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「風」はよそ者、「土」は地元

 昨年の終わり頃に、ある方とお話していて「来年は“風の時代”って言われてるの、知ってる?」と聞かれました。正直、聞いたことはあるけれどスピリチュアルな性質の話、占いの世界の話だと思っていて、私はほぼ無関心でした。しかし、その方に「君のやろうとしていることはまさに“風の時代”に合っているんじゃないかな」と言われたので、改めて「風の時代」について調べたりしました。今回はそんな「風の時代」を意識し始めてから考えるようになった「風と土」のお話です。

□「風の時代」とは

 「風の時代」の定義はどこから引用すべきか迷いましたが、検索かけて上位にあがった、2021年1月1日に掲載された「Forbes JAPAN」の記事から引用すると、次のとおりでした。

きたる「風の時代」は、「風」が目に見えないように、情報や知識など形のないもの、伝達や教育などが重視され、人々は何より「知る」ことを求めていくことになると言われています。 つまり2021年は、「持つ」ことから「知る」ことを重視するように世の中の価値観が大きく変わる、時代の曲がり角なのです。

「Forbes JAPAN」

 これに対して「土の時代」はどうかというと、次のように書かれていました。

では、これまでの「土の時代」はどんな時代だったかというと、「土」は文字通り、物や形あるもの、経済などの象徴であり、人はみな「所有」することを求めた時代でした。約200年前の「土の時代」の始まりに起きたのが産業革命で、それが行き着いたところが現代の大量生産・大量消費の世界であるともいえます。

「Forbes JAPAN」

 なるほど、スピリチュアルなイメージで捉えているときはあまりピンときていませんでしたが、これまでの時代背景に重ねて考えると、そのとおりのような気もしてきます。「風の時代」だからというわけではありませんが「情報や知識など形のないもの、伝達や教育などが重視され」ている傾向があることも納得いく部分があります。そしてそれは、大きな震災や今回の新型コロナウイルスと闘う世の中で重視し出した物事とも繋がっているように思います。

 災害などによって失われかけた文化、途切れかけた伝承、目には見えなくなった姿、途絶えさせられた取り組み…これらをどう繋ぐのか、改めてどう価値付けるのか、どう次の時代に残すのか。物が残るからではなく、人の力があってこそ残せることに重きを置いた取り組みが、震災などの大きな困難の後には必ず重視されてきていますよね。「知る」ことによって「価値」が見出されていく取り組みをやろうとしていた私なので、そういう意味で「風の時代」もある程度納得がいきました。

□よそ者だからと避けてきたこと

南三陸町の景色

 東京で生まれ育った私は、東日本大震災という出来事をきっかけに南三陸町に来たので、最初は地域を知るという機会もあまりなく、ただただ目の前にあることに取り組み、早く町をキレイに住みやすくしたい、町の人たちの笑顔を見たいと思って活動してきました。でも、そのうち震災前の話や町の歴史、伝統、言い伝え、受け継がれた思いや技などを知るようになると、東京でどんな良い学校に入っても学べないような、学びと価値の宝庫のような物事に出会うことが増えていきました。

 元々教員を志してもいたし、学校で教える教育にも関心がありましたが、世の中を知れば知るほど、学校でも教えてあげられない知識や知恵や経験を教育するにはどうしたら良いのかということにも関心が高まりました。そして、広義的な「教育」をテーマに、自分たちの暮らすまちや当たり前になりつつある営みの歴史や背景を知り、見えない努力や苦労や携わってきた人々、当たり前になるまでの想いを想像できる世の中にしたい、それがきっと世の中のためになると思うようになりました。

 こうした思いから、南三陸町でも知ることができたさまざまな歴史文化、普段は見えにくい町民の努力を「よそ者だから・・・」と控えめに見て見ぬふりするのではなく、私なりに発信して町内外に発信していこうと思うようになりました。でも正直、まだ通っていた頃は、外に発信はできても町内に発信するのはおこがましいような気がしていたし、町民になったとて、よそ者のくせにと言われることを恐れていたこともありました。実際にある取り組みをした時「よそ者のくせに」と嫌がらせメッセージをもらったこともありましたからね・・・。

□「風」はよそ者、「土」は地元

 そんなことを思いながら迎えた2021年。こんなよそ者の私を地元の大事な取り組みに誘ってくださる方々もいて、年末にグリーンツーリズムのインストラクター講習に参加させていただいたのですが、年明けにもプチ講習があったので参加し、年末にお世話になった先生方とも再会を果たしました。そこで先生が最初にホワイトボードに書いた文字が「風土」の2文字でした。

グリーンツーリズムの研修

 「風土」とは「その土地の気候・地質・景観などに見られる(住民の生活や文化に深く働き掛けるものとしての)環境」とされています。よそ者からすれば、その土地の風土は地元の人たちによって築かれたものだと思いがちではないでしょうか。でも、先生が仰ったのは「風土の“風”はよそ者なんです。風土の“土”が地元なんです。いつの時代だって、よそ者と地元が一緒になることで、その土地の“風土”が築かれているんです」というお話でした。

 言われてみれば漢字からも分かりやすくてシンプルなお話ですが、私はとっても感銘を受けたんです。それはきっと自分が“よそ者”ということにどこか煩わしさや自信のなさ、不安、悩みを抱えていたからでしょう。この地に仲間入りして頑張りたい気持ちと、いつまで経ってもよそ者には変わりないというジレンマの葛藤の中で、結婚してからも悩んでいました。

 この言葉を受けて「私は“土”にはなれないけれど、逆に“風”は私がやらなければ!」と何かがスッと吹っ切れたんです。そして、確かにずっと町内だという人たちも、お嫁さんという“風”や遡れば先祖は移住者だったという“風”もいたでしょう。いつだって、“風”と“土”はどちらもあって、どちらも必要で、だから風土が根付いていくんですね。

□「風」を吹かせる時

 昨年末から今年の春にかけてこんな学びを得た私は、今年、これまでのモヤモヤを取っ払い、私なりの“風”を吹かせていこうと新たな取り組みにチャレンジしています。それは例えば、地元で大事にされてきた伝統文化や技術を学ぶ部活動を自主的に企画してみたり、よそ者だからこそ価値があると感じる魅力を外に発信するオンラインツアーをやってみたり。町内の水産加工会社などにいる労働で来ている外国人向けの取り組みを考えてみたり。

 東日本大震災から10年が経ちましたが、次の10年に繋げる子どもたちに向けた活動やこれまでの10年を伝承するための取り組みを考えてみたりもしています。これらの活動で大事なことは、いつも“土”の存在を感じながら風を吹かせることだと思います。そして実際、“土”の皆さんの手助け無しには上手く風が通りません。

 ここから思うのは、振り出しに戻って「風の時代」と「土の時代」のお話です。これまでは「土の時代」と言われてきて、これからは「土の時代」から「風の時代」になると言われているわけですが、決してそう切り替わるイメージではないのかなと。目に見える「在る」価値が強かった時代に、見えないけど実は在った価値を見直そう、見出そうという時代が来たのではないか。つまり「“土”→“風”」ではなく「“土”→“風土”」の時代の方が良いのではないかと思うのです。

 厳密に言えば「風土」の意味と「風の時代」「土の時代」で使われる“風”“土”の意味は同じではないかもしれませんが、いずれにせよ風と土を単純な二項対立にしたくないなと思いました。パラダイムシフトを大きな変化や新しい価値観への移行とばかりとるのではなく、普遍的なものから見落としたり忘れていた視点の可視化・価値化が大事なのではないかなと。そしてきっとそれは、仕事の中でも、地域の中でも、言えることだろうなと「風の時代」を考えながら思うのでした。

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