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映画ハイキューに序盤から涙腺が崩れた話

映画ハイキューを観た。上映初週に。
結論から言えば、大満足の大感動だった。

ハイキューについては、きっかけは妻と共にハマってアマプラで一気見したことだ。
正直にいうが、私はめちゃくちゃに運動音痴だ。テニス部は一年ともたずに退部したほどに。
そんな私でもスポーツの熱さや人間ドラマに見入ってしまうのが、スポーツものといえよう。

観たこと・ハマったことのあるスポーツモノでいうと、
・ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜(ドラマ)
・ルーキーズ(ドラマ)
・ノーサイド・ゲーム(ドラマ)
・アイシールド21(アニメ)
・メジャー(アニメ)
・ベイビーステップ(アニメ)
・黒子のバスケ(アニメ)
などだろう。
黒子のバスケやテニスの王子様はスポーツモノじゃないバトルだろ!というツッコミは、勘弁してほしい(すみません)。

だが私自身、スポーツ観戦にさほど熱中したことはない。野球観戦に学生時代2回ほど行ったり、ちょっとオリンピック時期に卓球に熱を上げたくらいである。

これについて考えてみた。
私にとってその差は「ドラマ」なのだ。
アニメやドラマについては、1話からストーリーを追うことで、主人公たち登場人物のキャラクター性、チーム内での葛藤やトラブル、苦難やそれを乗り越えた先の成長など、多くのドラマを通して「人生」を体感するに近い。
実際のスポーツ観戦では本当に熱中してインタビュー記事や特集番組などをチェックしないとなかなかそこまで没入できない。
怠慢とも言えるが、それを半強制的にさせてくれるのがスポーツモノのアニメやドラマなのであろう。

さらに言えば、私のような運動音痴ほど、スポーツモノへの没入は一種の新体験になろう。
運動ができないからこそ、その体験したことない成長に見たことのない景色を感じ、運動ができないからこそ、その成長に感動する。

だからこそ、スポーツモノは誰しもが楽しめる「体験映像」だと思う。

ファンへのご褒美?!な本映画

見出しの通りだが、本映画を観た感想がまさにこれである。

「え?これは何のご褒美??え??」

観終わった時の感想は、これだった。

ハイキューのアニメ自体、全85話、2014年〜2020年の6年にわたり放送されている。
我々ファンはそれまでの物語を追いかけて、約4年の空白期間を経てこの映画に望んでいる。
85話、85話である。アニメが本編23分だとして、1,955分。約32時間という時間をかけて、私たちは彼らの戦いの歴史とドラマを観てきたのだ。

そして、今回の試合がかの「ゴミ捨て場の決戦」である烏野vs音駒といえ人気エピソードだ。
(さらに言えば、劇場2部作と謳われていることからも、その先もあるのだから熱すぎる)

ここまでくれば、もう劇場で感動することは間違いないだろうと確信していた。
ただ、聞いてない。

スターティングメンバーの紹介でウルッとくるか?普通?

スターティングメンバーの紹介から、今までの歴史を、積み上げてきた思い出を思い起こさせるような放送席からのコメント。
ここから、4年のブランクなんてへし折ってやるという気概を感じた。
全てを思い出せ、燃えろ、興奮しろ。そう言わんばかりのスタートダッシュに、早くも心を掴まれたのを覚えている。

特に私は、月島と山口のファンだ。
彼らは日向や影山とは違い、突出したポテンシャルなどはないが、努力と熱意でここまで来ている。そして、ネガティブな思考性もあり、決して楽観視をしない。多くの人々が自分と重ね、時に自分以上の熱意と努力に圧倒されるキャラクターだ。

月島vs黒尾の対決。まさに合宿での師弟関係が実際の舞台で火花を散らす瞬間だ。
ここで、月島の「極たまに面白いです」発言。牛若を止めた時のガッツポーズばりに「ツッキーーー!!」と感情が転げ落ちた。

また、山口のサーブも今回も活躍していた。最初は「自分が遅れている、追いつけない」という劣等感に苛まれていた彼が、なくてはならない「流れを作る・変える選手」になっているのだ。
そしてそれに対して揺るぎない信頼を寄せている月島。
彼らの関係性を見て、感動しないわけがないだろう。

そして今回大きな進化を遂げたといえば、ポスターにも大きく描かれている日向と研磨だろう。

日向は研磨の作戦により、自身がスパイクを決められないという状況に追い込まれた。何も出来ず、自分のその状況に葛藤し、けれど決して諦めない。そんな日向が、影山に託された高い高いトスに、ドンジャンプでスパイクを決める。

高く飛べたね、日向。

感動するじゃねえか!!という一言に尽きるのだ、こんなものは。

そして研磨だ。
ゴミ捨て場の決戦という大舞台に他ならない映画であるから、彼の過去もクローズアップされている。黒尾とともに初めたバレー。他のみんなとは違う価値観で戦う研磨にとって、バレーは「楽しい」というものではない、ただ目の前の結果とその過程を追い求める物だ。

そんな彼が、言ったのだ。

たのしーーー

そして、その一言を引き出したかった日向は、観客の意も返さず雄叫びを上げる。
この瞬間、日向の願いも、黒尾の喜びも、そして研磨の成長も、全てがコート上で生まれたのだ。
これをドラマと言わず、なんと言うだろう。

とまあ、このように、全てのファンが「これがハイキューだ!」と喜ぶ、そんなファン冥利に尽きる、味わい尽くせる映画であった。

スピーディかつリアルに描かれる臨場感

80分という実際の試合時間にも近いこの時間で、スピーディーに、鮮やかに、ただその中でのドラマは取りこぼさず。
彼らの言葉で、回想で、他チームや観客、放送席からのセリフで、その試合を体感した。

今回の映画では、放送席や映像を観ている他校の選手など、客観的視点からの発言も多い。
私たち劇場の観客に近い、だが本格的な視点を持ったキャラクターたちの言葉から、よりリアルな試合体感を味わえるのも今回の魅力だ。

また、感動を際立たせる演出として、過去映像とのリンクも多かった。4年と言う空白期間を一瞬にして埋めてくれる映像たちが、さらに試合と、キャラクターへの没入感を深くしていく。
これは嬉しい誤算であり、素敵な演出であった。

そして臨場感で言えば、研磨視点の試合映像だろう。
試合の最終局面で、研磨視点での長いラリーのシーンがあった。辛く、苦しく、けれど終わってほしくない。そんな感情をさながら本人かのように体感できるその映像には、誰もが引き込まれただろう。

試合のラスト、私はアリだった。

試合のラストの結末については、もしかしたら賛否が分かれるかもしれない。
最終的にボールや研磨の手に蓄積された汗で滑り、儚くもボールをこぼして試合は終了した。

私自身の解釈としては、「研磨は試合に負けたが、勝負に引き分けた」ということではないかと思う。

実力でも発揮したプレーの差でもない。ほんの些細な、けれども大きな「運」の差によって、彼は敗れたのではないかと思う。
ここで大きなプレーで打ち負かされたとなっては、烏野側が強かった、と言う結論になってしまう。

そういう意味で、私はこの結末は好きだった。

結果、大満足の映画だった。

というように、私自身とても楽しめた映画であった今作品である。
先にも述べたように2部作ということで、次の映画にも大きな期待を寄せて、待ち焦がれていようと思う。

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