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写真という表現 安逸もしくは軽度なる主体

写真を撮ることは誰にでもできる平等に誰でも社会的階級に関係なく写真をいつでも自由に撮ることができる、料理、服装、風景、自分自身etc。カメラのシャッターボタンを押せば瞬時に大概写真は完成する。スマホとInstagramの普及で更に写真の表現も曖昧になりつつある、写真家や写真作家といわれる表現者達。言葉で意思伝達することが、円滑にできない。世の中にはそのような人々がいる。写真表現を行っている人々は自作に対して饒舌ではない、寧ろ言葉への引きがある。沖縄出身の石川竜一を例に上げると彼の写真作品は沖縄の内在的問題、人物を媒介項にして自らの問いを照射させる写真家である。なのだが彼自身他者への言葉が常に不在だ。言説構築よりも前に遊戯的身体性としてカメラのシャッターを切る主体。遊戯的に切り取られた写真は鉤括弧付きの作品になり、批評家が最もらしい言葉で作品というお墨付きを与える。写真は他の芸術ジャンルと違い、誰にでも即時的表現できるジャンルだ、と同時に言葉が既に消失している表現とも見受けられる。批評家が多弁的にまたは言葉は悪いが詭弁的と言えるような労を呈していたとしても、ある種の虚無性を写真作品の言葉の無さが却って増幅される結果になっている。展示会で提示される写真作品は彫刻や絵画、書道、陶芸などと違い作り手の意図が伝わりぬくい表現。見たまま感じることは不可能だろう。感じたままの言葉は鮮明ではない、作者の言葉が不在であれば尚更に不鮮明度を増す。

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