後ろ倒しの議論は、解決困難な課題が多く、現実的な選択肢とならないため、検討から除外したい」(鎌田座長)である。(いずれの発言も2020/8/25教育再生実行会議)
二つとも、会議の時間的・人数的制約を考慮しての前提ではあろうが、
一つ目は、一部委員の表面上おとなしいが強烈な反撃を受けた。
二つ目は、「秋季入学の実現の際には、就学年齢の前倒しにより、欧米諸国並みの早期教育」としたい、自民党系秋季入学積極派の意向を忖度している。「前倒し」にも移行時期での解決困難な課題は多く、さらに幼児教育との接続の視点から一部委員の重大な懸念が表明された。

[内容面]
提言内容の論理展開には、次の特徴を見出すことができる

(1)結論は、秋・9月入学への移行積極論者と(大学における、また高校までを含めた)一律移行の消極論者との、一年近い主張を受けたうえで、「暫定的な、折衷策」に近い。
大学の「入学時期を一律に4月から秋季に変更するのではなく、入学・卒業時期の多様化・柔軟化を進めていくことが重要」で、高校までは大学でのそうした取組を踏まえ「将来的に、初等中等教育段階も含め更に議論することが適当」との結論は、暫定的で、かつ(消極論者に近く見えるとしても、秋・9月入学の将来の本格導入を排除していない点から)折衷的と特徴付けられる。
二つの立場が相当に隔たっている案件で、時間的にも討議方法においても徹底できなかった以上、これ以外の結論は有り得なかった。

(2)高校段階までが「将来的に、さらに議論することが適当」とされるのは、秋・9月入学による国際化の利点も有識者委員のそれに関する指摘も非常に少なく、大学からの玉突き移行で、児童生徒の一時的な急増に対応する教員や施設の確保が大問題だからであった。
それどころか今回の議論では新たに、就学年齢を7カ月前倒しした場合の幼児教育の成立可能性に疑義が出された。

(3)秋・9月入学への移行を必要とする理由は、最近では「国際化の利点」が全面的にクローズアップされているが、中曾根臨教審でも今回の自民党ワーキングチームの提言書でも、「長い夏休みの位置付けと活用」がそれと双璧をなしていた。これに関する有識者委員の指摘はほとんど見出せない。
「国際化の利点」レベルではないとしても、多くの時間をかけての検討に値する事項である。

(4)「②今後の望ましい在り方」中に、初等中等教育段階に関して「移行に当たってのメリットとデメリットを慎重に比較衡量することが必要」としている箇所で、「その際、デメリットの多くが移行に伴う一時的なものであることも考慮する必要がありますが」との記述がある。この後議論はその指摘とは逆説的に展開するが、教員や施設の確保・多額の支出といったものでも、一時的なものであることの認識は不可欠であると気づかされる。
それにしても、国際化の利点などがそれ程のものではなく、秋入学の代替策も提示されているのではあるが。

全体としてみると、2020/8/20に朝日社説が提案した「大学に限定して、春と秋の2度の入学制へと、徐々に秋入学を増やす」方向とも、おおむね一致するものである。

 この提言内容は、明白に秋季入学導入論者の敗北である。
単一テーマとして扱う新規の会議体を設定せず、いわば自己の勢力圏下にある教育再生実行会議で、有利な結論を引き出せると錯誤した結果である。
そしてより根本的には、日本の「政策決定論議の場設定」上の敗北でもある。
公明正大な会議体と委員構成を前提としての、徹底した定性的論理展開(2項対立の場合にはさらに、徹底した相互批評方式)と、データに基づいた数量的論証との両輪、という理想から大きく離れたものだった。

2.提言内容を踏まえての秋・9月入学制論議の今後の展開予測
 
今後、少なくとも5~10年は、初等中等教育段階では、4月入学制が続くだろう。
大学においては、秋・9月単独入学制は、実現しないだろう。4月入学を中心として、秋・9月入学が少々(今よりは多く)併存する状況になるだろう。

その根拠は、次節3.のとおり本来入学時期の変更は非常に困難なもので、その実現には相当大きな時代状況―移行を本質的に必要とする理由かどうかは別として―が必須だからである。ある府知事が「9月入学、この混乱状況の中でしか実現できない、今年できなかったらもうできない」というようなことを主張したのは、彼の元気の良さだけではなく、変化を実現する一面である大きな時代状況を反映している。
将来、日本が、アメリカ合州国の本当の家来になる時や、中華帝国の拡大に飲み込まれる時には、9月単独入学制が実現するだろうが。

3.秋・9月入学制に移行しなかった理由

 第一に、「9月入学制でないと解決できない重要な課題がある」ことが認定されなかった。「国際化」もそうではなかった。これに関し、9月入学の代替の対応策も提示された。
中曾根臨教審の入学時期委員会で、文部省担当官が「どうしても9月にしなければというメリットは見出すことができない」とした概観と直感を、35年かけて認定した。

 第二に、「9月入学制の積み重なっての相当な利点があり、4月入学制から移行の社会的コストを上回る」ことも、論証されなかった。そもそもその判定のための、9月入学論者と4月入学論者の相互批評的な議論も、コストの客観的データに基づく議論も、ほとんどなされなかった。

 その他に、特に今回のコロナ下での提起に関しては、付帯状況的理由が二つ挙げられる。
①秋・9月入学論者の相当数が、「グローバルスタンダードだから」とか「欧米諸国に合わせる必要」などと、皮相な言明を発し続け、国際化の利点の地道な提示の妨げとなった。
②9月と4月の両入学制の比較ではなく、9月への移行の是非が問題、であることが一般的に十分に理解されていなかったため、当初の安易な9月入学制への同調の反動が来た。

 一方、制度設計論の視点からも考えられる
1872年・学制発布の時の制度設計「大学等高等教育機関は9月入学」は、(ア)急務の近代学校制度創設のため、欧米のシステムをそのまま採用した (イ)外国人教員の多数導入の必要上、欧米に入学時期に合わせた ものである。
1921年の制度変更「大学等も4月入学に」は、(ア)大卒までの期間が長いことが問題になり、4月入学の中学校との連関で期間を短縮 (イ)高等教育機関数の増加で、会計年度との一致の必要性が増す (ウ)日本人教員の増加で、欧米に合わせる必要性の減少 といった要因がある。
1872年は「欧米の秋入学に合わせる必要性があった」、1921年は「大きな不都合が生じ、かつ秋入学に合わせる必要性もなかった」と、まとめられよう。1921年の(イ)を除けば、状況に基づく必須の設定要因のように思われる。
中曾根臨教審以来の主要な二要因、「国際化」と「夏休みの年度末としての位置付けとその活用」は、上記の必須要因と同列に見なせるだろうか。 

4.秋・9月入学制論議の意義ある継承のために

秋・9月入学への移行論議に関連して、移行すべき理由(従って目的)として、あるいは移行がそれを促進するきっかけになるとして、教育改革上のまた社会改革上の様々の課題が、浮かび上がり、検討された。東大浜田執行部の秋季入学の提起は、国際化の要請を背景とする「留学生の受け入れ・送り出しの促進」を一応は「利点の筆頭」としつつ、その進む先に、教育制度全体・社会全体の改革を構想しているのは、提言報告の文言から明白である。

そして実際、入学時期の変更とその波及効果よりも、重要な課題が多くある。
これまでに入学時期の移行論議に費やされた巨大な時間と熱量を無駄にしないために、浮かび上がった課題と検討点を整理し、検討点に答え、課題への対応策を工夫・実現することが求められる。そのための一部を試供する。

A.秋・9月入学を必要とする課題

(1)夏休みの位置付けと活用
年度終了後の長期休みとすることにより、効率的な学習・学校運営が可能となる。
夏休みの使い方に変化が生じることで、子どもたちの個性や得意分野を伸ばしていくことにつながり、社会全体での自由時間の使い方の変化・生涯学習に寄与し、家庭での役割分担、地域との関係、休暇の在り方に変革をもたらす。
  (効果の、構造の具体化と程度の測定)

(2)大学の国際化推進
①留学生の受け入れ・送り出しの促進
   (程度の測定、他の促進策―4学期制・経済支援策・語学力強化―の検討)
②外国人教員の活用・英語による授業の実施
   (必要性の程度の測定、実現の工夫)

(3)社会体験活動の拡充(ギャップターム・ギャップイヤーまた大学正規科目)
若い時期の社会的な見聞・参加活動は、人格形成と資質・能力の向上に役立つと認められる。
大学入学前、在学中に、その活動を学生ができるようにシステムを整備すべきである。
①大学9月入学、高校まで4月入学・3月卒業となれば、5ヵ月間のギャップタームとして設定可能。 ←ギャップイヤーにおける社会体験活動は、「親元を離れた、非日常性」下での、インターン・ボランティア・(正規でない)国内外留学。
②大学の正規科目としての導入
  (効果の調査・分析、それに基づく拡充事業の規模決定)

(4)グローバル人材の育成と関連しての大学入試の改革
グローバル人材とは、純粋概念としては同一年齢の約10%と想定され、「豊かな教養、鋭い洞察力、優れた人間性と進取の精神を兼ね備えたグローバルリーダー」(早大・鎌田前学長)に「語学力・コミュニケーション能力」を加えた人材と見てよいだろう。
このエリート人材の制度的育成と、その資質や能力を備えることが可能と考えられる新入生を確保するための、大学入試の改革が必要となる。

(5)専門教育の大学院への移動
「教育の質を(国際的なレベルに)高める」ことが、日本の大学教育にとって意味あるグローバル化対応であり、具体的には大学院修士課程の充実となる。「国際的には、先端の人材育成は大学院の場に移って」おり、大学院の定員を大幅に増やして、(また大学院に投入できる教員力を増やして)少人数できめ細かな教育を行えるように改革しなければならない。
(オックスフォード大・苅谷教授)

(6)就学年齢の7カ月前倒しは、小学校教育の開始時期として適切か、の検討。
幼児教育の果たす役割、子どもの発達段階を踏まえた教育内容・方法の確認。
幼児教育は、小学校以上の学習の基礎になると言われる実行制御能力・自己制御能力・非認知能力を培っている。学齢開始の5歳前半と5歳後半の違いによる、それらの育ちの差異を実証的に検証する必要がある。また入園が2歳5カ月となるが、排泄の自立も成り立たない年齢。

B.秋・9月入学(またその論議)により促進される課題

(1)多様な経験を積む「寄り道」を許容・推奨する教育・社会システムの構築
「寄り道」の例示。    浪人、ギャップターム・ギャップイヤー具体的には社会体験活動、自発的活動、留年、留学。 早期卒業、飛び入学。 留学生との交流。 30・40代で自分の生き方を見つけての大学院等での学び。

(2)社会の「画一主義から多様性」への変化
生き方の上での「画一性」の例示。   春季一括採用で大企業に入社、たゆまなく経験を積み高給へと昇進して退職。    
生き方の上での「多様性」の例示。   納得できる職業・企業を見出せず、時間をかけて通年採用により就職。より適する業務や経済的発展を求めて転職。勉強不足を感じて、長期の研修や大学院への入学。出世競争から降りて趣味の途の追求。

(3)若者の内向き志向の克服
留学を望まない学生、海外赴任を望まない新入社員の割合によって示される、若者の内向き志向が、進んでいるとの分析があり、進んでいるとは結論できないとの見方もある。
しかし少なくとも外国の学生との比較において、留学への関心が低いのは確かであり、日本社会の集団主義・画一主義を構成する、安全性を求めてリスクを回避する傾向は認められる。
海外留学の拡大が、少しでも内向き志向を緩和することが期待される。

(4)自己判断・自己決定の個人からなる社会へ
自己判断・自己決定のできる学生を、大学での主体的・能動的な学びにより育成するのが、東大秋季入学提起の大きな目標であった。しかし大学以前に、たとえば高校(あるいはもっと早く中学)の段階で、主体的な学びの場を設定できるのではないか。
一つの候補としては、フランス(リセの最終学年)やドイツ(ギムナジウム)の哲学教育を参考にしての、哲学教育の導入である。
二つ目は、ディベート教育の導入促進である。ディベートの形式の熟達ではなく、相互批評・論証の方法、それに基づく具体的な論題探究の豊富化が求められる。
自分の頭で考え、物事を論理的に捉え、筋道立てて提案していくこと、この訓練が大学以前の段階から継続してなされることが望ましい。

(5)一括採用慣行の見直し
現行の新卒者・春一括採用から、既卒者を含む通年採用への転換が求められる。
学事暦(卒業時期)の多様化、寄り道転職、パワーアップ学習者にも対応できる。

              





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