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♬お正月の愉快なエピソード集♬

≪その① マイナス600円のメニュー≫

これは、やんちゃ坊主で知られる僕めの、正月早々のお話——。
僕は、東京から正月休みで帰郷した同級生の友人たちと
県内各地をドライブの途中、姫路市内に立ち寄っておりました。
その際、少々腹がへっていたので、付近でたまたま営業中の
『マホガニー』という名の料理店を見つけ
早めの夕食を、全員でとることにしたのです。
『魔法ガニ…が、どちらにお住まいか、君は知っているか?』と
相変わらずの僕はジョークをかましながら、店内のテーブルにつきました。
テーブルの上には、黄色いおしゃれなメニュー表。
僕はメニュー表に目をやって
早速言いました。『あれ!これマイナス900円やて!』
『なぬなぬ、マイナス850円に、マイナス1200円…、こいつは安い!』
そこで僕は、メニューの品を全部、注文しようとしたところ
同級生の一人に引き止められた。
『○○君、待ちたまえ!』
『これは、マイナスのマイナスのマイ…、つまりプラスの1200円さ』
この店のメニュー表、値段の前側に、いくつかの破線(―  ― ―)が
引かれてあって、それもよく考えたもので、ほとんどが偶数だった。
それでも僕は、あきらめが悪く、破線を
『ひーふーみー』と、一本一本数え上げて、奇数になるものを
どうにか見つけ出したのです。 微笑こそ浮かべながら
ただただ、あ然としているウエイトレスのお姉さん。
僕はさんざん待たせたあげく
マイナス600円の○〇○○定食を注文しました。
さて、にぎやかな食事が終わって、しばらくの雑談のあと
僕らはようやく席を立つことに。 もちろん天真爛漫? な僕は
『マイナス』のありがたい意味を噛みしめながら、お店のレジへ直行。 
なのになのに、その場で、600円のお代をちょうだいされました。
そんなアホな!


≪その② 言葉ちがい≫

僕がタバコ嫌いで、なおかつ世界的な言語学者であることについては
町内でも有名ですが、さしずめタバコを吸う ふとどき者を見つけては
言いたい放題に説教して回るのが、言わば僕の主要な日課。
しかしこのたびは、お正月のおめでたい時節。
久方ぶりに皆で落ち合った仲間の大邸宅(???)において
人類史上始まって以来(???)という、こんな珍しいミスもありました。
後輩のひとりが、こともあろうに僕の至近距離で、喫煙を始めたので
僕はアニメの孫悟空のように、格好よく身をかわしながら
『こりゃかなわん、猫にムササビを焚くようなものじゃ!』と一喝。
すると一瞬の沈黙のあとで、あたりは、たちまち爆笑の渦に。
そこはお笑い文化の関西人達らしく、全員が即興で床に転げる一幕。
ある者は笑いすぎて大きなアゴをはずし、ある者は、したり顔で派手な
絵日記をしたため、またある者は、食べていたお雑煮をどんぶり鉢ごと
ごくりと呑み込んでしまって、新年早々、くまのプーさんの運転する
救急車で、おもちゃ病院(お餅だから?)まで搬送されるといった始末??
爆笑の渦は相生市内から県内の各地へ広がり、松の内の間じゅう延々と
拡散を続けたのでありました。そうです、『またたび』と言うべき所を
僕は『ムササビ』と、言ってしまったのです。 そもそも
『またたび』にしても、言葉の意味がまるっきり間違っとるようで…。
それ以来、数十年たった今でも、帰郷のたびに
『さあ、猫ちゃんにムササビを焚いてあげましょうか!』と
一部のふとどきな喫煙者から、揶揄され続けておる次第で
実に、けしからん話ではある。



≪その⓷ くるくる寿司の思い出≫

これは、とある回転寿司屋さんが オープンしたての頃の
お正月の大変 恥ずかしい お馬鹿丸出しのエピソード。
僕は隣町の赤穂の友人たちの案内で、くるくる寿司まで
馳せ参じる事になったのでありました。
千種川を見下ろす赤穂大橋を東から西へ渡って幾千里。
とある お店の暖簾をくぐると、なんと回転するテーブルの上に
握りたてのお寿司たちが、美味しそうに並んでおりました。それはまるで
水族館のお魚たちや、遊園地のメリーゴーランドのような華やかさ。
『あっ、だから、くるくる寿司!』と、田舎者の僕は いちおう納得。
『タコさんを一度、怒らせてみてはどうか?』とか
『カレイとヒラメが結婚すると、どうなる?』とか
僕らが大いに語り合いながら席につくと
『へいっ、なんでも注文してくださいよ!』と、板前さんの威勢の良い声。
そこで僕はつい、叫んでしまったのです。
『めだか一匹、にぎってくらはーい!』 板前さんは何も語らず
居合わせた他のお客たちがニヤリと、こちらのほうを眺めておりました。
しかし同席した友人も、たいしたもので
『おいら、くじらの丸焼き三匹!』
僕は一瞬、こいつは天才バカボンか、クレヨンしんちゃんの親類かと思い
友人でいることが、むしょうに恥ずかしくなりましたが
ここで止めるわけにもいかず
『おいらは、ウーパールーパーにする!』と、つづけました。
しかし友人は、はたと正気にかえって
『おじさんごめん、おいらやっぱし、チラノザウルスにするわ!』
『この子は、お子様ランチがいいって』
こいつ…、新年早々、ここをどこだと思ってんだ。


≪その④ カモメになった紙ヒコーキ≫

僕が、世界的なヒコーキ野郎であることについては
町内でも大いに有名ですが、正月休みの際
僕は赤穂市内の坂越(さこし)の友人宅に、数名で押しかけておりました。
弥生時代や縄文時代?を思わせるような、ド田舎とは言え
二階の部屋の窓からは、坂越湾や瀬戸内海の広々とした風景が一望に見渡せ波の音までも耳元で聴くことのできる、申し分のない場所なのです。
そのうえ日当たりが良く、風通しも良好で
言ってみれば、ここは、僕の別荘のようなところ(おいおい)。
夏であれ冬であれ、いつでも自由に
出入りして良いことになっている(…大ウソ)。 ところで、僕が部屋の中で
紙ヒコーキを飛ばして面白がっていると 友人がいわく
『ここは、子供の遊び場じゃありません!』
そこで子供? の僕は、寒さを忘れ、窓をいっぱい開け放ち、海に向かって
飛ばすことにしたのです。 目の前の大きな大きな海の向こうは
お友達の白クマさんが手招きをする北極海。
ワンツーのスリーで、紙ヒコーキから手を離すと
『むーみん号』と名付けたその紙ヒコーキは
真っ白なカモメに変身して
海のかなたへ、羽ばたいて行きました。



※ 建礼門葵が、生まれ故郷の『相生』で暮らしていた頃のお話でした。
 今でも外見や体力年齢が、実年齢よりも若いようだけれど
 精神年齢は、それ以上にもっと若い⁈ 
 つまり、まだまだ”ガキ”ってこと??
 そこが、私の悩みの種です。

 

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