見出し画像

凡庸さについて 試論として

哲学者ハンナ・アーレントは第二次世界大戦後、ナチス戦犯であるアドルフ・アイヒマンを裁くアイヒマン裁判を傍聴し、アイヒマンという人物について凡庸な役人気質の単調なルーティンワークから生み出される事なかれ主義の弊害が強大な国家的犯罪を前に自分も仕事に対する疑問を持ちえない状況を悪の凡庸さと概念を剔出。社会で生きることは絶えず凡庸さとの折り合いが必要になると私は考える。現代の日本人は自分で決められない人が多くいる、判断を先送り、人任せ、責任逃れ、責任の所在が不明瞭。その根幹には平均的凡庸さがある、日本人の集団は他の誰かと同等の価値観でいることに自分の居場所を見出す傾向がある。同一的価値観のある集団が大なり小なり日本には数多存在する。日本政治思想史/政治学の丸山真男は無責任の体系と名付けた。山本七平は空気とした。2014年に日本でも劇場公開されヒットした映画『ハンナ・アーレント』はアイヒマン裁判にフォーカスした内容で厳密にはアーレントの半生ではなく彼女がアイヒマン裁判をレポートした著作『イェルサレムのアイヒマン』が成立する前後の状況を捉えた映画とみるべきだろう、アーレント入門映画としてよくできている。

ここから先は

1,695字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?