"放課後の匂い" (2分で読める小説)
「放課後の匂い」
苺のショートケーキを皿に並べる。クッキングヒーターからコーヒーポットを取り上げると、コツコツと叩くような心地良い振動が指に伝わってきた。予め挽かれた豆の上にゆったりとお湯を注ぐと、芳しい香りが部室に広がった。岸本瑞香は春の夕刻の冷気と混じり合うコーヒーの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。まあ、部室とは言っても旧校舎の理科室を使わせてもらっているだけだが、無いよりはマシである。
文学部とはまた平凡であり、五人に満たない本好きの集まりは同好会でも良いのではないかと思う事もある。
今日に限っては二人であった。
瑞香はコーヒーを久賀啓太の前に置いた。白い湯気が淡く揺れる。彼の横顔に思わず見惚れそうになった瑞香は、湧き上がる甘い気持ちを隠そうと慌ててコーヒーを啜る。活字を追う事に夢中な啓太は「ありがとう」も言わずにカップに口をつけた。瑞香は、そんな部長にデコピンをしてやる。
大人になってからも、こうやって上司にコーヒーを運ぶのだろうかと瑞香は考える。
デコを軽くさすった啓太は少し頬を赤らめて「ありがとう」と言った。瑞香の頭から大人になった自分の像が消えていく。
十七歳の恋だった。
高校生の瑞香にとって重要な事は、この奥手の部長に自分から告白してやるかどうか。
ただ、それだけだった。
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