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セルフヘルプグループあれこれ|トーキングスティック

取り組みをご一緒している方から、『夜明けのすべて』という映画にセルフヘルプグループのシーンがありましたよ、と教えていただき先日みてきました。


セルフヘルプグループのシーンは、海外の映画やドラマではよく見かけますが邦画ではめずらしいように思います(邦画でほかにセルフヘルプグループが登場する作品をご存知でしたら、ぜひ教えていただけますとうれしいです)。

映画はとってもよく、鑑賞し終わってから思わずパンフレットを買いました。パンフレットには登場人物の設定が丁寧に紹介されていて、それを知ったうえでまた見たくなっているほどです。

また、映画にでていたセルフヘルプグループの説明もありました。詳細をあれこれ記載するのは、まだご覧になられていない方にとってネタバレになってしまうかと思うのでひかえたいと思いますが、セルフヘルプグループのシーンに登場していた「トーキングスティック」について書いてみたいと思います。

映画の本筋にはふれない内容にしていますが、気になる方はご鑑賞後にお読みいただけますと幸いです。




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セルフヘルプグループには、安全にミーティングの進行が行われるようにさまざまな工夫があります。グランドルールはその一つかと思いますが、トーキングステッィクという木の棒が用いられることがあります。

イメージです


中野民生の『ワークショップ 新しい学びと想像の場』にトーキングスティックの説明があります。著者が見学でアメリカの大学院に行ったときに、トーキングスティックを用いた場があったそうです。

月に一度は、学科の学生なら誰でも自由に参加できる「サークル」という場を設けていた。そこでは、「トーキング・スティック」という木の棒が輪の真ん中に置かれた。ネイティブ・アメリカンの伝統から来たもので、「棒を持っている人だけが話し、持っていない人は聴く」というシンプルなルールがあった。最近自分に起こっていることや、その時自分で感じていることなどを、「話したい」と思った人が棒を取って、心の底から話す。他の人は、その人の話が終わるまでさえぎることなく全身でその人の話を聴く。十分話し終えた人が、棒をまた中心に戻す。しばしの沈黙があり、また準備のできた人が棒を取り、話し始める。

中野民生『ワークショップ 新しい学びと想像の場』p.4


トーキングスティックは「言いっぱなし、聞きっぱなし」を助けるものなのかもしれません。

中野によるとトーキングスティックが場にあることで以下のような効果があるといいます。

途中の介入を控え、お互いを深く聴きあうことで、場がずっと深まる。誰でも自分の話したい話を最後までしっかり聴いてもらえるのはうれしいし、さえぎらない安心感があると落ち着いて自分の意識や気持ちの深いところを探りながら丁寧に話せるようになる。また、よく聴いてもらうことで、今後は他の人が話すときはじっくり聴く気持ちになる。この相乗効果で場はどんどん深まっていく。話の間の「沈黙」も価値あるものとして浮かび上がってくる。こうして、お互いに深く耳を傾け、「傾聴」しあう場が自然にできてくる。そして自ら進んで動きだそうという主体性が育まれる。

前掲書p.4-5


ここでは「沈黙」について考えてみたいと思います。

日常において、家族や友人または同僚などと話をしたりそれを聞いたりすることはありますが、卓球やテニスでラリーを続けるように、双方向的なやりとりで即座に反応を求められるものが多いように思います。

ラリーが続くようなテンポのよい会話がある一方で、ラリーが続かずボールが落ちているような沈黙は、どちらかというと気まずさがともなうかもしれません。

一方、トーキングスティックを用いながら話したり聞いたりすると、沈黙が「価値あるものとして浮かび上がってくる」。不思議ですね。

おそらく、沈黙は「自分の意識や気持ちの深いところを探る」大切な時間になるのかもしれないと思います。


即座にボールを返さないといけない状況では、「自分の意識や気持ちの深いところを探る」時間はなかなかもてず、ありきたりな返答をしてしまうことがあるかもしれません。

また、とても言葉にならないような気持ちを抱えている状況では、返答すること自体がむずかしいかもしれません。

ただ、トーキングスティックがあるとその場にいるどなたかがお話されている時間や沈黙の時間が確保されます。そうした時間のなかで、自分の気持ちに少しずつ気づくことができて「自分の意識や気持ちの深いところを探りながら丁寧に話す」ことにつながるのだと思います。


またトーキングスティックの場所によって、その場がいまどのような時間なのかが明確になることもトーキングスティックの素敵なところだと思います。

輪の真ん中に置かれていれば沈黙ですが、「『話したい』と思った人が棒を取って、心の底から話す」とき、トーキングスティックは話し手にあります。思わず口をはさみたくなっても、話し手にトーキングスティックがある限りほかの方は聞き手です。

話し手から言葉がなかなか出てこなかったとしても、とても言葉にならないような思いをがんばって伝えようとされているところかもしれません。そうしたなかで、待たれずに口をはさまれ、話を勝手に解釈されたりまとめられたりしたら、とてもしんどいものだと思います。

トーキングスティックを持っていない聞き手は「話が終わるまでさえぎることなく全身でその人の話を聴く」ことが求められ、それは「待つ」ことにつながります。

トーキングスティックはいまどのような時間なのかを理解する助けとなり、場の安全につながる試みのように思いました。


ちなみにこのトーキングスティック、必ず木の棒でなければいけないということはないと思います。

とあるワークショップで、自分の大切なものを用いたことがありました。自分の大切なものを手にしながらお話できると安心できるかもしれませんね。

安全にミーティングの進行が行われるようにさまざまな工夫があると思いますが、「私のところではこんな工夫をしていますよ~」などございましたら、コメントなどで教えていただけますとうれしいです!

お読みいただいて、ありがとうございました。

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