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そのアウトプットに不確実性はあるか

今、noteという場を使って日々、右脳抜群人間が左脳を駆使してアウトプットしている。基本的には自分の日々の生活や仕入れた情報を自分なりの視点に落とし込んで、実体験からの学びにつなげたまとめ的な内容で書いている。

そこでは、noteを書き終えるたびに新しい気付きや学び、以前更新した記事の読み返しからの発見などなどアウトプットを行うことでの感覚的な気付きや、周囲の反応などのフィードバックから、また違った種類のインプットが発生する。

このようにアウトプット自体はできているが、日によって学習の濃さや深みに個体差があるのを日々のnoteを書き上げるスピードから違いを感じる。

まず、結論としては、思考領域のアウトプットか実践行動領域のアウトプットかの違いだと思う。前者は、一方的なクリエイティブ作業で後者は、行動後にやってみないと分からない不確実性(≒学習)の反応がある。

つまり、この体感的な後者の学習は、何かしら行動に基づく体験からのインプットなのかも知れない。確かに、少し前にweb面接を受けたときも、いろいろな反省点や手応えから溢れるほどのフィードバックをして多くの発見を見つけれた。加えて、このアウトプットの部分がトライ&エラーのトライになっていて、フィードバックや結果はエラーの部分になるということ。まさにトライとしてのアウトプット。

この両者の違いから
今まで、やってみないと分からないような若干リスキーなアウトプットを避けて、自己満足で完了するアウトプット(悪いことじゃない!)に依存していたんだなと改めて認識できた。

それと、トライアンドエラーのようなリスクがあるけど挑む。という選択はその人がどんな人間なのかを形成する決断にもなると感じた。だから知識が血肉化するってのは、ただのアウトプットだけでなく、リスクある行動がセットになって実現する。

インプットの次はそれを用いてのトライ(アウトプット)
これでいいんじゃないでしょうか?

本日は以上です!!

それでは!また明日!!

SSSAAASSSAAAKKKIII Day21

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