ぐしゃぐしゃの千円札

専業主婦にも飽きた私はライターの仕事を始めた。開始わずか1週間。なんとか奨学金を返済し、年金、保険金諸々は支払えるぐらいは稼げるなという実感がある。

昔から喋ると人を怒らせるが、書くといろんな人から褒められてきたこともあり、生粋の初心者よりは少し上のレベルからのスタートを切れているのかなと思う。

ライターをすると決めた少し前、バイトの派遣会社に登録した。なぜ派遣か。

とにかく固定された人間関係の元、労働することにほとほとうんざりしているからである。だから、コンビニ、ファミレスなんて持ってのほか。単価も高く経験もある塾や非常勤講師なんかも絶対にやりたくない。従事している人を心の底から尊敬する。いや、やりたくないのではない。もはや「できない」のだ。

だから、1日だけ早起きして1日だけの関係を構築し、その場の労働を成立させる。日払いのアルバイトは最高だ。

今日はなぜか新宿横浜の希望が通らず、早朝から都内の少し遠い場所での仕事だった。派遣される人たちはどんな人たちなのだろう?私みたいに俗世を厭ってギリギリ労働者として君臨している人ばかりなのだろうか(失礼すぎる)?

そう思って行ったが、みんな全然普通の優しい人たちだった。中には、もうとうに定年退職を迎えているであろう、風に吹かれたら飛んでいきそうな痩せ細ったおじいちゃんもいた。バリバリと若者に混じって働く姿に実家の祖父を思い出した。

祖父は今でこそもう私の顔と名前が一致しないぐらいに衰弱してしまったが、65歳ぐらいの時はバリバリ現役で働いていた。日雇いのドカタをして、そこで得た1000円札を私と姉にお小遣いとしてくれた。よく焼けた顔をほころばせながら汗の染み込んだぐしゃぐしゃの1000円札をポケットから無造作に出して。

当時は特に深く考えず、「ありがとう」とお礼を言って、その1000円は駄菓子屋だったりゲームセンターだったりに吸い込まれていった。今にして思うと、色々と悔しい思いをしたり、若者になんだかんだ言われたりしながら、一生懸命掴んできてくれた1000円だったんだなと思う。

前職では仕事をしないおじさんがとにかく多かった。どの企業にもはびこる老害である。もう何を言っても無駄だから無視して仕事を進め、

「なんの価値も生み出さないで稼いだ金で家族に飯食わせて、家族にはありがたがられているんだろうな。」と冷えた目で見ていた。こういう人たちはとにかく図太い。上にはこびへつらい、下には大きな顔をする。お客様(生徒)にゴミやらクズやら言われていてもなんとも思っていない。

けれど、私もそんな図太さに支えられて大人になってきた1人なのかもな。会社での親のことは知らない。けれど、玄関の前に立つと労働者としての姿を置いて、「ただいま」と帰ってきてくれたからこそここまで大きくなれたのだろう。

労働は世界一嫌いなことだけれど、あえて言おう。

「全ての労働者は素晴らしい。」




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