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新米パパの初心

2024年1月に第一子の男の子を授かり1ヶ月が経過しました。

出生後の事務手続きや、育児の作業に追われてあっという間に過ぎ去った1ヶ月。

一方で、子育てパパの友人の話や、育児関連の本を読み「父親として子にどうふるまうか」などと考える機会が増えました。

聞いた話や、読んだ本で参考になった部分を、子育て指南の初心して残しておこうと思います。

まぁ実際は、思い通りにいかないことが大半だと思いますが。。

読んだ本

今から10年以上前の本ですが、出版当時、ニコ生での記念対談を見ていて、気になったので読了。

平田オリザ氏の著書も学生時代に拝読していた。本の趣旨は、大学の入学試験を設計する立場から、社会に求められる人材像を広く考察していた。

読後の感想


2冊は、全く別の角度から教育について語られているけど、共通していたのが学歴社会への疑問符。

ざっくり言ってしまうと「勉強ができる社会で使えない人材」になるより、「多様な背景の人と対話のできるコミュニケーション能力」を養うほうがよっぽど大事という主張です。

ただし、この「コミュニケーション能力」というのが厄介で、家庭環境によって決定づけられる。と読み取れます。

親がコミュニケーション能力を持っていれば、自然に子どもにコミュニケーション能力は移るだろうと…他で用いている言葉を使えば「感染」になりますが…「感染」は教育で引き起こせるようなものではないのだから、話は絶望的になる。

父として考える P.160

「身体的文化資本(さまざまな人々とうまくやっていく力)」という概念は…家庭環境によって与えられる。本人の努力ではいかんともしがたい「格差」なのだ。」

22世紀を見る君たちへ P.96

「学力」という公平に判断される指標から「コミュニケーション力」という定量的に判断できない指標になると、センスや環境で培われたものを問われるため、育児環境による格差が鮮明になるという議論です。

これらの意見はあらかた同意をするのですが、社会で求められる能力が「学力  < コミュニケーション力 」になるかは疑問です。

私は20代後半から30代の5年間をエンジニアとして働きましたが、職場で求められる能力は「スキル >  コミュニケーション力」であり、協調性が無かろうと、コードが書ける(スキルが高い)人材であれば重宝されるという現場がほとんどでした。

現代はジョブ型雇用という言葉も出てきており、このような「職能」が求められる仕事では専門的なスキルを持っていることが最優先であり、コミュニケーション力は「あれば尚良し」というのが職場の本音なのではないでしょうか。

ただし「社会的な成功 ≠ 個人の幸せ」ですので、幸せな人生を歩むための異性や他人と繋がるコミュニケーション力という点は大切だと思います。


これらの点を踏まえれると、「学力とコミュニケーション力を兼ね揃えた子ども」こそが理想ですが、本でも触れられている通り、子どもの教育機会は「トレードオフ」です。

そして、親が意識的に子どもに伝えられることも、ほとんどないのかもしれない。

「子どもが本当に学ぶのは、教えている内容でなくて、親の形式、親の無意識です…
…そこでは本当は「親の無意識と子どもの無意識の共同作業」が起きているのだと思います。」

父として考える P.164

子育ての話を聞いて


2冊の本の考察から、今からできることの少なさを感じつつ、子育て世帯の知人の話を聞いて、大変納得したのが以下の言葉。

子供に1000のことを伝えたとして1つ伝わったらいい。親の言うことより、周囲の友だちや環境からの影響がよほど大きい。子は勝手に成長していく。

「1つでも伝わったらいいな〜」という心持ちで、自分の知らないところで成長する子どもに、新鮮な気持ちで向き合うようにしたらいいと思うよ。


結局のところ、正解はないので我が子の性格や適正を見ながら、必要と感じた教育機会を「できる範囲で」提供していくことしかできないのだろうなと思います。



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