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セルフヘルプグループあれこれ|環状島から考えるセルフヘルプグループ

セルフヘルプグループのことが少しでも知られるきっかけになればと思い、今日は「環状島から考えるセルフヘルプグループ」と題して書きました。

<環状島>はどんな形状の島なのか、というと『環状島へようこそ トラウマのポリフォニー』の表紙になっているようなドーナツ型の島です。

https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8539.html より

宮地さんオリジナルのモデルですが、環状島のモデルは以下のような意義があります。

「トラウマを語る/語らないこととその条件、犠牲者と被害者の関係、被害者と支援者の関係、トラウマと社会の関係、文化やアートの役割などを整理する上で、役に立つと考えています。」

宮地尚子2013『トラウマ』p.41


あらゆるメタファーとともにトラウマを理解するのに大変役立つものなのですが、環状島の断面図については次の通りです。

宮地尚子編『環状島へようこそ トラウマのポリフォニー』p.18

今回は私もメタファーをたくさん使いながら環状島からセルフヘルプグループについて考えてみたいと思います。自身の体験にもとづくところが多いですが、そのあたりはご了承ください。

セルフヘルプグループを必要とするとき

セルフヘルプグループを必要とするとき、その人はどこにいるのでしょうか。おそらく<内海>や<波打ち際>あたりのように思います。

<内斜面>でぐるっと一周手をつないで輪になっているのがセルフヘルプグループなのかもしれない、と思っています。手をつないで輪になっているからこそ、<内海>や<波打ち際>にいても仲間の力で<内斜面>に引き上げやすい印象です。

とはいえ、セルフヘルプグループに参加するハードルが高いことから、<波打ち際>にはテトラポッドがえらい高くつんであったり、砂浜に足をとられやすくなっていたりするのかなと思ったりします。

<内海>と<外海>の関係

参加するハードルが高いことに加え、自身の当事者性を受け入れづらいことから<波打ち際>あたりで座っていることもあるかもしれません。動こうと思えば動けるけど、からだが重たいなと。

私の場合も、セルフヘルプグループを必要とする状況であってもすぐにつながったわけではなく、つながる前はひたすら本を読んでいました。

<内斜面>にいる仲間たちの言葉が、<波打ち際>にいた私に本となって届きました。<波打ち際>には、本屋さんがあるのかもしれません。

また、精神障害にかんするセミナーなどに出席をしていました。どうしたら精神障害があっても本人や家族は地域で生活できるのか、という問いのようなものです。<内海>と<外海>をつなぐ地下トンネルをくぐって、非当事者のふりをしながら話を聞いていました。

あとは当事者性とは関係のないところで、生活することも必要としました。友達と遊んだり好きなお菓子を食べたりですね。<外海>での生活がないと、当事者性にどっぷりつかってしまって<内海>におぼれていったかもしれません。

水中トンネル、大事でした。

ちなみに<内海>と<外海>の関係は下記にもあります。

<外海>には、みずからが当事者であることにまだ気づいていない、あるいは忘れてしまっている人もいる。当事者であることを、あえて語らない人もいる。すでにその問題が自分にとって重要でなくなっていることもあるし、語ることで周りに負担をかけたくないと思う人もいる。人はしばしば、簡単には人に言えない事情を抱えている。公にできる事情などたいした事情ではないともいえる。被傷体験に触れ(られ)ずに済む限りは、日常生活を穏やかに過ごせている人は多い。記憶から距離を置き、環状島から遠ざかっておくことで、凪の海を楽しむことはできる。一方、自分にとっては忘れたはずのことが、なにかのきっかけで蘇ってきて苦しむこともある。<外海>に漂っているようで、実は<内海>に引き込まれそうになっている人もいるだろう。<外海>と<内海>は、地下水脈かなにかでつながっているのかもしれない。

前掲書p.20


<内斜面>にあがってくる

<波打ち際>でとまっていたところからどうにか<内斜面>にあがり、セルフヘルプグループにつながります。

ここが居場所となれば、その<内斜面>は芝生があってお菓子でも食べながらゆっくりできるかもしれません。一方、グループとミスマッチした場合は<内斜面>から<内海>に落ちてしまうこともあるでしょう。

(このあたり、ミスマッチが少なくなるようにプラットフォームの仕様を整えていきたいと思っています。※このあたりの話はこちら

<内海>に落ちてしまっても、またグループを必要とすることがあるかもしれません。必要とするグループが複数ある場合はそのことがわかるように、<内海>に浮き輪のようにセルフヘルプグループのプラットフォームがあればと思っています。できたら浮き輪じゃなくて、底にまで沈んでいける重たいもののほうが、必要とする方に届くのかもしれません。

とはいえ、侵襲的であってはいけない。あとの<水位>の話にもつながるのですが、<内海>に潜んでいたいと思う人もいるでしょう。この加減がとてもむずかしいなと感じます。

傷ついたなかでまた<内斜面>にあがるのは大変なことでしょう。それでも何とか<波打ち際>からあがろうとします。今度のグループはどうでしょうか。

世話人(開催者)の方を中心に少人数で活動しているグループかもしれません。そうすると、<内斜面>でぐるっと一周手をつなぐこともむずかしいかもしれません。グループの運営が大変で、引き上げようにも手に力が入らないかもしれません。

そうしたときにプラットフォームがロープのような役割を担えたらと思います。広報を精一杯しなくても、プラットフォーム上で呼びかけることで仲間とつながりやすくなるような。引き上げるのに力を入れなくてもつながりやすくなるような。

新しい<環状島>ができるとき

「ある特定のトラウマごとに、環状島は形成される」(前掲書p.16)といわれます。

宮地さんは「自助グループ・当事者研究の可能性」のところで、グループの立ち上がりを以下のように説明しています。

ちょっとサンゴの環礁みたいなものができて、環状島っぽくなって、でもやがて消えていく。それでも、またゲリラ的にポツポツとサンゴ礁が現れる。

前掲書p.113

社会の関心によって<水位>が下がることで、サンゴ礁が立ち現れるというかんじでしょうか。ここ数年で関心が集まったヤングケアラーや宗教二世もそうかもしれません。

プラットフォームができることでグループを立ち上げやすくなるのであればそれは<水位>を下げることにつながるかもしれないと思ったりします。ただ注意も必要だと思っています。

<水位>を下げることだけが、常に目的となるわけではない。もちろん、<水位>が下がることによって、<内海>に沈んでいる人が声を出せるようになるのだが、時にはそれらが支援者側の都合で進められてしまうこともある。今はまだ<内海>に潜んでいたいと思う被傷者もいるだろう。無理に水位を下げ、沈んでいたものを引きあげようとすることは、「アウティング」にもつながりかねない。まず、<内海>の存在に気づき、時折聞こえてくる叫びや表現に耳を傾けるころが支援者としては大切だろう。

前掲書p.27

常に<内海>の存在を意識する必要がありますし、注意したいと思っていることです。

環状島をもとに、セルフヘルプグループについて考えてみましたがいかがでしょうか。ちなみに、度々引用させていただいた『環状島へようこそ トラウマのポリフォニー』は、宮地さんと7人それぞれの方との対話のなかで環状島にどのような応用可能性があるのかについて繰り広げられており、興味深く読んだ本です。

セルフヘルプグループは環状島でいうとこんなふうに表現できるんじゃないか、など感じたことがございましたらぜひ教えてください。

クラファンの終了まであと2週間となりました!
引き続きどうぞ応援をよろしくお願いいたします。
https://camp-fire.jp/projects/view/693072

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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