コンプレックス

自分の容姿が醜い。

容姿のせいでいじめにあったこと、悪口を言われたことなど理不尽な思いをしたことは一度もない。それなりに可愛いと褒められ、若干のちやほやを受けてきた。親にもかわいいかわいいと甘やかされながら育てられた。なのに、なぜこんなにも容姿に執着するようになってしまったのか。

自分の顔が可愛くないと気付いたのがいつかは覚えていない。しかし、可愛いと言われている芸能人と自分の顔があまりにも異なっていて、違和感を感じたのだろう。"かわいい"という言葉の意味は、無限にある。顔がかわいいひと、雰囲気がかわいいひと、声がかわいいひと、言動がかわいいひと、きもかわいいひと、かわいいはこわい。
私にかけられてた"かわいい"は、橋本環奈と同様の"かわいい"ではないのだ。
一般人が芸能人レベルと同様のかわいさを求めることが間違いなのはもちろん理解している。
しかし、年々、一般人のかわいいレベルが上がっていることは確かだ。

インターネットが普及している今、自分の顔の違和感の正体を知ることが簡単である。人中が長いからおかしいんだ、Eラインが整っていないから可愛くないんだ、鼻翼基部が陥没しているから野暮ったいんだ、どういう名前でどういう理由でどういう改善方法があるのか気軽に知ることができる。
そのため、今の可愛いの基準を詳しく知ることができる。また、その基準から自分が外れていることも明確になる。

私のTwitterのTLには顔についてのツイートで溢れている。中顔面短縮メイク方法、骨切りDT◯日目、やってよかった整形などが流れてくるので余計顔について考えてしまう。私は、スマホのカメラで顔を撮り顔の不自然な箇所を分析すること、パーツのサイズや距離を測り一般的な数値を調べること、何度やっても結果は変わらないのに毎日何時間もやってしまう。他の人からどう見られているのか、自分の顔はどこを改善したらいいのかばかり考え、頭がおかしくなりそうだ。

かわいいに囚われなくなりたい。

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