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さよなら、ふうか

「やっぱり、犬はええなあ。もう一回だけ、飼いたいなあ」

ある日の朝、情報番組に登場した柴犬を見ながら、父がつぶやいた。
根っからの犬好き。しかも、チワワやトイプードル、ゴールデンレトリバーといった洋犬ではなく、柴犬や秋田犬など、昔から日本で飼われている犬たちがお好みだ。

「犬の方が長生きするかもね」と、ちょっと手厳しいセリフを吐く娘に、「そうやなあ」と、小さく笑い返してきた。

「ふうかも、最後は散歩に連れて行ってやれへんかったしなあ」

83歳になろうとする背中を、ひときわ小さく丸めながら、想いは4年前にさかのぼっているようだ。ひょんなことで足の指を骨折し、日課にしていた犬の散歩に行けなくなってしまったのだ。

それから2年ほどが過ぎ、ふうかは突然、虹の橋を渡ってしまった。

父にしてみれば、心残りだったのだろう。やりきれないふうかへの想いに、どこかで“けり”をつけたいのかもしれないーー。

そんなことを考えながら、ぼんやりと画面の中の柴犬をしばし眺めた朝だった。

ふうかは、父が知人を経由して、引き取って来たミックス犬だった。

「都会の引っ越し先では、どうしても犬を飼い続けることができない。誰か、引き取って育ててほしいと頼まれて……」

そんな話を聞き流せるはずもなく、嬉々として父が連れて帰って来た犬、それが“ふうか”だった。

当時、1歳くらいだっただろうか。とにかく臆病な子で、三日三晩泣き続け、父以外の家族を受け入れるまでに1カ月近くを要した。

「ふうちゃん!」と声を掛けながら近寄っていくと、ワンワン吠えながら後ずさり、なかなか警戒心を解いてくれない。

ま、いいか……とあきらめかけたある日、突然、私も家族だと認めてくれたのだろう。彼女の方から近づいてきて、頭をなでさせてくれた時は、嬉しくて不覚にも泣きそうになってしまったものだ。

ふうかは、頼れる番犬だった。臆病が幸いして、見慣れない人やうさんくさいセールスマンには、これでもかとばかりに吠え立てる。そのくせ、父や母の知人には、近寄らずとも吠え立てることもせず、遠くから穏やかな顔をして見守っていた。

さらに、ふうかの賢さに驚いたこともあった。

村の集まりが我が家で開かれ、近所の人たちが集まってくる中、警戒レベルが最高点に達したふうか。みんなが家の中に入ってからも、とにかく吠え続け、うるさくて仕方がない。

「困ったねえ……」と、途方に暮れる母。一か八か、やってみようと私は外へ出た。

「ふうちゃん、いつも番犬のお仕事、ありがとうね。でも、大丈夫やから。みんなご近所の人で、大事な話に来てるだけやから。もう、鳴き続けてくれなくてええよ」

顔をなでながら言って聞かせる私に、「わかった!」とばかりに「キュン」と一声上げたかと思うと、住まいにしている納屋の奥へ静かに入り、昼寝を始めたのだ。

ふうかは、ちゃんと話を聴き分けられる、我が家の5人目の家族になっていた。

母にもらう“おやつ”を楽しみにしながら、毎日のように野山を駆け巡り、父と一緒に田んぼのパトロールに出かけていたふうかに異変が現れたのは、2年前の夏。人間にすれば70歳近くになっていただろうか。

食欲が落ち、呼吸が少しずつ荒くなり、大好きだった散歩にも、行きたがらなくなった。横になっている時間がどんどん増え、急な容態の変化に私たち家族は戸惑うしかなかった。

そして、お別れの時は急にやって来た。

暑い暑い、夏の昼下がり。昼食を終えた父が、ふうかの鳴き声に気付いたそうだ。

「キューンって、鳴いたんや。納屋へ走ったら、息をするのも辛そうでなあ。『ふうか、しんどいんか?』って体をなでてたら、すーっと息が止まって静かになったわ。最後に、わしを呼んだんやなあ」

「ありがとうって、言いたかったんやね、きっと」

大好きだった“お父さん”の腕の中で、体をなでてもらいながら、ふうかは空に帰っていった。

ふうかの「家」だった納屋の扉


ふうかとの別れから2か月が過ぎた頃、稲刈りの始まりと共に、納屋の扉が閉まった。

ふうかの定位置は、いつもこの扉の前だった。納屋の中も外も、自分の居住スペースにしていたふうかが、自由に出入りができるよう、常に扉は50㎝ほど開いたままになっていたのだ。

ふうかの姿が消えてからも、ずっと50㎝開いたままになっていた扉。帰宅するたび、出かけるたび、ついこの扉に目がいってふうかを探し、「あぁ、もういなかったんだ」と、思い知らされてきた。

ぴったり閉じられた扉は、ふうかとの本当のお別れになった。その時、気が付いた。ふうかとの別れに、誰よりも気持ちの整理をつけたかったのは、父だったんだ。

開いたままの扉の引手に残されていた、グリーンのリードが消えたことを確認し、そう思った秋晴れの日曜日だった。

実は、ふうかが空に帰った日、当時、入院していた母の退院が決まった。まるで、母の身代わりとして、不調を全部引き受けてくれたかのような、ふうかの最後だった。

「私、この家に来て、しあわせよ」

動物の想いを感じとれるセラピストさんが、かつて、教えてくれたふうかの気持ち。

お父さん、やっぱりまだしばらくは、新しい子を迎えられそうにありません。                            (終)

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ありがとう、ふうか



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